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【逆間区物怪会合 #コロナワクチン陰謀論の怪】
某県と某県の境に位置する、それなりに栄えた街、彩河(あやか)市逆間(さかま)区。ショッピングモールと直結した彩河駅から離れること20分、妙に閑散とした賃貸住宅区をぐるぐるとさまよい更に10分ほど進んだ先に、人知れず営業している居酒屋がある。
既に丑三つ時を回っているというのに、店内からは明かりと甲高い笑い声が漏れている。その様相は、店の古びた外観とは対照的であった。かなり昔に建てられたのだろうか、風が吹く度に木造の建造物はガタガタと震え、ぶら下げられた提灯は今にも何処かに吹き飛んでしまいそうだ。そんな店外の様子など知らぬとばかり、ボロ屋からは絶えず姦しい話声が漏れ続けていた。
そんなうらぶれた酒屋の前に、新たな客人の姿あり。背丈は小児ほどに低く、ブロンドのショートヘアと、桜色のワンピースと合わせ、一見すると、ドールハウスからドールがそのまま歩いてきたような風貌であった。眼前の古びた居酒屋とは明らかに釣り合わぬその者は、しかし慣れた足取りで店先に立ち、背伸びして取っ手に手をかけ、建付けの悪い扉をゆっくりと開けた。
「……らっしゃい」
女児めいた来店者を、陰気で冷たい声が出迎えた。その声は、カウンター越しに立つ店主である。店主は俯いたまま何らかの作業に没頭しており、その表情は伺いしれない。
「この店、そろそろ自動ドア付けてくれない?」
来店者は1つ文句をつけるも、店主の対応は気にならぬ様子で、そのまま座敷席まで歩いていく。店内は外観よりは広く見えるが、中の客は座敷席で騒ぐ一団のみであり、女児客はすぐにその集団を見つけることができた。集団の側も新たな来客の存在に気づいたようで、「おーい」と手を振っている。
女児は集団の元に歩むより、こう告げた。
「もしもしあたしメリー、くっそ暑い中歩いてきたわよ」
女児……メリーはそう言うと、靴を綺麗に脱ぎ、座敷席にちょこんと座った。既に座敷には三人が座っていたので、丁度四人目という事になる。
「おせーよメリーさん、アタシら1時間前から呑んでんだぜ。もうとっくにできあがっちまったよ……あっ、店長、生4つお願い!」
甲高い声を上げる、OL姿の女性。背丈は4人の中で最も高く、一見して最も馴染んでいるようだが……否、その口は耳元ほどまで裂けており、口元から覗く歯は鮫めいて尖っていて恐ろしい。一見狂暴そうに見える彼女は、唐揚げを食べるのと、手元のスマートフォンを弄るので忙しい様子だ。
(((こうして今宵も集えたのだから良いではないか、口裂けよ)))
「くねくねさん」
くねくねさん、そう呼ばれた存在は――四人の中で最も人ならざる姿をしている。その姿は絶えず変化し続けており、腕が生えていた場所に脚が生えたり、眼があった場所にいつの間にか口が現れていたりと、とにかく名状しがたい。加えて、彼の声はテレパスのように聴覚以外から聞こえるものである。
(((ときに、食事時に機械類を弄るのは如何なものであろうか?単に余人の気を害するのみならず、不注意による機械の故障を招きかねん。大人しく懐にしまう事を勧めるぞ)))
「分かった分かった、くねくねさんは手厳しいな」
くねくねに咎められ、口裂けは大人しくスマホを仕舞った。不定形存在は器用にビールを呷る。
「そうですよ口裂けさん。メリーさんの住まいはここから離れてるんですから、遅刻してしまうのも無理のないことです。それよりも、私の前でスマートフォンを操作するなんて、なにかの当てつけでしょうか?私の住まいにはコンセントがありませんし、普段は離れる事もできませんから、スマートフォンはおろか、電子機器全般が持ち込めません。前回も話しましたよね?その前も話しましたよね?私の状況や言葉なんて、どうでもいいという事でしょうか?それとも私のことを軽んじても、どうせ後で水に流してくれるとでも思っているのでしょうか?トイレの花子だけにって、ははっ……」
「悪かった、悪かったって!機嫌直してよ花子ちゃん」
口裂けが必死に謝り倒している相手、花子ちゃんはクラシックスタイルな女子高生のようである……おかっぱ髪から覗くひどく陰険な双眼を除いて。表情はかなり赤くなっており、実際四人の中で最もできあがっていた。ぶつぶつと文句を呟きながら、その手はえんどう豆を丁寧に剥き続けて忙しない。
「あんた達はしばらく見なくても相変わらずね……あ」
そうこう話しているうちに、卓上には生ビールが4つ置かれていた。店主が持って来たのだろう。また、空グラスと空になった皿が同時に卓上からなくなっている。いつの間に入れ替えたのだろうか?メリーにはその瞬間を目撃できた試しがない。
「ほらほら、メリーさんも来たことだし、改めて……」
口裂けが音頭を取り、四人はグラスを掲げ、そして――
「乾杯!」
「乾杯」
「乾杯」
(((乾杯)))
四人の乾杯宣言のタイミングは全くのバラバラであった。そして、誰もそれを気にする事もなく、各々勝手にビールを呷りはじめた。口裂けが大きな口で一気に飲み干しているのに対し、花子はちょびちょびと飲んでは、既に赤面している顔を更に紅に染めていく。くねくねは絶えず位置を変え続ける口元に正確にグラスを注ぎ、そしてメリーは……胸元をはだけ、胸部のパーツを外し……露出した蠢く肉と肉の隙間にビールを流し込んでいく。
「あぁ……染みるわぁ……」
恍惚の表情を浮かべるメリー。ビールを浴びた肉の繊維が仄かに光沢を帯び、そこから伸びた数本の触肢がぴちぴちと元気に跳ね回っている。
このような異様な光景に対し、咎める者や驚く者は皆無であった。四者が四者とも明らかにこの世ならざる存在である様子であった。果たして、彼らはいかなる存在なのであろうか?
「それじゃ、再乾杯も済んだことだし……記憶が飛んじゃう前に、今日の議題を始めようか」
口裂けがそう告げると、他の三人はグラスをテーブルに置き、続きの言葉を待った。口裂けはカバンから1枚のレジェメを取り出し、テーブルの中央に置いた。ワンシートの上部にはゴシック体で次のように書かれていた。【物怪"コロナワクチン陰謀論"への事前対策会議】と。
1
物怪(モノノケ)。彼らの存在を示す記号、この世ならざる者たちを指す総称。”対策会議”が始まる前に、彼らについて読者諸君はいくらか理解しておく必要があるだろう。
物怪。妖怪、お化けともいう。人の世に蔓延る魑魅魍魎の起源は、ありふれた御伽噺なのだという。風評被害、都市伝説、陰謀論……インターネットが世界を覆い、ソーシャル・ネットワーキング・サービスが全人類を繋いだこの現代においても、人々の空想への畏敬と憧憬が途絶えることはなかった。そして、共有・拡散された想像の集合意識を基盤とし、新たな物怪が誕生するのだ。
通常、物怪が自我を獲得するまで、個体差はあるが、少なくとも数週間、長くて数年の期間を要する。それまで自我未獲得の物怪は、元となったフォークロアを本能的に再現しようとするのだ。メリーの場合は悪戯電話を繰り返していたし、口裂けは不審者行為に明け暮れていた。
居酒屋に集まったメンバーなどは、起源そのままの容姿と性質を持って生まれ、自我獲得まで都市伝説のルーチンを繰り返してきた、いわば分かりやすい部類である。これに対し、SNSを起源とする近年の物怪は、元のフォークロアからどこか捻じれた発現をし、しばしば予想以上の影響を振りまく事がある。例えばこのような例がある。
2019年代後半、血液クレンジングというニセ医学が流行した。少量の血液を静脈から抜き取り、これにオゾン化物を入れて体内に戻す事で疲労改善するというものだ。実際には効果がないどころか、一度体外に出して凝固した血液を戻すリスクが生じるので、控えめに言って推奨されない行為である。時のインフルエンサーがこぞって宣伝を行ったために、この血液クレンジングは流行し、一定の信仰と嫌悪を獲得し……そして令和の吸血鬼が誕生した。
物怪"血液クレンジング"は、一見普通のナースであるが、その性質は悪魔めいていた。無防備な患者の元にふらりと現れると、血液検査と称して注射針を突き刺し、鮮血よりもなお赤い謎の液体を全身の血液と入れ替えるのだ。液体は血液の代替になりえないので当然患者は死亡する。血液クレンジングは自我獲得まで様々な医療機関を転々としたため、全国各地で彼女の犠牲者が生まれる事態となった。
自我獲得を果たした物怪コミュニティにとって、こうした物怪被害は脅威である。自分たちはいわば信仰によって成り立っている存在であるため、認知している者たちがいなくなれば必然的に物怪側も消滅する。より極端な話だが、物怪の脅威によって人類が絶滅してしまえば、物怪も全滅してしまうのだ。そのため、物怪コミュニティは未曾有の物怪被害から人類を守る必要があるのである。
ここ逆間の場末で行われている会議は、無論そうした対策活動の一環だ。現在流行っている都市伝説や風評、陰謀論などについて、物怪化した際にどのような存在になりうるのかを話し合い、取り得る対策方法を講じる機会なのだ。彩河市に住まう物怪たちの中でも取り分け”人”に近しい者たちが参加するのが通例となっている。即ち、メリー、口裂け、くねくね、花子……の4人である。
今回は直近に行われた会議、2021年7月某日に行われた会議の様子である。
2
「ところで、議題のコロナワクチン陰謀論とは何ですか?」
書類を見ながら、花子が質問する。軟骨唐揚げをつまみながら、口裂けが答える。
「そこからだよな。まず、新型コロナウイルスは分かるか?」
「それは流石に存じています。去年くらいから流行し始めた病でしょう?住まいの学校が休校になったり、皆マスクをするようになったので、私の見る風景も大きく影響を受けたものです。……それで、ワクチンというからにはその予防なのでしょう?陰謀とは、どういうものなのでしょうか?」
「想像しにくいと思うけどな。治療薬とか予防薬が出ると、人って効果を疑い始めるんだよ。勿論全員が全員ってわけじゃないけど」
口裂けの返答に続き、今度はメリーが口を挟む。
「病気に効かない程度ならまだ良いんだけどね。服用すると健康を害するとか、身体によくない変化が起きるとか、病気自体が製薬会社が蒔いたものだとか……そういう、突飛な発想をする人間も少なくないのよ」
(((然り。今回の議題の件も、極端な想像に端を発する陰謀の類である)))
「成程、物怪化するとそれらの想像が具現化しかねませんね。続けてください」
花子が続きを促すと、三名は再び空になったグラスを置いた。
「陰謀論の内容な。コロナワクチンを接種すると、様々な変化が訪れるらしい。曰く、5G電波を受信するようになるとか、身体が磁力を帯びるとか」
「DNAが変更されて、管理されちゃうとかね」
「そうそう。他にも不妊になるとか、数年で死ぬとか、トラックに轢かれて異世界に転生するとか……」
(((最後のは完全にフィクションであろう)))
「とにかく、色々と起こるんだよ。陰謀説上では」
陰謀論の数が多く、花子は困惑した。特に、5G電波とやらの意味が分からない。
「……それで、一番支持されてるのはどの陰謀論なのですか?」
「一番恐れられているのは"打ったら死ぬ"、かしら」
(((陰謀が実体を得るには、知名度のみならず、説自体への信仰が不可欠である。その点、死亡説は申し分ないと言える)
「私もその説だと思うな。”接種したら死ぬワクチン"、いかにも都市伝説らしいじゃん」
「確かに、最も請求力がありそうですね。何しろ、命に関わりますから」
全員の納得を確認し、口裂けはレジェメの余白に『死亡説』と大きく書いた。時を同じく、卓上に冷やしトマト、だし巻き卵、焼き鳥盛り合わせがポップする。くねくねがトマトを食し始めた。
(((あくまで危険なのは、これから物怪化すると仮定される”コロナワクチン陰謀論”である事だ。陰謀が実を結んだからといって、既に摂取されたワクチンが変化するわけではない)))
「そんな事になったら、流石に打つ手なしね」
(((然り。なので我々は、あくまで物怪としての性質を予想し、対策しなければならないのだ)))
「死亡説の信仰者の思想では」
だし巻き卵を食べ、花子が切り出した。
「彼らにとって、ワクチンを推進している医師や団体が凶悪な存在に見えるのはないでしょうか。そのイメージが基になるわけですから、物怪として実体化するのは、死の注射を振りまく狂気の医者(マッドドクター)のような存在になるのではないか、と」
「血液クレンジングの時も似たようなケースだったしね。あり得ると思う」
もも肉を食べながら、口裂けが肯定する。
「あの時、結局どうやってアイツを捕まえたんだっけ」
「あたしが頑張ったんだけど?」
メリーがムッとした。
(((物怪の中でも、とりわけメリーさんの追跡能力はぐんを抜いているからな)))
「そもそもあたし、捨てた主人を特定してイタ電して追い詰める都市伝説だからね。相手がどこに引っ越そうと、どこまで逃げようと、国内までなら探すことができるわ」
「メリーさんが彼女の居場所を特定して、後は腕っぷしの強い物怪数名で取り囲んで、なんとか捕獲できたんですよね」
(((物怪としては強力な膂力や特殊な能力を持つわけではなかったからな。行幸であった)))
「今回のワクチン陰謀論の場合はどうかしら?殺人ワクチンを刺すだけなら、特殊な力は持たないように思えるけど」
砂肝を食べながら、口裂けが考え込んだ。
「……ある、かも。特殊な力」
「どんな力よ?」
「……磁力」
「え?」
「陰謀論の候補にもあっただろ?ワクチン接種で磁力がつくって。合衆国のSNSが発端だったと思うけど、動画が拡散されてかなり拡散されたんだ。勿論皆がみんな信じてるわけじゃないけど、あれだけ拡散されたんだから、それなりに信仰も得てるんじゃないかって」
複数の串を串立てに突っ込み、口裂けが勢い込んだ。
(((複数の陰謀論が融合するという事か。あり得ない、と断定する事はできないが……)))
「対策会議なんだし、想定するべきだと思うな」
ビールを呷り、口裂けが鋭く言った。
「つまり、物怪”コロナワクチン陰謀論”は磁力と電波と殺人ワクチンを操るマッドドクターなんだ」
……しばし、沈黙がこの場を支配した。突拍子もない話だが、アルコールによる判断力の低下と、口裂けの勢いが相互作用し、マッドドクター説は否定しがたい一説として受け入れられたのだ。かくして、想像が産んだ最強のクリーチャーが君臨したのであった。
3
「……で、磁力を操るって実際どの程度操れるのかしら」
疑問を呈したのはメリーだ。
「メインの能力じゃないんだし、案外大したことないんじゃない?」
「陰謀論の発端となった動画ではどのようなものだったのですか?」
「マグネットチャレンジとか言って、肩に磁力が引っ付く程度だったかな?」
「それ、大したことないんじゃない?」
「小さい金属なら幾つもくっつけられるんじゃないでしょうか?」
鰺フライを食しながら、口を挟んだのは花子だ。
「先ほど口裂けさんが仰った通り、想定するならば強力な相手に設定しておくべきではないでしょうか。例えば、複数の金属を集めて腕を作るような……ユースタス・キッドみたいな」
「ONE PIECEか。花子さん読んでたんだ。っていうか、何処で読んでるの?」
「小学校の図書館に置いてあるんですよ……ほら、私トイレがある施設内ならある程度移動できますから」
「そっか、図書館に置いてあるんだ。最近の小学校凄いな」
「学校の気風や地域性にもよるのでしょうが……兎に角、金属の腕は脅威じゃないですか?壊されても、磁力が続くならまた再生しますし」
「その分脆そうな気がするけど」
「金属の腕だし、普通にかち合えば素手よりは確実に強そうだけどな」
(((フィクション的過ぎではないか?金属の腕は)))
「……確かに」
渋々と花子が認めた。
(((そも、物怪の性質として発現される磁力が、自然科学の範疇であるとは限らぬ。我々物怪は容易にそうした法則を逸脱するものだからだ)))
「引力とかそういうタイプ?」
「人をそのまま引き寄せて、動けなくなったところに殺人ワクチンをズブリ……うん、それはそれで凶悪そうだな」
「殺人……ワクチンというのは最早正確ではない気がしますが……とにかく、その注射攻撃を受けたら、物怪といえど唯では済まない可能性がありますね」
「引き寄せられたら終わりって事ね。どう対抗すればいいのかしら」
「確保するには近づかなければならない。しかし、迂闊に近づけば引力を受けてそのまま注射されてしまう。厄介な物怪ですね。……そういえば、電波を操るという能力もあったと思いますが、どういうものなのでしょうか?」
「どこからでもインターネット出来るって事じゃない?」
「いや、5G電波の陰謀論は、電波自体が人体に悪影響があるっていう前提があるんだ。5Gがコロナを引き寄せるとか、癌になるとか、そういうのがさ」
「つまり、電波を飛ばす事自体が攻撃になるのですね」
「むかし毒電波って言葉があったじゃない?まさに当てはまるんじゃないかしら」
(((昔はインターネットそのものが不信の対象であったからな。普及した現代であっても、常ならざるものに対して疑心を巡らせる者は少なくないということか)))
「技術に対する不信感が、何かしらワクチンと結びついて爆発したみたいだよね」
チキン南蛮を食べ終え、口裂けが言った。
「まとめると、引力と毒電波を操り、殺人注射してくるマッドドクター……ってところだよね。どう対抗したらいいかな」
一瞬の沈黙。空想のクリーチャーは能力を増し、ますます強大化の一途を辿っていた。卓上には何杯目かも分からぬビールが置かれた。
「引力と、電波でしょ。何処かであった話だけど、アルミホイルで防御できるんじゃないかしら」
(((ティンホイル・ハットというものだな。アレは思考盗聴や洗脳に対する防御策であった気がするが……)))
「別の陰謀論が発端だし、今回のワクチン陰謀論には効かないんじゃないかな?」
「難しいわね……」
アルミ箔を頭部に巻くティンホイル・ハットは、20世紀前半から考案されたもので、意外にも長い歴史を持つ。しかし、逆に言えばそれだけ長期間の間人々に訝しまれてたものであり、物怪の世界にあっても当然何ら防御力を持たないのである。
「毒電波や引力も、元々はワクチン接種による効果ですよね。使用する為には特定の注射を自分に摂取する必要があるのではないでしょうか?その隙を与えずに確保するとか、隙を突くとか、方法は様々にあるのではないかと」
「良い案じゃない?八尺さんとか、素早い物怪であたれば対策できるかも」
「うーん、マッドドクターが常に毒電波と引力の元を自分に注入してたら難しいと思う。ほら、チューブとか繋いでさ」
(((何でもありか)))
その後も対策案が良くも上がるも、その度口裂けを中心とした反論が上がり、マッドドクターの強固な牙城を崩す事はなく、時間だけが刻々と過ぎていった。それに伴い、卓上から料理が消えていき、ビールのみが置かれるようになると、加速度的に酩酊が進んでいき、各々の意見もより支離滅裂と化していく。
この混沌の会合は、永延に続くようにも思われたが――
4
議論は何巡にも踊り、時刻は既に6時を回る。とっくに上がっていた太陽がボロ屋の隙間から零れ、物怪たちの奇妙な議論場を照らした。はじめは積極的に議論していた4人も、次第に勢いを失っていき、今ではほとんど言葉を発さず、いつの間にか置かれていたお冷を飲んでいる有り様であった。
(((……今更な話だが)))
くねくねが切り出した。
(((そも、物怪が産まれる為のイメージの源は、陰謀論を信じる人々の思念のみならず、陰謀論を信じぬ者たちも含まれているのだ。血液クレンジングの場合、似非医学を嫌悪する人々のイメージがあれだけ狂暴な物怪を産んだのだと推測する)))
「……つまり?」
口裂けが結論を促す。その声は既に覇気を失っていた。
(((今回のコロナワクチンの場合、既に摂取が進んでいるため、摂取したが安全だったという人々は日増に増えている。つつがなく摂取が進んでいけば、コロナワクチン脅威論は徐々に衰退し、そもそも物怪自体が産まれないやもしれぬ)))
長時間の飲酒と議論。体力の突きかけた物怪たちにとって、くねくねの理知的な発言は福音ですらあった。
「このままでも問題ないということですか?」
(((否。摂取が進むにつれて、今後更なる否定派が現れよう。我々にできることは、彼らの仕掛けた罠に嵌る哀れな人々が1人でも少なくなるように努力すること、ゆくゆくは陰謀論者にとってコロナワクチンが金にならない空気を作り上げていく事であろう)))
「SNS活動って事ね、まあ、小さい事しかできないけど」
スマートフォンを振り、メリーが力なく笑った。くねくねが頷き、皆一様に同意を示すと、口裂けが書類の下部に諸々の会話を纏め始めた。
一つ、ワクチン陰謀論が強大化するととんでもない化け物になること。二つ、対抗するにはワクチン接種者が増える必要があること。三つ、彼らを安全に増やす為にも、陰謀論が蔓延らない空気を創っていくこと。特に後者が重要で、万が一ワクチン供給が滞り人々の不審が増せば、恐ろしい物怪が誕生する恐れがある。そうならない為の努力が必要だ。
「空気を作るっていっても大変だけどな。とりあえず、ワクチン接種したとか、摂取のために休んだとか、そういう投稿でもしておこうかね」
「ワクチン接種が進んでいけば、私が住んでいる学校の生徒にもいずれ行き渡るでしょうね。その頃には、気兼ねなく休める空気が出来ているといいのですが……」
「副作用は結構ヤバいらしいけど、ケアする方法も飛び交うようになったらいいわね」
(((幸いにも、人の社会に近いところで生きる物怪は他にも多数いる。彼らの協力を仰ぎ、僅かでもワクチン接種に肯定的になるような発信を拡散していくことが肝心であろう)))
くねくねの意見に皆賛同し、口裂けが議事録を纏め終えた。かくして、物怪"コロナワクチン陰謀論"への事前対策会議は幕を降ろしたのであった。
この先、コロナワクチンに対し肯定的な発信が活発化していくだろう。読者みなさんのSNSにもそうしたものが飛び込んでくるかもしれない。もし見かけたならば、微笑ましく見守っていただくか、是非拡散してあげてほしい。もしかしたら、彼らは強大な脅威を封じ込めるために、ワクチン推進を発信しているかもしれないからだ。
そして願わくば、世に蔓延る様々な言説に惑わされず、機会を見つけてコロナワクチンを接種していただきたい。そうした人々が増えていくにつれて、世界はまた一歩、平和に近づいていくのだ……。
5
会議終了からしばらく経ったころ。会計を済ませ、少し休んだ事で物怪たちの体力は僅かに回復していた。
「それでは、お手洗いお借りしますね」
花子は一礼し、狭い個室トイレへと向かった。厠神である彼女はトイレを経由する事で移動しているのだ。
「私らもそろそろ上がろっか」
伸びをしながら口裂けが言った。お開きの時間だ。
居酒屋を出ると、突き刺すような夏色の光。2021年7月半ば。ちょうど梅雨が明けて酷暑が始まった時期であった。
「暑いね……んじゃ、私こっちだから。また次の会合で」
口裂けは陽気に笑うと、新しいマスクを着け、手を振りながら去っていく。服装も相まり、その姿はごく一般的なOLのようであった。
(((此度の会合も中々に有意義であった。さらばだ、メリー)))
くねくねの体色がだんだんと背景と同化していき、やがて見えなくなった。彼の姿は常人の正気を容易く破壊してしまうので、普段彼はこうして透明化して行動しているのだ。
さて、居酒屋の前にはドールめいた少女ひとり。スマートフォンを一弄りすると、観念したのか、日光突き刺さる帰路を歩み始めた。
入り組んだ住宅街を、右に、左に、もう一度右に。人一人いなかった道幅も、彩河駅に向かうにつれてサラリーマンや学生らで埋まっていく。やがて住宅街を抜けると、どこから合流したのか、辺りは駅に向かう人の群れで溢れていた。皆一様にマスクを着けているが、それ以外は様々であった。遠目で見れば、さぞ面白い模様が浮かぶであろう。
ドラッグストア、コンビニ、カラオケ、休業中の張り紙が貼られた店舗……いくつかの建物を眺めながら歩いていると、流行りの曲と蝉の鳴声が奏でる見事なアンサンブルが耳を刺激する。今年も更に暑くなろう。メリーは物憂げな気分になった。物怪でもやはり暑いものは暑いのだ。
そうこう歩いていると、喧噪に負けじと張りあがる声にメリーは気づいた。聞き覚えがあったのだろうか。メリーは立ち止まり、声の主を探した。幸い、すぐに主は見つかった。
「献血のご協力お願いしまーす!コロナ過でも多くの献血が必要です!ご協力お願いしまーす!」
声の主は、プラカードを掲げた女性であった。献血会場への案内が書かれている。多くの者は無関心に通り過ぎていくが、熱心さに打たれたのか、立ち止まる者も数名。女性の容姿はYシャツにスーツスカートと一般的なもので、特に不審な点はない。しかし。
(この子……血液クレンジング?)
記憶上のナース姿と、眼前の女性の容姿がメリーの中で一致した。彼女こそ間違いなく、かつて多大な被害を出した、物怪血液クレンジングそのものである。邪悪な性質に反し、幸いにも善良な自我を獲得した彼女は、その後病院には現れなくなったと噂では聞いていた。しかし、まさか血液センターのボランティア、ないし職員をやっていたとは。彼女はメリーの姿には気づかず、熱心に呼び込みを続けている。メリーは心の中でエールを送り、その場を離れた。
辺りを見渡すと、物怪は他にも紛れていた。Uber Eatsの鞄を背負って走るターボばあちゃん。店頭の水槽で気ままに泳ぐ人面魚。一目を避けて日陰を歩くメロンヘッド。眼前にいれば騒ぎになろうものだが、不思議と人々は彼らの存在に気付かず、駅へと歩いていく。物怪たちが真横を通り過ぎても、見向きする事さえないのだ。人々の無関心さが為せるものか、それともこの街が特殊なのか。メリーはその答えを知らないが、少なくともここでは、物怪と人は共存できる。彼女にとって、それは喜ばしい事であった。
「……ん」
物怪を探すのに夢中になり過ぎたせいか、懐で震える感覚にやっとメリーは気づいた。不満げにバイブ音を鳴らすスマートフォンを取り出し、耳に宛がい……
「もしもし、あたしメリー。今?ちょうど駅前で――」
通話をしながら、メリーはまた歩き出す。ブロンドの髪も、桜色のワンピースも、ドールのような可憐さも、雑踏の中に呑みこまれ、やがて完全に埋もれてしまった。突き刺すような陽光と、流行曲と蝉の合奏が、人と物怪が描くデカルコマニーを彩っていた。
某県と某県の境に位置する、それなりに栄えた街、彩河市逆間区。人と物怪が共存する、この奇妙な街の一日が、また始まった。
【コロナワクチン陰謀論の怪】終会
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