羊の奇祭・前半
深い森中に囲まれた、秘密の花園。そこに突然大きな泡が1つ浮かび上がると、泡が割れて2人の男が空中に放り出された。1人は花園を避けて堂々と着地。もう1人も花を避けようとするが態勢を崩し、草の上に尻餅つく形で落下した。
「いたた……すまないが起こしてもらえるか」
へたりこむ男に対し、大男……リユウは、渋々手を貸した。
「これで立ち上がれぬことは流石にないだろうな」
立ち上がった男……花の冠を着けた長耳の男がかぶりを振った。
「ああ、流石に大丈夫……いてて。君の強靭な肉体が本当に羨ましいよ」
男は服についた草々を手で払い、リユウに向き合った。
「改めてようこそ、花と羊の世界サースィアへ」
花冠の男……アルノードが言った。
道すがら、この世界についてアルノードが説明した。羊界サースィア。花畑上に築かれた世界には素朴なコロニーが1つだけ存在し、それ以外の広大な土地はすべて羊の住処なのだという。
サースィアにおいて、羊は重要な生き物である。コロニー内では勿論、外でも殺生してはならず、その毛を刈ることさえ禁止されているのだ。
「羊肉を食べないのか?」
リユウが尋ねた。
「羊を食べるのはご法度だね。ただ、ここの野生生物は羊だけじゃないから、肉食そのものを禁じているわけではないよ。小豚とか小さい熊とか……そういう動物が多いかな」
「小動物ばかりだな……羊を喰らう生物はいないのか?」
「まあ、そういう世界だからね」
アルノードが意味深に答えた。
「食物連鎖について、コロニー内では話題にしないでくれよ。皆きょとんとするだろうし……実際、よくないんだ。うん」
「?……心得た」
訝しみながらもリユウは同意した。
「さあ、もう少し歩けばコロニーだ。君の望みが叶うまでにはもう少し待ってもらう必要があるけど……」
「構わん。行くぞ」
羊の花園を、二人の魔札使いは歩き続けた。道中、リユウは複数の視線を感じたが、敵意はないものとして敢えて無視した。やがてリユウが空腹を感じ始めたころ、花で彩られたアーチ門が見えてきた……即ち、サーティアのコロニーへとたどり着いたのであった。
アルノードの説明通り、コロニー内は質素な印象であった。石畳の路に、やはり石造りの民家。そしてやはり一面に花が咲き誇っており、当然のように羊たちの存在もあった。
道行く人々は皆白い礼服を着ており、頭や腕、首に花飾りをつけていた。アルノードのものよりやや控え目な印象である。アルノード達の姿に気づくと、彼らは片手を挙げて挨拶した。
「アルノード、お帰りなさい」
「そしてご客人。ようこそ、サースィアへ!」
老若男女さまざまにいたが、概ね同様の口上を述べ、最後に儀礼的な仕草をした。彼らに声をかけられる度、アルノードも同様の仕草を返した。リユウは真似しようかと一瞬考えたが、やめた。不意に別の者に声をかけられたからだ。
「ハァイ、そこのアナタ。別の世界から来た人だわよね?」
その者の装いは、サースィアのものではなかった。
「おれはヴァン・リユウだ。おまえは……陸の者ではないのか?」
リユウは名乗り、質問した。声を掛けてきた眼鏡の女性は肌のところどころに魚のような鱗が生えていた。彼女は質問を受け、微笑んだ。
「心配してくれたの?ええと……リユウさん。でも大丈夫、私は猿人と魚人のハイブリットだから」
「そんなものか」
リユウは納得した。
「おっと、私も自己紹介しないとね。名前はノナ・ブルーラーン。普段はジニキス書界で魚類の研究をしているわ」
「ジニキス……ガクシャとやら、頭でっかちどもの集まりか」
リユウのぼんやりとしたイメージに、ノナは苦笑し肯定した。ジニキス書院といえば、世界自体が丸ごと研究機関であり、常に泡沫世界の情報収集と研究に励んでいる変わった世界である。リユウ自身は訪れたことはなかったが、これまでの旅の中で何人か関係者と遭遇したことがあった。
「さかなの研究者と言ったな。サースィアには存在しないのではないか?」
「とんでもないわ。コロニーの外に川や湖があって、ちゃんと水生生物の生態系も存在するのよ。小魚が多いんだけど……っと、それはそれでライフワークだから調べたけども、ここに来た主目的は魚研究じゃないのよ」
リユウは訝しんだ。
「サースィアで1年ごとに開かれる春羊祭。こちらのベルティさんに誘われて、せっかくだからと思って休暇を取って参加しにきたの」
いつの間にかノナの後ろに礼服の女性が現れており、深々と頭を下げた。首元の花飾りはアルノードと同等であった。
「というか、貴方も春羊祭に誘われて来たんじゃないの?」
今度は、ノナが疑問を持った。
「いや、おれは――」
リユウが正直に目的を告げようとしたところ、アルノードが遮った。
「そう、リユウくんは僕が連れてきた客人だ。実は彼はそこまで乗り気じゃなかったんだけど、無理行って参加してもらったんだ。せっかくの祭りだからね」
アルノードの姿をみとめると、今度はベルティが口を開いた。
「毎年サボってばっかりだったけど、今度は客人を連れてきたのね。どういう風の吹き回しかしら」
ベルティに強く睨まれ、アルノードはたじろいた。
「僕にもサースィア人の自覚くらいあるって事さ。今までは……そう、間が悪かったんだ」
「どうだかね。いよいよ長にせっつかれたんじゃなくて?」
「主神に誓って、そんな事はないよ。僕はいつだって必要な事をしているつもりだ」
「フン、勝手がまかり通るのも今年限りと覚えておく事ね……行きましょう、ノナさん」
ベルティは踵を返し、つかつかと去っていく。ノナは「また会いましょう」とあわただしく彼女の後に続いた。アルノードはため息をつき、リユウに語った。
「サースィアの家柄には序列があってね。色々と確執があるんだ。お客さんの前でやる事じゃあないんだけど……」
「気にはしない。ところで、他にも渡りの者たちが来るのか?」
「その予定だね。僕みたいに魔札使いに選ばれた者が勧誘していて、僕とベルティの他にも4人そういう役がいる。必ず連れて来れるわけじゃないから、人数が決まっているわけではないんだけど……一応言っておくけど、誰かと決闘なんて始めないでくれよ?」
「……分かっている」
そわそわとしているリユウにアルノードが釘を刺した。
「祭りの開催までまだ暫く時間があるね。どうしようか?辺りを案内してもいいんだけど」
「おれは腹が減った」
「歩きどおしだったからね。それじゃあ何か作ろうか」
サースィアに飲食店の類はない。春羊祭のようなイベントは例外であり、観光業を行っているわけではないからだ。ここに暮らす人々は小さな相互扶助だけで自活できており、余人に料理を提供するようなサービスの類は生まれる余地がなかった。
したがって、リユウはアルノードの自宅に招待された。最低限の生活用品しかない質素な部屋だった。花冠の男が自身の魔札で器用に料理を行うと、二者は昼餉しながらさまざまな事を語り合った。窓の外から差し込む光は常に一定で、このサースィアに夜の概念はないものと思われた。
だが、遂に刻が来た。ドアが3度ノックされ、訪れてきたのは羊の冠をした女性だった。
『渡りの方、そして我が信人。我らが神がお呼びです。春羊祭が始まります』
それは祭りの始まりを告げる口上であった。
■ ■ ■
リユウ達が案内されたのは、屋外にある円卓状の大きなテーブルであった。リユウの他に、先ほどのノナを含む4人の魔札使いが座っている。
対してサースィアの人間は7人。アルノードら6人の他に、最も大きい花飾りを身に着けた老人。合わせて12人が食卓を囲んでいた。なお、椅子は13脚用意されており、羊の装飾が飾られた1席は意味深に空席であった。
面々が集った後、最初に口を開いたのは、花飾りの大きい老人だった。
「渡りの方々、ようこそいらっしゃいました。私はこの羊村の長を務めている者です。こうして皆さまをお迎えし、今年もまた春羊祭を開催できたことを喜ばしく思います……」
老人がしわがれた語りを終えると同時。花畑の向こうから、多数の足音が響いてきた。気の弱い魔札使いたちはざわめくが、サースィアの者たちはそれが当然であるように動じない。程なく音の主たちが姿を現した……それは奇妙な羊の群れであった。
何十頭いるのだろうか。リユウはすぐに数えるのをやめた。大小様々なサイズの羊たちはどこか奇妙な印象を持つ。うち何体かの羊たちは背中になにかを背負っている。やがて円卓から一定の距離を置いて彼らが立ち止まると、サースィアの花男たちが立ち上がり、彼らが背負っていたものを恭しく受け取った。それは料理皿であった。
「信じられない!」
ノナは思わずと言った様子で立ち上がり、叫んだ。料理は一皿どころか、円卓の人数で分け合っても尚余るほどの量が運ばれてきていたのだ。豆のスープにサラダ、パン、ケバブめいた肉料理など、さまざま。
かなりの速度で運ばれてきたにも関わらず、スープは決してこぼれておらず、また砂埃や草などで料理が汚されている様子もなかった。それどころか、料理はまさに今調理されたばかりかと見間違うほどに熱を保っており、円卓に座る者たちの食欲を刺激した。
「ささ、どうぞ。お召し上がりください。年寄りの長話など、馳走を前にするものではないでしょう。これは祭りです。皆さんを歓待する祭りです。大いに楽しんでください」
老人の言葉を皮切りに、宴が始まった。いつの間にか、周りには花冠をした若者たちが集まっており、円卓を囲うように独特なダンスを繰り広げている。魔札使いたちは歓待を楽しみながら、羊が運んできた料理に舌鼓をうった。
「凄いな。これが祭りというものか。俺の世界にこんな催しはなかった」
「情熱的な踊りだ」
ノナもまた例外ではなかった。
「ほら、見てリユウさん。このサラダ、魚卵が使われているでしょう?他の世界でも見たことのある料理だわ。やっぱりサースィアにも魚は生息しているのよ」
「なるほどな」
リユウは興味なさげに頷いた。
「……あら?あなた、意外と小食なの?あまり食べてないように見えるけど」
「そんなことはない」
リユウは適当にノナとの話を切り上げ、円卓の対極に座るアーノルドを睨んだ。アーノルドは申し訳なさそうな仕草をした。
「渡り様。お酒はお得意ですか?」
リユウの背後に花娘が立っており、蜂蜜酒を差し出した。リユウは二つ返事で受け取り、グラスを手に取った。
「リユウさん、お酒はいけるの?」
ノナは興味本位で尋ねた。
「人並みにな」
リユウは一飲みでグラスを呷った。すぐに顔が朱に染まった。
「あらあら……」
そうこうしているうちに、円卓の周りの踊りはいよいよ激しさを増していた。踊りが終わったら酔っぱらったリユウに水でも注文してあげよう、ノナはそう思った。
少女たちの手足がダイナミックに揺れ動き、その情動はまるで炎であった。一度火が揺れるたび、蜂蜜酒のもたらす酩酊と高揚が増していき、より踊りに見入っていく。いつの間にか、ノナ以外の魔札使いたちも料理を食べる手を止め、踊りに釘付けになっていた。
「我らが神、オヴィス=スタロス。おお、慈悲深き御神。我らが神。今春も貴方の加護を冀います」
はじめに長が言った。
「「我らが神、オヴィタロス。羊たちの神。今年も貴方の地にて永久の春を望みます」」
続いて、サースィアの者たちが唱和した。踊り子たちもまた、荒れ狂う手足の挙動に負けじと、高らかに唱えた。
この場に確固たる自我を保っていた者はいなかった。集団の自我はなにかへと繋がっていた。強大なるもの。あるいは、彼らが唱えるオヴィタロス。最後は皆一同に唱えた。
「「「「「我らが神、オヴィス=スタロス。羊たちの主、贄の神。我らの全てを供えます。我らの全てを捧げます」」」」」
「「「「「イア・オヴィス。イア・オヴィス=スタロス」」」」」
「「「「「イア・オヴィス。イア・オヴィス=スタロス」」」」」
「「「「「イア・オヴィス。イア・オヴィス=スタロス」」」」」
「「「「「イア・オヴィス。イア・オヴィス=スタロス」」」」」
花園の円卓に、新たに12の空席が生まれた。所せましと置かれていた料理もまた、忽然と姿を消している。唯一、リユウの席の前にだけ、彼が使う予定だった食器群だけが綺麗なまま残されていた。
円卓から消えた者たちの中で、リユウのみが唯一、何一つ呪文を唱えないまま、蜂蜜酒の酔いで一人寝落ちしていた。
■ ■ ■
ノナが目を覚ますと、そこは尋常ならざる空間であった。悪夢そのものが具現化したような。或いは、これが話に聞く銀河なのだろうか?
辺りには他に誰もいなかった。ノナ自身の存在もひどく不安定であった。ただ一つ、暗黒の中心とでも言える場所に、それは鎮座していた。かつてないほどの存在圧。その存在がこの空間を維持していると言われても、ノナは納得できた。それほど中心存在は強大であった。
(((人の長よ)))
頭の中に声が響く。未知の言語を勝手に脳内で翻訳させられたような、不快な感覚であった。
(は。大いなるオヴィス=スタロス。ここに)
しわがれた声が響く。コロニーの長の声であった。ノナ自身も何か発言を挟もうとしたが、まるで声が出なかった。
(((今春の魔札使いどもの供儀。大儀である)))
(は。光栄にございます)
(((Baa……Baa……)))
オヴィス=スタロスと呼ばれた存在の、奇怪な、醜悪な声が響く。供儀。ノナたちはそう呼ばれていた。あの怪物に食べさせる為に私たちは呼ばれたのか?祭りという釣り餌によって。最悪の想像がノナの脳裏を過ぎる。
直後。ノナは不意に唐突な不快感に襲われた。頭の中を貪られているような感覚。オヴィス=スタロスの凝視であった。ただ見られているというだけで、瞳の中の深淵に沈んでいきそうになる。それどころか、あの羊毛の一本一本がノナに突き刺さり、体内で暴れ回っているような感覚であった。
(これが”供儀”の行為なの?それともまだ、品定めしているだけ……?)
これを上回る責め苦がまだ待っているかもしれない。そう考えるだけで余計に気が狂いそうになる。せめて死ぬなら楽に死にたいが、この悪魔的存在は果たしてそこまで優しい存在だろうか……?
魔札使いの結界力場も機能しない。如何なる手段で無力化したのか。あまりの苦痛に、まともに思考する余裕さえありはしない。このままノナは、オヴィス=スタロスによって咀嚼されてしまうのだろうか?己の輪郭が曖昧なまま、闇に消えてしまうのだろうか。
その時だ。紫の布着を纏った男の背中がノナの視界に映ったのは。
「な……」
ヴァン・リユウは、どういう理屈か、この空間内に平然と存り続けていた。それどころか、自らの口で、あの邪悪存在へと問うたのだ。
「おまえがオヴィス=スタロスか」
悪魔の関心がリユウへと向き、ノナは凝視から解放された。今だに身体の感覚はおぼつかないが、少なくともあの不快な感覚が消え去った。
(((貴様は何者だ?我が領域が貴様の存在を許した覚えはないぞ)))
「おれはヴァン・リユウ。最強になる男だ」
リユウが魔札を構え、言った。
「贄の神よ。おれと決闘しろ」
贄の神。ノナは心の中で反芻した。オヴィス=スタロスとは神なのか。泡沫世界において、古き神々は滅び去ったものと思われている。或いは永き眠りについたとも……あれはそうした古き神の一柱なのだろうか?一介の知的生物が持つにしてはあまりに強大な力。そうと言われても納得できる要員が確かに揃っていた。
(((Baa、Baa、Baa!このオヴィス=スタロスと闘うだと?たかが人間風情である貴様が。魔札使いとて、思い上がるな)))
贄の神の巨腕がもたげ、リユウへと迫った。だが、周囲に張られた結界力場が巨大な掌を退けた。
(((ヌ……)))
「おれはおまえの歓待など受けてはいない」
(貴様!オヴィス=スタロスの贅を凝らした馳走に手を付けなかったいうのか!?)
割って入ったのは長の声であった。リユウは無視し、贄の神へと話を続けた。
「魔札使いを殺せるのは魔札使いだけ。呪いとやらが通じなかった以上、おれを魔札で倒さねば退けることはできんぞ」
(((………………)))
ノナは宴でのリユウの様子を想起した。蜂蜜酒は飲んでいたものの、確かに料理には一口たりとも手はつけていなかったのだ。思うに、蜂蜜酒はこの場所に誘うためのもので、魔札使いを無力化するのは料理の役目だったのか。ノナはそう推測した。
しばし考えていた様子の贄の神は、奇怪な嘲笑と共に飛び上がった。
(((よかろう。そういう嗜好も悪くない。貴様は札遊びで喰らってやろう)))
贄の神が両手を広げると、強大な光が収束し、ぱらぱらと何かが舞った。それはオヴィス=スタロスの全長からすると遥かに小さいが、紛れもない魔札であった。ノナは確信した。この瞬間に、あの神は魔札使いに成ったのだ。常人ではありえない芸当。奇跡。これが神の所業なのだろう。贄の神が笑った。
(((規範は理解した。なんと稚拙な遊戯か……さあ、始めようか。人の仔よ)))
ノナは、リユウの全身が震えるのを見た。恐怖の震えか、歓喜が故か。両者は5枚の魔札を展開し……同時に叫んだ。
「衝突!」((((衝突)))
二者の間に結界力場が生じ、衝突する。尋常でない威圧と緊張感が周囲にもたらされる。魔札使いではあっても非戦士のノナにとって、この存在圧が贄の神から放たれるものなのか、リユウのそれとが拮抗している状態なのか、判別できなかった。
はじめに動いたのは贄の神であった。
(((我はこの魔札を唱える)))
魔札の周囲の空間が歪み、5体の羊が現れた。それぞれの個体はどこか歪んでおり、直視に耐えなかった。
「…………」
(((そう身構えるな。これらは無害な羊だ。貴様を攻撃することはできぬ。我が手番をここに終了する)))
「ならばおれの手番だな」
リユウが新たに魔札を引く。
「本当に無害な羊かどうか、確かめてやろう」
そう言うと、リユウは2枚の魔札を使用した。
リユウの拳に炎が灯り、羊の群れへと向かって突撃を仕掛けた!羊たちのステータスは贄の神の発言通り貧弱であり、これが通れば全滅は免れないであろう。
(((我が眷属に触れることは許さぬ)))
対応し、贄の神が魔札を使用した。直後、羊の群れのうち1体が破裂した。
四散した羊毛が体積を増していき、収束していく。バキバキと音を立てながらそれは立ち上がり、新たな魔札生物の姿を形成した。
片腕から謎めいた装置が突き出た羊人である。羊人の装置から赤い光線が発射され、未だ突進途中のリユウの燃える腕に命中した。
「ぬ……!」
命中した腕の炎が剥がれるように消えていき、魔札の効力が失われた。呪文を伴わぬ拳では、如何に弱小といえど魔札生物を倒すことは敵わない。
(対策された……!)
決闘を見守るノナもまた、今の攻防に驚愕していた。リユウの全体攻撃に対し、贄の神はピンポイントな対策を、銀の弾丸のように山札から呼び出したのだ。とてもたった今魔札使いになった者の対応力とは思えなかった。権能とはまた異なる、神格の英知。改めて眼前の神の強大さにノナは打ちひしがれた。
(((Baa、Baa、Baa……どうする、人の魔札使いよ)))
贄の神はまさに悪魔めいた笑みを浮かべた。リユウは仕方なく元の位置に戻った。
「……手番終了だ」
(((Baa……再び我が手番)))
新たな魔札を引き、贄の神は更なる魔札生物を繰り出した……それも二体同時!
いずれも尋常からは逸脱した異形の羊であった。
(((これで布陣は整った……刮目せよ)))
贄の神が命じると、”喰らうもの”と呼ばれた羊が、自軍の小さな羊を鷲掴みにし、大口で喰らった。巨体の羊毛が膨れ上がり、噴出孔のような邪悪な器官が露出。そして――。
「くっ……!」
噴出器官から血肉が高速噴射し、リユウの結界力場にダメージを与えた。同時に反対方向……贄の神側には恵みの雨のように血が降り注ぐ。贄の神側が天を仰ぐ姿勢を取ると、それらの液体が収束し、吸収された。オヴィス=スタロスは恍惚の息を漏らした。
だが、それだけではなかった。”喰らうもの”が食べ残した羊毛に”吐き出すもの”が臓器のようなものを吐き出すと、たちまちそれらは結合し、新たな歪んだ羊となった。つまり、能力の犠牲に捧げた1体の羊が、たちまち補填されたのである。
(これが……”贄”の神……!)
ノナは思わず、戦術の悪辣さに辟易した。リソースとなる羊たちを用意し、"羊疑者"がそれを守る。”喰らうもの”が羊を食べて攻撃し、失われた羊はたちまち”吐き出すもの”が補う。単に捧げものを要求するだけでない。生贄にまつわるシステムを構築し、恭順しないものを冷徹に追い込んでいく……それは贄の神、オヴィス=スタロスが持つ性質そのものなのだろう。
贄の神は手番の最後に、攻撃能力を持つ羊たち3体がリユウを攻撃した。攻撃力自体が低いのか、ダメージは微小ではあった。しかし、反撃の糸口が掴めなければ積み重なる一方……やがて死へと繋がる。
(リユウ、気付いて……あの戦術にはつけ入る穴がある……!)
しかし、贄の神の盤面を覆す方法もまた、ノナには想像ついていた。”否定の羊疑者”が防御するのは、あくまで呪文や効果によるダメージのみ。魔札生物が使用する牙、拳……つまり生物の攻撃ならば突破できるのだ。
「おれの手番……」
リユウは新たな魔札を引き、戦況を眺めているようであった。わずかに週巡し、そして……。
「手番終了だ」
そう、宣言した。
(えッ!?)
ノナは悲嘆した。まさか、手札に魔札生物がいないというのか。
(((BaaBaaBaaBaaBaa!まさか、何もできぬとは!)))
オヴィス=スタロスの不快な哄笑が響く。
(((では我が手番を始めよう)))
贄の神は再び、”喰らうもの”の効果を起動した。羊が喰らわれ、リユウに傷が、贄の神に回復がもたらされる。そして、”吐き出すもの”によって新たな羊が生み出された。完璧な生贄のループ。
(((貴様の終わりは見えてきたが……念には念を入れておこう)))
オヴィス=スタロスが新たな魔札を発動する。それと共に、邪羊が1体破裂し、羊毛が膨張していき……。
次の瞬間、触手状に伸びた毛の塊が、リユウの頭を突き刺していた。