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【拳士の回生】6

【前回】


 リユウは残された左手で、崩れた祭壇を積み直していた。鼠に齧られた全身の傷が痛む。風が撫でるだけで崩れそうな有様であったが、そんな死に体でありながら、呻き声一つ上げることなく、元の形など構わず、ただ一心に残骸を積んでいた。

(便宜上、祭壇って呼んでるけどな……形自体に意味はねぇ。それがそういうもんだと、認識さえできりゃいい。おまえに任せるぜ、リユウ)

 ナットの言葉を心の中で反芻する。実際、元の形を見たわけではないので、端から再現は諦めている。そうして出来上がった形は、偶然にも突き上げた拳に似ていた。

「――。久遠の光よ……」

 悲鳴を上げたがる肺に空気を流し込み、リユウは呪文めいた言葉を発した。それは、ナットに聞いた、魔札使いになるための宣誓であった。

「法理の波よ。始原の三神を……ここに奉る」

(この世界は元々、三つの神が作ったらしい。光の神と、法の神。あとの一つは……よく知らん。こいつらを敬う必要はねぇ。祈られてるとか恐れられてるとか、神ってのは特に気にしないらしい。祭壇と一緒だ。そういうもんだと覚えときゃいいのさ)

「我は……探究の祈り手なり。泡界の端々を歩み、全天を知り行く者なり」

 教えられた呪文を唱えていく。リユウは記憶力に自信はなかったが、消えゆく友の言葉を忘れるほど耄碌はしていない。詠唱を進めるほどになにか、五感では感じ取れない力が空間に満ち満ちていく感覚を覚える。間違ってはいないようだ。

(魔札使いになるとき……お前はきっと、お前の故郷を襲った壁の正体を知る。多分、そいつは俺たちJ.U.N.K.Sが見た滅びの元凶でもあるんだ。俺達は何もできなかった。立ち向かうことさえ――)

祈り手プレイヤーの名は……ヴァン・リユウ。裁定者よ。我が祈りの是非を問う――」

 遺された魔札を祭壇に向かって構え、リユウは呪文を唱え切った。すると、リユウの視界を一面の暗闇が覆い、次の瞬間に無数の星々がその黒を白に塗りつぶした。巡りめく混沌の視界。その中にただ一つだけ、知っているものがいた。

(俺たちが行けなかったその先へ、お前ならきっと行ける。なあ。たった数日だったけど、昔に戻ったみたいで楽しかったぜ……ありがとな、リユウ)

 それは友人が遺せなかった、最後の言葉であった。残留意識のような相手にリユウは何か言い返そうとしたが、言葉を探しているうちに幻影は消えてしまった。そして。



 そして……あの日の壁が現れた。


 迫りくる壁を前にして、白い長髪を揺らす男が果敢に挑んでいる。効かぬと分かっている拳で、何度も、何度も壁に殴りつける。その様を、背後からリユウは視ていた。奮闘する眼前の己は、過去の自分自身である。いかなる理屈か、過去の世界を遠巻きに視ているのであった。迫りくる白き壁は、再び目の当りにしてもやはり超然としていて、そして果てしなかった。

 ……否。魔札の影響だろうか。果てしなかった白き壁の、その果てが、リユウの目に映った。

 彼は惑星という概念を知らない。星が浮かぶ宇宙を、無数の宙を収めた世界というさらに大きな器を。だが、果たして名を知っていたところで、それの大きさを測る物差しとしては役に立たなかっただろう。星、宙、世界……悉くを貫いて、それは遥か上空から伸びていた。壁と誤認していたものは、それの僅か一片に過ぎなかった。あまねく万物を超える超大なる存在。その姿は――理解の及ばぬものであった。


 口がある。目がある。手がある。見知ったあらゆる要素が、まったく見知らぬ形で統合されている。その姿は不定形で、常になにかに言い表すことさえできない。化物、そう呼ぶことさえ憚られるなにかであった。

 唯一理解できることは、それが常になにかを捕食していて、代わりになにかを排出していることのみ。それは時に星であり、宙であり、世界であった。名を知らぬリユウでさえ、それがなんであるかを直感的に理解していた。

「馬鹿な……」

 繰り返される生と死。はじまりと終わり。生きとし生けるものすべてに降りかかる最期。その元凶こそが眼前に浮かぶそれであった。常であれば運命論など一笑に付すリユウであっても、ここまで暴力的に可視化されてしまえば、理解せざるをえなかった。自分たちは、それの気まぐれによって一方的に生みだされ、それの気まぐれによって死ぬ。そこに摂理などない。生まれる者と、死する者の数さえも等値ではない。不条理。理不尽。それは出鱈目な形を成して、常にこの世に有り続けていた。

「……ふざけるな」

 それは片時も食事を止めない。触手をまさぐる度に、あらゆるものが呑み込まれていく。哀れな犠牲者たちの中には、超大な力を誇る筈の神さえも含まれていた。当然であろう。万象の法にして秩序を司る神々でさえも、あの無秩序の胎から産み落とされたのだから。それが見向きさえもしない、命一つ一つの末期の嘆き。そのすべてを、リユウは聞き届けていた。かつてないほど拳を握り震わせながら、かつて見届けられなかった終末の一つ一つを凝視していた。

「これが、こんなものが、おれたちの終わりだというのか……!」

 己一人の終わりであれば、受け入れることもできたかもしれない。だが、あれはリユウの町を滅ぼし、J.U.N.K.Sの見た世界を滅ぼし、この先リユウが出会うあらゆるものをも、いつか喰らい滅ぼすのだろう。それだけは看過できなかった。どんな終わり方ならば満足できるのか、そんな禅問答を問うつもりはない。ただ、死んでいった仲間が、大事な友が、あんな理不尽によって最期を迎えることなど、到底我慢ならなかった。本能的な尊厳の叫びであった。

「おれを見ろ。おれはヴァン・リユウ。貴様が消しそこなった男だ。ようやく分かった。おれが無様に生き延びたのは、貴様を倒すためであると!」

 左拳をかざし、リユウが叫んだ。そこに恐怖はなかった。ただ純粋な怒りだけがあった。そこにいかなる偶然が重なったのか。過去視の残滓に過ぎないそれの、無数に備わった瞳の一つと目が合った。睫毛の代わりに無数の牙を生やした眼が、リユウの双眸を見据えた。

 リユウの身体が砕けていく。それは過去の残滓であっても、凝視一つで生命を焼き尽くす力を持っていた。すかさず拳で反撃しようにも、左腕さえも既に失われている。圧倒的な力の差。絶望的なまでに大きな隔たり。勝てるビジョンなど浮かばない。それでも、彼は諦めなかった。

「まだだ、まだ足りない。おれは貴様に、勝たなければならない!」

 ――そのために、力を欲するか。

 全身が砕け散り、なおも残ったリユウの脳裏に声が響く。魔札の力を得るには相応の理由がいる。ならば、あれを倒すための力をこそ欲する。あれに勝るには、神殺しの拳では不足だ。森羅万象をねじ伏せ、天地万物を凌駕する力に至らなければならない。

 ――ただ魔札の力を得るだけでは足りぬ。頂に立て。各世界に散った猛者の悉くを打ち破り、生まれ得る未来の戦士をも超克せよ。それが成された時、あるいは――。

 当然だ。考え得るすべての力と、未だ考えの及ばぬ新たな力を重ねなければ、あれの打倒は敵わぬだろう。最強になる。そのためにすべてを捧ぐ。それこそが、おれがこれから生きる理由だ。

――――――当神は汝を理解した。

 声と同時に、視界の中に浮かぶものが一斉に破裂した。中央に浮かぶそれを囲むように、無数の球体が生み出され、絶えず分裂しながら散らばっていく。蠢くものは手あたり次第に掴もうとするが、球体たちはひらりとそれを躱す。まるで一面に広がる泡々。それが今の世界の形だと、間もなく彼は理解することになる。

 ――プレイヤー、ヴァン・リユウ。汝の登録を承認する。巡礼者の旅の果てに、栄光があらんことを。


◆ ◆ ◆


 視界が晴れ、ツリーレイル最下層の一室が戻ってきた。眼前の祭壇は、役割を終えたとばかりに最早跡形もない。そして、横たわっていたナットの亡骸もまた消えていた。代わりに床に伏せられていた一枚の魔札……それを男は拾い上げ、大切に仕舞いこんだ。

 男は、もう死に損ないではなかった。全身の傷は癒え、猛々しい筋肉が迸る。歩くだけで大気が張り詰め、燃える双眸には、より強い力への求道の光が宿っていた。その瞳に狂気はない。狂気より尚困難な現実を突き進む覚悟があった。回復した両腕を突き出し、空間を震わせながら、ヴァン・リユウは独り宣言した。

「おれはヴァン・リユウ。最強になる男だ……!」




【続く】


 


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