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【拳士の回生】5

前回


 クラウンシティで物心ついた時から、J.U.N.K.Sの連中が気に入らなかった。弱者を蔑むような連中だったらまだよかったかもしれない。善意で守ってやろうという目。その視線が、俺は気にくわなかった。

 やがて連中が魔札使いという存在なのだと知った。世界に囚われず、超常の力を行使できる存在。そんな奴らがツリーレイルの外に行かずにふんぞり返っている。非魔札使いを、自分たちだけじゃ自活できないと決めつけているんだろうか。俺はますます苛立ち、連中に一泡吹かせたいと考えた。

 J.U.N.K.Sにはボスの他に十人の幹部がいる。中でも一番取り入りやすそうだと目を付けたのがナットだ。拠点が最下層なので他の連中の一目につかないし、何より甘っちょろい性格。アイツを出し抜き、祭壇に辿り着く。俺はやってやったぞ。このまま目論見通り、魔札使いに――。

 ――プレイヤーと成ってどうする?

 決まってるだろ。俺が強者だって示すんだ。J.U.N.K.Sに力を認めさせてやる。俺が絶対的な強者だってことを。

 ――J.U.N.K.Sを滅ぼすのか?

 そこまで考えてねぇよ。そうだな。土下座してくるなら配下にしてやってもいいぜ。そうしたら俺がツリーを……。

 ――ツリーレイルを支配したいのか?

 例えだ、たとえ。なあ、さっきからうるせえよ。お前は一体だれなんだ? 

 ――目的を定めよ。理由なくして力は与えられない。心の扉を開くのだ。

 やめろ! やめ……俺の中に入ってくるな。俺はそんな事は望んじゃないなよなよした奴を言いがかりつけてぶん殴って目障りな奴らを倒して皆屈服させて俺俺俺だけの帝国帝国ていこここここ……

 ――嗜虐欲。闘争欲。支配欲。自己実現。

 剥きだしの自分が露わになるのが嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。見つめたくない省みたくない全部お前お前お前がお前が悪い何見てんだよこの発光する虹虹虹虹虹虹虹色の赤橙黄、緑青藍、紫…………光……。

 ――劣等感からの逃避。己を頂点とする比較のない世界の構築。当神は汝を理解した。



 ――プレイヤー、タックル・ロープベルト。汝の登録を承認する。巡礼者の旅路に、栄光があらんことを。



◆ ◆ ◆


「おい……ボロックの野郎はどうした? めでてぇ時だってのに」

 魔札の束をカットしながら、タックルが言った。

「アイツは……もういねえよ。だって、おまえが」

「ああ、そうだ。俺の鼠が殺したんだったな。魔札使い……こんなやべぇ力、お前らは手にしちゃいけねぇよ」

 シーブの返答を聞かず、タックルは一人合点したようだった。怪しげに輝く視線は元仲間には目もくれず、ただナットだけを睨めつけている。

「こうも変わるものなのか? 今のタックルは、見るからに邪悪だ」

 タックルの変わりように、リユウは驚いていた。内心に秘めた野心には勘付いていたものの、一方でこの最下層への愛着をも感じ取っていたからだ。若気の至りで規則を破ったとしても、決して友を殺めるような男ではないと、そう思っていた。その予想が裏切られた。

「……魔札使いになるにはな、動機が一番大事なんだ。それがブレてると、危ねぇ。誰もが持ってる欲求をほじくられて、理性のタガが外されちまうんだ。そういう奴を何人も見てきた。ああなったらもう、生ける災厄だ」

「そんな。どうにかできねえのかよ!?」

 シーブの悲痛の声に、ナットは顔を歪めた。彼らは幼少の頃からの友人であり、その事をナット自身も理解した上で最下層においていたのだ。

「稀にまともになれる奴もいる。でも、元通りってわけじゃねえ。何より、タックルが正気になるのを待ってる間に、お前らを危険に晒すわけにはいかねぇんだ。……悪い」

 腰のポーチから取り出した魔札の束。それをナットは一回転させた後、タックルに向けて掲げた。直後。両者の周囲に渦巻くような風が巻き起こり、リユウ達は思わず退いた。

「離れてろ、リユウ! シーブ!」

「ようやく殺る気になったかよ!? ナット!」

 両者を囲む力場がますます強くなり、祭壇の残骸を無惨に吹き流していく。壁や天井を構築する大小無数の管が悲鳴を上げる。壮絶な光景を前にリユウは感じた。今より行われる衝突は、まさに神話の決闘であると……!



「「衝突コンフリクトッ!」」

 決闘が始まった。両者の眼前に複数枚の魔札が浮かび上がり、彼らはそれを手に取りながら攻防を繰り広げる。タックルが魔札を唱える度に無数の鼠の軍勢が現れ、ナットが呼び出す機械兵隊がそれらを踏みつぶす。数匹潰れようと鼠の大群は一向に数を減じることなく、逆に物量によって機械兵たちを吞み込んでいく。

 唱えられる呪文めいた文言はリユウには何ひとつ分からない。しかし、これこそが現代の戦いなのだと感覚で理解した。両者の姿は童話に出てくる呪い師のようであり、一方で大軍を指揮する軍師にも似ていた。事実、両者の戦いは無軌道な総力戦ではなく、一定の法規の元に繰り広げられる頭脳戦のように見えた。特に、経験で勝るであろうナットの戦法は、傍目からでも先を読んで戦っているようであった。

「《鼠隊の増援》を唱える! これでテメェに潰された分の倍の鼠が――」

「出ねぇよ、対応だ。《機雷仕掛けの罠》」


 呼び出された増援部隊が即座に爆死する。更に、その残骸が飛来物となってタックルを襲う。結界障壁が直撃を防ぐが、その防御が次第に弱まっていく様がリユウにも感じ取れた。

「地上は固めた。テメェの鼠じゃ空は飛べねーよな? 追撃だ」

 

 空を飛ぶ機械が放つ青い光線がタックルの障壁へと放たれ、防ぎきれなかった光が彼の左肩を抉り取る。痛みに呻く彼の様を見れば、リユウに比べ戦闘勘を持たないシーブであっても、勝敗の天秤がナットに傾きつつあることが容易に想像できた。間違いなく、ナットがタックルを圧倒している。

 ナットは数百年を生きる歴戦の魔札使いである。その詳細な戦歴を観客たちは知る由もないが、J.U.N.K.Sのナンバー3として、これまで多くの強者を倒してきた。中でも最も輝かしい戦績は、ウォーレイズという世界で行われた闘技場大会にて成し遂げた二連覇の優勝記録である。強豪集う大会において、しかし実力でナットの右に出る者はおらず、小規模組織であった組織の名を世界中に轟かせるに至った。

 それほどの実力者が、たった今魔札使いになったばかりの新参に、そもそも負ける道理がないのである。何も知らないシーブからしても、今や実力差は一目瞭然であった。このままではタックルは死ぬ。ナットに殺される。

「残念だ、タックル。お前が本当に戦う理由を見つけたら、もしかしたら魔札使いになるのを認める日が来ていたかもしれねぇ……来なかったけどな」

「うるせぇ……俺はまだやられてねぇぞ」

 肩の傷を抑えながら、タックルが立ち上がった。その剣幕は、傷を受けた怒りを抑えているというよりも、はち切れんばかりの激情をむしろ痛みの自覚によってかろうじて繋ぎ止めているかのようであった。

「俺を見下すんじゃねぇ! 俺を見下ろすんじゃねぇ! ぶっ殺してやる。どいつもこいつも!!」

 狂乱と共に、タックルは一枚の魔札を掲げた。

「化身の魔札を唱えたか……」

 黒い靄が周囲を晦まし、中から一匹の鼠が現れた。赤い帽子を深々と被り、手には一本の小剣を手にしている。大柄なタックルの体格と比較するとあまりにも小さく、彼が他に使うどのネズミよりもひどく矮小であった。

「殺す、殺す、殺す……! 戦闘だ。全鼠でナットの奴を噛みちぎってやれ!!」

 大号令と共に、堰を切るように鼠の大群がなだれ込み始めた。その多くは機械兵に阻まれるが、総数の多さだけに防ぎきれない。何体かが機械の兵を逃れ、ナットへと迫らんとする……!

「その手の自暴自棄な攻撃も、何度も見てきてるよ」

 しかし、迫りくる怪物を前に、彼は平常そのものであった。長年の経験、潜り抜けた死線の数がそうさせるのか。

「場の《攻撃反射の機械兵》の能力。こいつを盾にして、テメェにダメージを反射する。終わりだ」


 機械兵の一体が輝いた。大多数を占める鏡のような装置を起動したのだ。強烈な光が鼠たちの目を晦ませ、その動きを鈍らせていく。更に鏡は輝くにとどまらず、強烈なエネルギーを収束し始めた。己の自壊と引き換えに、強大な攻撃を放とうとしているのだ。当然、それは致命の一撃である。

「…………ッ!」

 破滅の光を前に、タックルは息を呑んだ。力を手に入れても、上には上がいた。むしろ、力を手に入れた事でナットの強大さを自覚してしまった。手札には打つ手がない。攻撃を止める手段はない。即ち……敗北するしかない。魔札使いになった瞬間に息を止められる。この世界ではままあることなのだろう。心のどこか正常な部分が、素直に自体を受け入れようとしていた。


「待ってくれ!」

 その時だ。決闘の合間に割り込んだ者がいた。シーブだ。光線が発する熱で衣服を焦がしながら、タックルを庇うように立ち塞がった。

「バカ野郎! 死にたいのか!?」

 突然の乱入。隣にいたリユウも、咄嗟のその行動を止められなかった。

「死にたくねぇし、殺させたくもねえよ! 俺、もう魔札使いになりたいなんて言わない。だから頼む。こいつを殺さないでくれ……! 普段、こんな奴じゃねえんだよ。ガキの頃から……仲良くって……なあ、アンタならわかるだろ?」

 非魔札使いの男は、勇気を振り絞り懇願した。そして、タックルに向かって背中越しに語り掛けた。

「なあ、タックル。お前、もう反省しただろ? 逆立ちしたって今のお前じゃナットには勝てねえよ……だから、ここでやめよう。謝って、J.U.N.K.Sでやり直そうぜ」

 己をなだめる言葉を、タックルはしばし放心して聞いていた。元々思考が滅茶苦茶になっていたところに、不意打ちのように友人に庇われた。その様をシーブは肯定と受け取ったようだ。

「元々俺たちはJ.U.N.K.Sの力になりたくて、魔札使いになりたかったんだ。そりゃあアンタに認められたいとか、上の連中を見返したいって思いもあった。けど、こんな事は望んじゃねえよ」

「シーブ……」

 この時、ナットは力づくでもシーブを退かすべきだったが、彼の必死の剣幕が、判断力を鈍らせていた。そうして生まれた隙は……。

「……死ね。死ね。死ね! 俺を庇ってんじゃねぇ……テメェらまとめて死んじまえ!」

 タックルが判断力を取り戻すのに十分な時間だった。弾かれて以降態勢を整えていた鼠が再び動き出す。進路上にいるシーブをも巻き込む形で。


 リユウは今度こそシーブを引き連れ逃れようとしたが、伸ばした手が一瞬で搔き消えた。無数の鼠どもに齧られたのだ。痛みに顔を歪ませたのも一瞬、今度は身を屈めるように鼠の嵐の中に突っ込む。

「くっ……ぬ、ぬおおおお……!」

 四肢のいたるところが鼠に食いつかれ、痛みが走る。だが、大した傷ではない。もとより強靭な肉体、活動には支障はないし、二、三日もすれば治る。だが、そうして傷にまみれた先で、ようやく目にしたものは……。

「……………ばかな」

 全身の肉を貪り尽くされ既に亡き者になったシーブの亡骸であった。悲鳴一つ上げる暇すらなく、あれだけ勇敢だった男が、瞬く間に死んだ。これほど、これほど残酷なのか。魔札使いは。この世界は。

「バカ野郎……早く逃げろ!」

 ナットの叱咤の声で、リユウは我に返る。そして直後、すぐ頭上を機械兵の放った光線が掠めた。先ほどタックルに狙いを定めていた筈だったが、己を助けるために対象を変えたというのか。ならば、ナットの身はどうなる……?

 地面を這い、背中を幾つか齧られながら、なんとかリユウは死地を抜け出した。

「ナットは……ナットはどうなった?」

 振り向き、そしてリユウは見た。赤い装束の鼠の刃で貫かれた男の姿を。


「即死……攻撃かよ」

 確実にタックルを仕留めるべきだった。シーブ達を連れてくるべきではなかった。いや……そもそもこの祠に侵入させないよう、厳しく指導しておくべきだった。様々な要因が、生来の己の甘さが、実力差を簡単に覆し、己に敗北を叩きつけた。自嘲を浮かべながら、歴戦の魔札使いは倒れた。

「ハァ、ハァ……見たか、ナット。見たか、J.U.N.K.S。俺は、俺こそが最強の魔札使いだ! なあ、なんとか言えよ……俺を褒めろよ、ナット!」

 血の海に倒れた男に向かって、タックルは吠え続ける。

「なあ、シーブ。おい、ボロック! ちゃんと見てたか!? 俺は勝ったぞ! あのナットに勝ったんだ。なんで……なんで誰も何も言っちゃくれねえ……そうか、そりゃそうだ。俺が……クソッ、なんで……殺さなきゃいけなかったんだ俺は!」

 勝利の高揚が相まってか、彼の精神はますます錯乱していた。最早死者と生者の区別すら、タックルには曖昧であった。

「そうだ。俺がナットに勝ったんだから……この最下層は俺のもんだ。そうだよな、シーブ、ボロック……はははははっ! くそ、どけこのジジイ!」

 リユウの頭を足蹴にし、ぶつくさと呟きながらタックルは出ていった。こうして崩れた祭壇の間に残されたのは、少し前までシーブだった骸と、死に損なった男二人だけであった。


◆ ◆ ◆


「おい……生きてるか。リユウ……」

 刺された胸を抑えながら、ナットが暗闇に問いかけた。

「なんとか……なんとか生きている。ここまでやられたのは、100年以来だ」

 ややあって、応える声があった。呼吸は荒く、かろうじて息をしている声だった。

「そっか……無理も、ねえよな。お前、力すげーけど、本当は年寄りだもんな……」

 ナットの言葉に、リユウは何も言い返せなかった。今は鼠に齧られ紅に染まった髪も、つい一刻遡れば枯れ果てた白一色。単に魔札使いとの断絶があるだけではない。弱くなった。確実に。

「おれは……おれはこんな惨めな思いをするために……生き永らえたというのか。目の前で……死にゆく誰かを救えず……この手は誰にも届かない……」

 力なく掲げた腕の先に、もはや掌はなかった。

「なぜだ。なぜ……おれは生かされたのだ」

「知りたいか……リユウ」

 生を呪うリユウの慟哭は、そこで断ち切られた。

「もう俺も……ほとんど力は残っちゃいない。だが、最後の力を振り絞れば……お前に、力を託してやれる」

 ナットは己の懐から魔札の束を差し出した。血にまみれている筈の魔札は、不思議とそれを弾いていた。

「ヴァン・リユウ。この魔札を使って、魔札使いプレイヤーになってくれ」

 


【続く】

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IS
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