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【拳士の回生】3

【前回】


 ……。

 …………。

 ………………。

 …………………………目を覚ました直後、リユウは己の首に突き付けられた刃を自覚した。処刑人は見上げるほどに長躯であり……そして、己の目線が常よりも低いほどを自覚する。まるで急に背が縮んだような錯覚……だが、すぐにリユウは思い至った。これは夢だ。十歳になって間もないころの記憶だ。そうなれば……眠っている筈の脳裏に、この先に起こる出来事が想起される。彼がこれを夢に見るのは、初めての事ではない。彼を苛む幾つもの悪夢の記憶、これはそのうちの一つに過ぎなかった。

 彼の傍らでは、一人の女が命の嘆願をしている。あれは……たしか、己の母であったか。必死の訴えも虚しく、彼女の胴を刑吏の剣が貫いた。母だったものは、呻き声一つ上げることなく、声を出す機能さえ失い、その場に崩れ落ち、動かなくなった。それは間もなく己に訪れる運命であると、幼い彼でも理解できたことだろう。

 この国では、武の才なき者は死ぬ。剣術、槍術、弓術……一定の年齢に達した時、どれが一つでも武芸に通じていなければ、法の下に裁かれる。最初の関門が十歳であった。リユウには、剣の才も槍の才も、一切の武器を扱う才能が認められなかった。故に今、こうして裁断の時を待っている。

「罪深き弱者が、なんと喧しいことか。なぜお前らはそうも弱いのだ」

 リユウは、刃を構える刑吏の呟きを聞いた。なぜお前は弱いのか――それは、何度も母が詰ってきた言葉であった。彼が生まれたときに父は亡く、母は二人の子供を失っていた。お前まで弱ければ今度は私も処されてしまう、だから強くなれ、強く、強く……そんな母の願いも虚しく、彼に武芸の才はなかった。そうして詰られ、殴られる日々を送った末に、今こうして彼は処刑台に立っている。

 苦痛が終わるのならば、ここで死ぬのがよいのかもしれない……そう思う一方で、納得できない己をこの時のリユウは自覚していた。なぜ己は刺され、死ななければいけないのか。ここで死んだ他のやつらも、死ぬ理由があったのか? 首枷に妨げられない範囲で、彼は刑場を見渡した。無造作に転がされた死体はどれも、大した価値があるようには見えなかった。そんな無価値な死体の山の中に、リユウの母の亡骸もあった。

「せめて、向かってくる気概があればよかっただろうにな……!」

 刑吏がついに、振り上げていた刃を下ろし始めた。そうだ、母はなぜ己にしたように、拳を彼らにぶつけなかったのか。まるで、弱者が強者と戦ってはいけないような、そんな絶対的な法則が今までの人生にあったようで、そんな世界が彼には嫌で嫌でたまらなかった。無茶苦茶にしてやりたかった。

(向かってくる気概か。ならば見せてやろう)

 両の腕に力を入れると、首と手をつないでいた枷は驚くほど簡単に壊れた。呆気にとられる刑吏に向かって、すかさず彼は殴りつけた。いまだ、世界の誰にも放ったことのない拳を。未だ使ったことのない、彼の最後の武器を。

 ――そして、世界が変わった。


 ◇ ◇ ◇ 


 その日は、波乱の一日となった。ゴミ山の荒野に、怪物が出現したのだ。


 灰白色の身体を持つ、翼持つ大型生物。これまで対峙したことのないリユウには分からなかったが、それは機械で出来ている竜であった。騒ぎを聞きつけて彼が駆けつけた時、ちょうどその怪物が辺り一面に火を放っていたところで、管の中に逃げようとする住人と入れ違う形となった。その中の一人――給仕係のビュラがリユウに気づいたようで、声をかけられた。

「アンタ、何外に出てんだい! 早く避難しなよ」

「あれを放置するわけにはいくまい。おれが倒してやる」

「そんな身体で何ができるっていうのさ!?」

 ビュラは彼の身を案じていた。そういえば、ここで拳を振るったことはなかったなとリユウは思った。

「できることをやるだけだ」

 そうして、ビュラの静止を無視して彼は怪物へと向かい合った。とはいえリユウはたった今職場の管から出たばかり。怪物とはかなり離れており、一方で竜の方は、火球によっていつでもリユウを仕留められる距離である。誰が見ても圧倒的不利、無謀な対峙としか思えない、そんな状況であった。しかし、リユウはその場から一歩も動かず、右拳を固め、引き絞るように構えた。そして距離を縮めることなく、放った――空振りの一撃を。

 一体彼は何をしているのか? 怪訝に思ったビュラたちであったが、その困惑は一瞬の後に驚愕に変わった。まず起こったのは、竜付近の瓦礫が巻き上がる現象。まるで下から巨大な重機で巻き上げられたかのように、山を築いていた大量のゴミが飛び上り、ゴミの雲が出来上がった。そして一瞬の後、それらは、爆ぜた。巻き上がったものだけでなく、大地を形成していたゴミが次々と破裂し、黒く汚い火花を散らす。まるで連鎖するように発生したのは、爆発の現象であった。その凄まじさに怪物は吞み込まれ、見えなくなった。

 激しい爆裂音がしばらく続く。あまりの衝撃と飛来する塵から目を守ること十数秒。視界が晴れ、目に飛び込んだのは、果てしないゴミの荒野のただ中に、大きく十字状に抉られるようにできたゴミ山の溝であった。ゴミ山の底……大小さまざまな種類の管が無数に絡み合ってできた、ツリーラインズ本来の大地の姿が露出していた。最も、それが原始の姿だと、果たしてここにいる住人たちのどれだけが知っていたことだろうか。

 幾つかの管が上向きに開いていて、そこからゴミが絶え間なく湧き出てていた……が、築かれた溝の高さと範囲に比べれば毎時ごとに増えていくゴミの量などたかが知れている。例えるなら、干上がりきった湖に対して、バケツを水を足していっているようなものだ。それだけの深い溝が、一瞬にして形成された。リユウの一撃によって。

「………………なんだと」

 だが、今度はそのリユウが驚いた。溝の底から怪物が飛び上ったのだが、その灰白色の身体に一切の傷を負ってはいなかったのだ。かつて千の軍隊を一撃で消滅させ、あるいは己の何倍の背丈もある将軍を屠った拳である。それが聊かのダメージも与えていないとなると、果たしてこの怪物はいかほどの頑強さを誇るというのか。

 怪物は激高したようで、一瞬大きく飛び上ると、翼と一体化した上腕から、爪を分離させ飛ばしてきたのだ。凄まじい速度と回転を備えたそれは死のブーメランであり、常人の目には捉えきれないほどの速度で、かつ複雑な軌道からリユウめがけて飛翔していた。当然のようにこれを見抜き、回避を試みていた彼であるが……。

(軌道が変わった……?)

 如何なる原理か、すでに放たれている筈の爪が突如拡張されたように伸び、そしてリユウの回避先に先回りするよう大きく軌道を変えていた。仕方なく、リユウは指で止めようと試みたが、触れた途端に斥力が生じ、彼の腕は弾かれた。ならばせめてと首を捻ると、ブーメラン爪は彼の頬を大きく切り裂き、不満足とばかりに持ち主の翼に接続された。

「随分と、変わった化物のようだな」

 リユウは再び拳を構えながらも、心のうちでは死を覚悟した。己の拳が通じない無常感が、かつて彼に立ちはだかったものを想起させたのだ。これはおれの手に余る。なにか、他に手があれば。あるいは、己に別の力があれば――。



「スゲェな、これお前がやったのか?」

 その時、飛び降りるように彼の横に現れたのは、ナットであった。



「最初に会った時言ったよな、お前は俺に勝てないって。おンなじ理由で、お前はアイツに勝てねえんだ。ここから先は俺に任せてくれよ」

 ナットは腰のケースを開け、そこから数十枚の札の束……魔札の束を取り出した。彼の登場に気づいたのか、コロニーの住人達は一斉に彼を応援する。

「ナットさん! とっととそいつをやっつけておくれよ。今晩お酒出してやるからさ」

 声援の中にはビュラの姿もあった。ようしと声を上げ、彼はリユウに言った。

「よく見ておけよ。これがこの世界の戦い方だ」

 彼が一枚の魔札を掲げる。すると、吹き飛ばされていなかったゴミ山がおもむろに動き出し、周囲のごみを巻き込んで大きくなり……そしてとうとう、とてつもない質量となって彼の背後に現れた。リユウは振りむき、驚愕した。それは彼がこれまで対峙したモノの中よりも遥かに大きい、まるでゴミでできた巨人だったからだ。

 

「蹴散らせ! 《屑鉄のタイタン》!」

 ゴミの巨人は青い瞳を光らせると、そこから強烈な熱線を放ち、瞬く間に怪物を焼き滅ぼしてしまった。そうでなくても、質量の差は歴然である。たとえ踏みつぶしていたとしても、勝負の結果は変わらなかったであろう。ともあれ、リユウの攻撃ではびくともしなかったそれを、ナットの巨人はただの一撃で倒してしまった。

 呆気にとられるリユウの頭上に、ひらひらと何かが落ちてきていた。反射的に彼はそれを掴もうとしたが、横からナットがかすめ取っていった。そして彼は一瞥をおいてから、コロニー住人たちに向かって言った。

「念のため周囲を確認する。お前ら、安全が確認されるまで外に出てくるなよ。リユウ、お前もだ。ああ、それともし魔札を見つけても絶対自分で拾うんじゃねーぞ。よし、それじゃ、各自解散だ」

 住人たちはナットに感謝を告げながら、己の持ち場へと戻っていった。ゴミ山の外で仕事予定だった者たちは、今日の仕事が休みになったことを素直に喜んでいた。リユウは、ナットが魔札を取り締まろうとする様子が気になっていたが、己の傷を手当したかったので、すごすごと医務室へと入っていったのであった。


 ◇ ◇ ◇ 


「おい、見たか」

 管の影で、三人の男が話し合っていた。

「あの新入り、魔札使いじゃねえのに滅茶苦茶強ェじゃねぇか。このままじゃ先越されちまうんじゃねえか」

「いいや、ナットの態度を見たか? あいつ、リユウに魔札をくれてやるつもりはなさそうだぜ。もしかしたら、俺たちを魔札使いにさせてやろうって気は鼻からなくて、永遠に俺たちをこき使う気なのかもな」

 それはタックル、シーブ、ボロックの三人である。上層から付き合いのある彼らは時折人目につかないこの場に集まり、誰かに聞かれたくない話をする習慣があった。偶々、この日は騒動を重なっていたが。

「だが、おい。見てみろよ。これ」

 タックルは懐に手を入れ、なにかを取り出す。それを見た取り巻き二人は驚愕の声を上げかけ、すぐにタックルが制した。

「気持ちは分かるけどよ。いいか、声は立てるな。こいつはチャンスなんだ」

「でもよ、こんなもんどうやって手に入れたんだ……?」

「さっきのバケモンが倒れた時、ひらひらと宙を舞って、こっちにも落ちてきたんだ。ナットの奴、間抜けな野郎さ。魔札は2枚あったんだよ」


 タックルは不敵に笑い、言った。

「決行は今夜だ。今夜、こいつを使って、俺たちみんな魔札使いになってやろうぜ」



【続く】

 

 

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