【八尺バベル】幕
神戸悪魔に、最後のターンが訪れた。
『グックク……最後のカードは《不死身軍団長》。さあ、引くがいい』
悪魔のデッキ最後の1枚、それは大入道が指摘したその通りのカードである。《軍団長》自身の効果でデッキに戻ったので、当然のことであった。
『《不死身軍団長》……それなりには強い魔札生物だが、儂の《悪鬼王》には及ぶべしもなし。小僧よ、どう足掻いてくれる?』
「……俺はドロー前に《塔の再生》を発動する!」
悪魔が唱えた魔札が、山札を光で包み込む。すると、たった一枚だった山札が消え、代わりにそこには塔が建てられた。ただしくは塔のように高いデッキの束である。全長2メートル。塔としては小さいが、標準60枚の束であることを考えると、やはり破格である。
「墓地の生物1体を対象にして、同じ名前の生物をすべてデッキに戻す。その代償に、元々デッキにあったカードは消滅する……これで俺は、一番はじめに墓地に送った《尺の悪魔》9500枚をすべてデッキに戻した」
『面白い。再びバベルを建て直したか……!』
《塔の再生》にはテキストに書かれていない条件がある。元々のデッキを追放する都合、1枚以上のカードがなければ使用できない裁定なのだ。もし前のターン《悪鬼王》にデッキがすべて破壊されていた場合、0枚となって発動条件を満たさないところであった。
『だが小僧。お前が築いた塔はいわば惰弱の山。先の《軍団長》に比べれてより貧弱な生物ではないか。そんな生物を束にして、今更なにができるというのだ』
「弱くてもなんでもいい。高く積もってることが重要なんだ」
悪魔がカードを引く。当然、引き当てたカードは《尺の悪魔》である。大入道の言った通り、この一体を出したところで戦況をひっくり返すことはできない。だが問題はない。
「俺はアヴァターをここに召喚する。来い、《地獄の掃者 ガントリング》!」
カードが放つ輝きが、悪魔の背後に影を作った。影はゆらりと身をもたげ、やがて掃射銃を持つ悪魔の化身の姿となる。化身は、その巨大な掃射銃の銃口を大入道へと向けた。
《ガントリング》には、自分の手札を弾丸にかえて射撃する能力がある。現在、悪魔の手札は2枚。たった2発の弾では大入道の結界障壁を削り切ることはできない。そこで代わりの手段が必要となるが――。
『まさか……既に持っているのか、あの魔札を』
大入道の疑問に、悪魔はカードの発動で応えた。《メモリーバレット》。かつて烏江大を破った1枚である。
「自分が手札を捨てるとき、代わりにデッキの一番上から1枚を捨てることができる。俺のデッキは今9499枚……そのすべてを弾に代えて撃つ!」
悪魔は自分のデッキの束を握りしめ、そのまま墓地へと移した。その動きに呼応して、《ガントリング》の銃に弾が装填されていく。
「これが八尺バベルの、俺たちの力だ!」
化身は咆哮をあげ、大入道へ向けて射撃を始めた。1発1発は微々たるダメージだが、9499回と重ねれば、それは如何なるプレイヤーの結界障壁をも瞬時に破壊する破壊力を持つ。長い決闘の中で、ようやく通した反撃。今まさに、無数の弾の、その初発が大入道の結界に触れようとした、その時。
『この瞬間、儂は《時鬼の壁》を唱える!』
大入道の周囲、結界障壁を囲うように、魔札の放った壁が出現し、すべての弾を吸収した。
『貴様の山札が0の時、儂が受けるダメージもまた0となる。グッハッハッハッハッ! 残念だったな、小僧』
悪魔の渾身の反撃が防がれた。あまりの失意に、悪魔は膝をつく。揺れる水面が、今の悪魔の姿……黒い八尺バベルの姿を反射した。
『だが良かったぞ。儂に《悪鬼王》を召喚させ、その上一矢報いんと仕掛けてきたのだからな。その褒美に……冥途の土産に見せてやろう』
悪魔が視ている水面が黒く染まり、やがてそこには一つの光景が映し出された。
「そ、そんな……!」
仄暗い森の中。黒い一体の巨人の足元に無数のカードが散らばる。そしてその周囲……薙ぎ倒された樹木、壊れた鳥居、そして倒れている八尺バベルたちの姿。
「あ……あ……」
『さあ小僧、目に焼き付けるがいい。貴様の仲間たちの、無惨な敗北の光景を』
◇ ◇ ◇
「悪魔くん、ごめ……なザっ」
黒巨人の突きが、八尺バベルの胴を容赦なく貫く。既に決闘に敗れていて、結界障壁が機能しないのだ。巨人はまるで汚れを取るかのように手を振った。すっぽりと抜けた八尺の身体が、放射を描いて落下した。
『つまんねェ。こんなもんかよ、この世界の魔札使いは』
吐き捨てるように巨人が言った。返答できる者はその場にいなかった。皆、力尽き倒れているからだ。
「あいつは……」
『奴は空鬼の長だ。同郷のよしみで連れてきたが……八尺どもが相手ではさぞ退屈だったことだろうな』
うなだれる悪魔の姿を見、大入道――尺鬼はほくそ笑んだ。
(いよいよだ。ようやく……この時が来た)
尺鬼の場には彼の化身、《尺禍童子》が控えている。対策によって能力を発揮できない状態ではあるが、些末な問題である。尺鬼が化身カードに手を翳す。すると、テキスト欄の余白に、新たな文言が浮かび上がった。
【条件:相手の墓地にカードが5000枚以上存在する】
このテキストが暗示する効果は不明ながら、悪魔の墓地には今、9900枚超のカードが積み上がっている。果たして、次に尺鬼のターンが回ってきた時、何が起こるというのか……!?
(さあ、早く手番宣言をしろ、小僧!)
尺鬼は墓地を凝視する。そのありさまは、視線の先に向ける熱量は尋常のものではなかった。例えるなら、探し求めた美食をついに目の当たりにした美食家のような、生涯をかけて追い求めた宝物を前にした海賊のような、それほどの歓喜が尺鬼の巨大な目に満ち満ちていた。その時。
「ク……クク、ククク……」
地獄の底から鳴りわたるような、低くおぞましい嘲笑が尺鬼の耳に響いた。彼は訝しみ。周囲を見渡す。だが、この山頂付近には誰もいない。今いるのは、尺鬼と、八尺バベルとなった悪魔少年だけ――。
『………………バカな』
目の前の悪魔の姿が信じられなかった。心を挫かれ、崩れ落ちたはずの少年が、何事もなかったかのように立ち上がっていたのだ。想定外の挙動。この時、尺鬼ははじめて、神戸悪魔という存在に驚愕した。
「八尺バベルの皆が、あんな簡単に倒れるわけないだろ。お前、幻覚かなにか見せてきたんじゃないか?」
悪魔の一言で、空鬼に敗れ倒れていた八尺たちの姿が映像から消えた。新たに映り込んだのは、未だ空鬼との決闘を続ける八尺バベルの長の姿。そして彼女を応援する仲間たちの姿だった。
『どうやって見破ったのだ? 儂の幻に綻びはなかったはず』
「俺がどれだけ、あの人たちと過ごしてきたか。お前が知らないわけがないよな」
そうだ。尺鬼はずっと八尺達の存在を覗くことができた。だれかの目を通すこともなく、どの八尺がどう成長し、どこまで強くなるのか。尺鬼は常に把握しているつもりだった。悪魔の信頼はその分析を超えていた。
『無意味だ。今更立ち上がろうと、貴様に儂を倒す策は――』
「ある。言わなかったか? 逆転の一枚は手札にあるってな」
悪魔の手札は残り2枚。1枚は弱小の《尺の悪魔》。もう1枚、温存されていた最後の札がある。
「魔札発動、《崩塔の怨讐》」
直後。尺鬼は、辺りが突然暗くなったことに訝しんだ。視線を上げ、すぐにその理由に思い至る。遥かに高いなにかが、己を見下ろしている。
◆ ◇ ◇
堕悶の攻撃は苛烈だった。空鬼をはじめとする、異形なる影の軍勢。無数に展開されたそれらはしかし、池野の結界障壁に届いていなかった。地面に展開された、文字通りの《泥沼》が理由だ。
『ギッキキ……硬ェ。硬ぇな。ここまで粘られたのは初めてだぜ』
「ハァ……ハァ……」
これまで堕悶は、執拗にして悪辣な攻めを続けてきた。迫り続けてきた選択の中には、誤れば彼の攻撃を許す、致命的なものも幾度かあった。だが、そのすべてを池野は防ぎ、正しい選択を続けてきていた。なんという精神力だろうか。いっぱいいっぱいのようではあったが、それでも彼女は気丈な姿勢を崩してはいなかった。
「まだまだ……こんなものでは、ありませんよ」
『……面白ェ』
彼は空鬼の古強者である。カードに描かれるような軍勢ではなく、個としての実力をひたすらに極めてきた。尺鬼のように策謀を練るようなことはせず、強者のみを求め、様々な場所をさすらい、戦いつづけてきた。
『この爪にどこまで耐えられるかな。試してみたくなったぜ。俺はこの魔札を――』
堕悶が新たなカードを唱えようとした、その時だ。何を察したのか、彼は突然背後を振り向いた。
「勝負の最中に何、を……?」
訝しんだ池野もまた、それを目視したようだった。堕悶の背後、すなわち高峰山の頂上に、それはあった。山頂周囲約1キロ範囲の四方に貼られた結界により、本来は外から目視ができないはずのものが、その結界を突き破り、月まで届かんとするように、高らかに突き出ていた。
聳え立つように見えるそれは、まさにバベルの塔のようであった。
◆ ◆ ◇
『なんだ……小僧、それは一体なんだ?』
尺鬼は呻いた。目の前に、悪魔の化身、《ガントリング》が立っている。そして、その振り上げた右腕の先に、巨塔があった。正確には、それは塔と見まがうほどに高く、巨大になった銃身の姿であった。
「《崩塔の怨讐》によって、俺の墓地のカードはすべて追放された。そして、追放したカードのコスト合計分だけ、今からお前にダメージを与える」
悪魔は無慈悲に言った。確かに、彼の墓地からはあらゆるカードが消えていた。あの銃身がその成れの果てなのだろう。カードのコストとは、当然各カードごとに振り分けられた設定値である。《尺の悪魔》ならば1。仮に《不死身軍団長》だったならば6。他のカードは? もはや、それは数えるまでもない数である。合算値がいくらであろうと、それは先の《ガントリング》を超えるのは明白であったからだ。
「……、……、…………ポポポ』
悪魔が言葉を発した。それは勝利宣言だったのか。それとも懺悔の要求だったか。尺鬼には分からない。あの八尺バベルの発する言葉が、すべて『ポ』に置換されている。それは本来、彼自身が仕組んだ悪辣な呪詛であった。恐れをなした相手に対し、自分の言葉が置換されてしまう、そういう仕組みである。八尺の言葉が聞けない者は、皆八尺に恐怖している。つまり。
尺鬼は今、神戸悪魔を恐れていた。
『ポ、ポ、ポ』
悪魔の化身が、一歩ずつ近づいてくる。破滅の足音がする。八尺を遥かに超過した銃身が、まもなく振り下ろされようとしている。尺鬼は慄き喚いた。無意味な抵抗である。八尺の呪いが逃れられぬものであるのと同様、決闘の原則から逃れることはできない。あるいはこの時、尺鬼は理解できただろうか? 怪異とは、みな恐るべきものであると。
『ポ、ポ――』
振り下ろされるのは一瞬だった。バベルとは、崩れ落ちるために建てられる。唯一、この時だけは、それは怨念によってただ一人の元に落下した。身を護る結界障壁が恐れをなすように消え去り、いよいよ塔が眼前に迫り――そこで意識が途絶えた。塔の激しい破砕音が鳴り響き、山全体が鳴動し、そこですべてが終わった。
大入道と畏れられし怪異、尺鬼は死んだ。
◆ ◆ ◆
「ハ、ハハ……! すげぇ。これが、これもヴァリサガなんだ」
塔の残骸を見下ろしながら、悪魔は独り言ちた。勝負の熱が、未だ八尺の大きな右手に残っている。元に戻ったとしても、この興奮を忘れることはないだろう。
彼は振り向き……すぐ真上をなにか黒くて巨大なものが飛び去って行くのを見た。映像の中で見た空鬼という生物だろうか。それは悪魔を一瞥もせず、上空の孔へと入っていった。空鬼が消え去ったということは、池野さんたちは無事だろうか? 悪魔は結界から出て、山道を下り始めた。
一歩一歩、整備された山道を降りていく。足取りが重い。というよりも、長い時間歩き続けたときのような、疲れた感じが近かった。八尺の身体は疲労を感じない。だったらきっと、八尺の呪いが解けていっているのだろう。
悪魔は空を見上げた。決闘の場と異なり、木々が覆われて星空が見えない。そして、だんだんと樹冠が遠くなっていく。想像よりも早いペースで、身長がなくなってきているらしい。気づけば、身に着けている服もいつものTシャツに戻っていた。
ふと、彼は不安を感じた。このまま身長がなくなって、消えてしまうのではないのか? 八尺化が解けたとき、元通りに戻るなんて、誰も保証してくれてはいないのだ。
尺鬼とは、八尺バベルとはなんだったのだろうか? 空鬼、怪異、バベルデッキ。この世には恐ろしく、そしてよくわからないものが満ち溢れている。ふつうの人に戻って、それらのことを忘れて、元の生活に戻ることは、果たしてできるのだろうか。分からない。心配になる。そうやって考えごとをしていたからだろうか。
「いてっ」
せりだした木の枝が、悪魔のひざ小僧を直撃した。しばし痛みにもだえていると……遠くで彼を呼ぶ声がする。見やると、そこには子どもたちの集団が、一斉に手を振っていた。悪魔は彼らを見たことがなかったが、それでも彼らのことを知っていた。
(そうだ……俺には仲間がいる。いっしょに苦しんで、耐えてきたみんなが)
これからのことはみんなで悩めばいい。たぶん大も相談に乗ってくれる。あるいは、大人たちも助けてくれるかもしれない。なにしろ、自分たちはまだ小学生なんだから。悪魔の悩みは吹っ切れた。
少年は、仲間たちの元に駆けだした。ふらふらと、何度も転びそうになりながらも、彼はなんとか辿り着いた。丑三つ時の山中に、ハイタッチの音が数度響いた。
【八尺バベル】 完