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【拳士の回生】8

【前回】



「おれは《炎の拳》を唱える。対象はそこの鼠だ」


 リユウの拳に火炎が宿り、突きと共に放射状に放たれた。その先にいたのは、妖術師の装束を纏う鼠である。鼠は咄嗟に杖を振るい炎の壁を生成するが、拳から放たれた火力を防ぐには不足だったようで、一瞬で火だるまになってしまった。


「てめぇ……!」

「これでおまえの場はガラ空きだ。二体の武人で攻撃!」

 リユウの場には、最初に出した《槍兵》とは別の生物が召喚されていた。中性的な顔つきをした棒術を扱う戦士である。武人たちは交差するように舞い、見事な武器捌きでタックルの結界障壁を攻撃した。

「ぐっ……痛ってェ……!」

 振るわれた槍が障壁の僅かな隙間を縫い、タックルの脇腹を抉った。致命傷には至らないものの、予想外の強烈な痛みに耐えかね、タックルがその場で崩れ落ちる。展開された障壁には至るところがヒビ割れており、次の攻撃は受け止められない事を示しているようであった。

「たった今攻撃を与えた《達人》の能力を使用する。新たな武人の魔札を手札に加え……そのまま召喚する」


 更に戦力を増やしながら、リユウには一切の油断がなかった。かつての、拳であらゆる敵を一撃で屠っていた頃から変わらないスタンスである。追い詰められた相手ほど、我武者羅にあらゆる手を尽くして反撃の隙を伺ってくるものだ。戦友からそう習って以来、彼は勝利際こそ常に最大の警戒を行うようになっていた。それが実ったことは今までは滅多になかったが……魔札の世界では、どうやら存分に活用できそうだと彼は感じていた。

 事実、タックルは狂気で痛みを抑え、ゆらゆらと立ち上がった。双眸はこれまで以上に赫々と輝き、低く呻き声を放つ様は、彼の扱う鼠そのものになったようである。しかし、凄まじき形相は紛れもなく邪悪な知性の籠ったそれであり、それまで無造作に振りまいていた憎悪のすべてを、今は戦いの相手のみに向けている。胸を突き刺すような嫉妬と悪意、敵愾心を一手に受け、リユウはむしろ歓喜を感じていた。

 互いに常人のままだったら。リユウが拳を無造作に振るい、それだけでタックルを倒せていただろう。だが、互いに魔札使いになり、決闘の元で戦ってみたらどうだ。非力だった者は全身全霊を振り絞り、すべてを賭して己を倒そうとしてくるではないか。驕っている余裕などない。こちらも全力を賭さねばやられる。かつて、神を倒したとき以来に得た、挑戦者という立場が、かつてないほどにリユウの胸を高鳴らせていた。

「さあ、おれは手番終了だ。どうする、タックル」

「どうするも、こうするもねェ。テメェを殺すんだよ、リユウ!」

 タックルは山札から新たな魔札を引き、ますます野獣的な笑みを深めて言った。

「最初会ったとき、訳も分からずテメェにムカついてた。ナットに贔屓されてるからだとあン時は納得していたが……違った。テメェは強者だ。生まれつき強い奴だ。俺がこの世で一番、嫌いな存在だ。だからこそ、テメェを殺す。そうしねぇと、ナットたちを殺してまでこの力を手にした意味がねェ!!」

 周囲に現れた黒い靄、その中から一匹の鼠が現れた。何者よりも小さく、しかし底なしの憎悪を眼に湛えた魔物。それはタックルの性質を投影した世界にただ一枚の魔札、すなわちアヴァターの魔札であった。


「もう一匹、手札の《溝川の騎士》を召喚……これで《レッドキャップ》は必殺の能力を得た。覚えてるよな?」

 必殺。それは生物に防御されずに結界障壁を攻撃した時、残る防御力に関わらず必ず障壁を破壊する、文字通りの一撃必殺能力である。攻撃すれば勝ちとなるシンプルな能力だが、当然攻撃を通すのは容易ではない。相手が魔札生物を出している限り、必ず防御されるのだから。

「テメェがそうして武人とやらを並べてるのも、ずっと《レッドキャップ》を警戒していたからだよなァ? だが、時の運は俺に味方したようだぜ……魔札発動!」

 

 魔札の発動と同時、決闘の前に吹き飛ばした筈の鼠の群れがリユウの周囲を取り巻き、武人たちの足を囲うように集合した。ダメージはないものの、これでは防御を命ずることができない。即ち、必殺が……通る。

「今度はテメェの場ががら空きになったようだな! ぶっ殺せぇぇェェェッ!!」

 タックルの号令と共に鼠が突撃を開始する。レッドキャップが手にする小剣が揺らめき、死神と見まがうほどの死の予感が過る。その時、リユウは咄嗟に魔札を構え――。


「遅ェよ!」

 レッドキャップの小剣が遂にリユウを突いた。時を劈いたような音が響き渡る。必殺が発動した証であろうか。致命の一撃を受け、彼の結界障壁は――破れなかった。

「な、なにが……?」

 小剣は、障壁の更に前で止まっていた。燃えるような闘気が、死神の一撃を押し留めていた。

「今度はおれのアヴァターの番だ。《紅蓮拳皇》。そういう名らしい」


 リユウは今や、呼び出した化身と一体となっていた。己が身にまとう事により、自身への直接攻撃のすべてはアヴァターへの攻撃となる。レッドキャップの必殺能力は対生物には適用されない。故に小剣は弾かれた。

「さっきの魔札で……アヴァターを呼び出しやがったのか。自分に纏うだと!? イカれてやがる」

 アヴァターの魔札。それは魔札使いが持つ唯一無二の切り札である。強力な効果を持つ代わりに強烈なデメリットも併せ持つ。それはアヴァターが破れた時、自動的に魔札使いも敗北となるという定めである。これにより、魔札使いはアヴァターの用途を見極め、慎重に運用しなければならない。ましてや、障壁に守られている己の盾にするなど、タックルには考えられない運用であった。

「敗けたら死ぬ状況など、おれにとっては当たり前だった。常在戦場。常に死は傍らにあり、常に勝って生き続けている。そうでなければ届かぬ地平が……届かない敵がいる。よって、おれは受け入れた。この化身を」

 紅蓮拳皇の立ち昇る闘気の揺らめきが、リユウの強さそのものであるとタックルは理解した。その気高さが、その煌めきが、その在り方が度し難かった。

「リユウッ!! 俺は――」

「そして、この決闘はおれの勝ちだ」

 レッドキャップ対、紅蓮拳皇。戦いはまだ続いていた。小剣を弾かれ態勢を崩した鼠に、リユウは、拳皇は拳を構え、放った。その小さな身体の核を目掛け撃ち抜いた、極めて正確な一撃であった。そして何より、鼠を貫通した後……観客たちはとてつもない大破壊を予想したが、それに反し攻撃の余波は、その後に吹き抜けた一陣の風のみであった。

 拳を引き抜いたリユウは、既に拳皇を解いていた。身体に孔が空いた化身はその場で灰となり、直後にその主が膝をついた。見やると、丁度レッドキャップと同じ位置に孔があった。アヴァターが受けた傷はそのまま魔札使いの傷となる。まさに敗北に直結する所以である。そのまま倒れかけたタックルを、咄嗟にリユウが抱きかかえた。



「俺は……俺は、お前みたいには生きれなかった」

 うわ言のようにタックルが言った。リユウは、黙ってその先を聞いた。

「シーブ……ボロック……俺みたいなチンピラより、ずっといい奴だった。なんで、こうなっちまった……魔札使い。俺がこんなんじゃなけりゃ、もっとまともな道もあったのかな」

 己を呪う男の目には、既に狂気はなかった。

「それでも……俺はこう生きるしかなかった。じゃなけりゃ……生きちゃいけなかったっていうのかよ。俺は何のために生きてたんだ」

 支えられたタックルの身体が、段々と質量を失っていく。足の末端から身体が無数の泡になり、消えかけていくのだ。これが魔札使いにとっての、死の瞬間だった。消えゆく彼の掌を、力強くリユウが握った。

「おまえの生と死の意味は、おれが見つける。あの世があれば、ナットに謝ってくるがいい」

 予想外の返答に、思わずタックルは笑った。

「なんだそりゃあ……お前、意外と、面白いやつだったな――」

 図らずも、それが彼の最期の言葉となった。もしもの世界、シーブとボロック、ナット達と一緒に笑い合う自分たちの姿を夢想しながら、タックル・ロープベルトは完全に消失した。無数の泡は風に乗るまでもなく上層へと昇っていき、すぐに見えなくなった。


「り、リユウーーッ!」

 勝負の後、駆け寄る者がいた。プーリである。最初にリユウを助けたのは、思えばこの少年であった。今度は己が助ける立場になったか、とリユウは内心思った。

「タックルの奴は結局どうしたんだよ!? お前どうして若返ってんだよ!? そ、それよりナットは……! ナットの奴はどうしたんだ。約束だろ、教えろよ」

 プーリは早口でまくし立てた。先ほどの激闘を見物させておきながら、一切の説明がなかったのだ。疑問が尽きぬのも当然のことだろう。

「いいだろう。まず昨晩、おれとナットが……大きな音を聞いたところから――」

 リユウは、突如酩酊感と共に視界が暗くなる感覚に襲われた。決闘の後遺症か? 魔札使いには何か明かされていないリスクがあるのか? 浮かんだ疑問も、次の瞬間には要領を得ない思考のノイズに変わっていく。ずいぶん昔に、こんな感覚になったことがある。そうだ。これは……眠気だ。

 気づいた時にはもう遅かった。リユウはその場で倒れ、意識は眠りの世界へと誘われた。

「おいリユウ、こんな道端で寝るなよ! 最後まで説明しろー!」

「まあまあ、随分疲れてたみたいじゃないか。起きてから改めて聞こう。ナットに、彼に何があったのかをね」

 文句を言うプーリと、彼をなだめるビュラ。二人の会話も、やがて昇った下層を照らす人工太陽の光も、リユウには当然届いていない。壁の到来から目覚めて以来、彼を苛んできた悪夢もどこかに消え去ったようだ。瓦礫の山に背を預け、拳士は数日ぶりの快眠に身をゆだねた……。



【エピローグに続く】

 


 


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