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髷より来たる #パルプアドベントカレンダー2024
幕府設立200年、剣士最盛期の世に危機が迫った。幕府剣術指南役、寒来が突如反旗を翻し、将軍の娘を己が城へ連れ去ったのだ。攫われし姫を、彼は一方的に己の妻にすると公表した。謀反宣言である。これ以上の暴挙を許せば、幕府の権威失墜は免れない。さりとて全面戦争もまた甚大な被害を被るだろう。
そのような状況の中、征夷大将軍将来は決断した。寒来を暗殺するため、三人の剣士を伴い、寒来の居城極寒への侵入を果たしたのだ。その名の通り氷点下の過酷な地で、決死の戦いが始まろうとしていた――。
◆ ◆ ◆
「いやあ、噂に違わぬ寒さですな。懐炉を持ってきて正解でした」
将来は、眼前の眼鏡の剣士の話にうんざりしていた。舟でこの地を目指した時から、同じような話をかれこれ十回は聞いていたのだ。背中に無数の本を積み、片時も読書の手を止めぬ、この剣士の名を本来と言った。
本来の真横では、一心不乱に念仏を唱える剣士がいた。
「主よ、我が蛮行を赦したまえ。これから成される殺戮と暴力をどうか赦したまえ。この罪深き子羊に道を示さんことを。嗚呼免」
切支丹を自称する彼は笑来である。その名が示す通り、張り付いたような笑顔を崩すことはない。
「おおい」
その時、背後遠くから野太い声がした。振り向くと、身の丈十尺ほどの大巨漢が岩の影からのっそりと現れたのだ。
「いやあ、すまん。舟でだいぶ酔っちまったもんで。もう大丈夫でごわす。心配かけてすまなかった」
髷に刀を括りつけた、珍妙な剣士であった。如何にも間抜けな風貌に反し、地元藩では負け知らずの剣豪なのだという。当然、彼こそが三人目の剣士、名を髷来と言った。
「――兎も角、全員揃ったな」
将来が口を開いた、その時だった。周囲に黒霧が立ち込み始めたのだ。四人の剣士は違いに背中を預け、咄嗟に警戒の姿勢を取った。
「ふむ。余程腕のいい剣士を集められたようだな。将来殿」
霧の中から、ぬるりと一人の剣士が現れた。一人、また一人と更に数を増していく。黒子のような姿を纏った、隠密の剣士である。
「その姿……弔来衆の者か!」
「くくく……如何にも」
弔来衆たちは将来の周囲を取り囲んだ。彼らの数は三、必然的に将来の護衛三人と睨み合う形となる。いずれもかなりの手練れである。膠着は一瞬、まずは弔来の一人が飛びかかった。
「きえええい!」
振るわれたるは致死の剣、ただの一掠りで致命となる猛毒の塗られた刃である。その刃先に立つは本来、彼はこの期に及んで本を読み続けている。
「馬鹿め! 俺の前で読書とはな。恐怖で頭が鈍ったか?」
だが、毒の剣が本来に届くことはなかった。それどころか、彼が両手で開きし本の背表紙が刃を受け止めている。恐るべき事に、一太刀を受けてなお本は傷一つ負ってはいなかったのだ。
「故人曰く、人を焼かんとする者はまず本を焼くという。何故か? 本に描かれた無数の知恵と、何よりその質量を恐れたから……ご存じでしたか?」
本を振り上げ、毒の剣を弾く。大きく隙を晒した弔来衆に、本来は逆手に持った本を繰り出した。それは一項一項が刃で出来た特殊な剣であった!
「あの世で勉強し直しなさい」
刃の本を顔面に喰らい、呻きながら男は絶命した。予想外の味方の戦死に、弔来衆に動揺が走る。
「くっ! まさか我利勉如きが我らが一人を破るとは」
「驚いている場合ですか? 異教徒の貴方」
続いて、先手を取ったのは、今度は将来配下の笑来であった。
「祈りの時間は十分にお与えしました。お覚悟を……聖属性攻撃」
「なっ……」
第二の太陽を見紛うばかりに輝く一閃が、二人目の弔来衆の首を断っていた。
「主よ、異教を信じるこの者にも安息を与えんことを。嗚呼免」
本来、笑来が敵を打ち破った。不安視していた者たちが、確かな実力を発揮したのだ。将来の不安は瞬く間に晴れていった。
「でかしたぞ二人とも! さあ、髷来よ。残り一人も速やかに倒してしま……」
そこで将来は閉口した。髷来はあろうことか、敵の一人に首を垂れていたのである。命乞いか、はたまた裏切りの工作か。一気に堪忍袋が温まり、激高の声を上げかけるも束の間。
「あっ」
将来は、髷来の足元に転がる最後の弔来衆の姿を見た。頭から綺麗に両断された、真二つとなった遺体の姿を。
「終わったでごわす」
抜いたであろう髷の刀は、すでに髷に収納されていた。誰にも認知されないままに振るわれた、神速の一太刀。ともあれ、将来を狙う最初の刺客は速やかに退治された。
「う、うむ! では向かおうではないか、極寒城へ」
◆ ◆ ◆
雪原の中を歩くこと数刻。凍てつく風が吹きすさぶ中、荘厳に聳える氷の城が遂に姿を現しはじめた。氷柱がいくつも垂れ下がる様は、まるで獲物を待ち構える巨大な鬼の牙のようである。気温以上に心胆寒からしめる外観はしかし、歴戦の剣士達を慄かせるには至らなかった。やがて一行は門に至る。すると、笑来が驚愕の声をあげた。
「なんと、このおぞましき光景は……主よ、このような地に足を踏み入れる愚かな子羊をお許しください」
そこには門を取り囲むように、無数の剣が地に突き刺さっていた。それも十や二十ではない。およそ千本を超えるであろうの剣が打ち捨てられているのである。刀の鍔を見れば、そのうち幾つかは名のある名将が用いた刀であったが、他の刀と扱いは大差ない様子であった。よって博覧会というよりは、まるで刀墓場のような場所である。
「よぉくいらっしゃいましたね……将軍殿ご一行様。極寒城へようこそぉ!」
突如門が開き、吹雪と共に一人の男が現れた。
「お代は命で頂くぜ。全員まとめて、この百来様が蹴散らしてやる」
その名の通り、背にはおよそ百本ほどの剣が、まるで巨大な矢筒のように収められている。体格も恵まれており、流石に髷来ほどの巨体ではないものの、十分な大男であった。
「この大仰な剣の飾りつけは貴様の仕業か」
不快感を隠さずに将来が尋ねた。百来は喜々として答える。
「あぁそうだ! ここにいりゃ毎月何人も剣士がやってくるからな。戦利品をこうして並べてるのよ。安心しな、お前らの剣も仲間入りするんだからよ」
「外道が……!」
笑来が前に出た。
「剣士の風上にも置けぬ輩……この私が切り捨てましょう。嗚呼免」
「あぁ、やるのか? やるよな!? そうだよな! ひゃぁっ!」
百来がその場で剣を素振りした――否。刀身が伸び、まるで生ける蛇のように、笑来の首めがけて迫った。笑来は光輝く剣で弾こうとし……。
「いけません! 笑来殿」
咄嗟に躍り出た本来の本が剣を弾いた。百来が笑った。
「受けたな、俺の剣を! 貴様の剣、もらい受ける……!」
百来が片手を翳す。すると、剣を弾いた筈の本が本来の手を離れ、まるで強力な引力に吸い寄せられるかのように百来の元に飛んで行ってしまった。
「くくく……俺の来業は『百刀狩り』。俺の剣を受けた剣は、なんでも俺のモンになっちまうのよ」
来業! 『来』の名を持つ剣士が保有する、剣士固有の能力である。およそ常識や物理法則ではありえない摩訶不思議な事象を発現し、中には剣との相乗効果でより力を高める者も存在するという。
「なんと恐ろしい力……あれではまともな勝負ができぬではないか!」
これには笑来も青ざめた。何しろ、ほとんどの剣士は刀一本、脇差を含めても二本程度しか持たぬのだ。武器を奪われては、如何に強力な剣士といえど、勝つことはできぬ。
「…………先に行ってください、将来殿。皆さん」
他の者たちにもやがて伝播したであろう、笑来の絶望を本来が打ち消した。彼の背中には何冊もの本がある。それはすなわち、一本盗まれたところで武器を失っていないことを意味していた。
「皆さんの武器では不利です。この戦い、私にお預けください」
「おいおい、逃がすとでも思ってんのかよ!」
百来が新たに剣を抜こうとしたが、本来が本の刃で制した。その隙に、将来達は開かれた門の中へと入っていく。
「本来よ! その者を倒し、必ず戻ってくるのだ。戦勝の褒美は大きいぞ!」
将来はそう言い残し、門へと消えた。助けられた笑来もまた、切支丹的一礼をしてから消えた。髷来もまた一礼し、そして門を閉ざした。
「おいおい……てめぇ、捨て駒にされたな。分かってんのか? まあ、てめぇを倒してからすぐあいつらも始末するけどよ……」
「……貴方にこそ、教えてあげましょう」
「あ?」
突如、本来が己の本を綴じていた紐を一斉に解いた。瞬間、挟まれていた無数の項が宙に舞う。
「私の本は本来、このように使うものだと」
本から離れた項は宙に舞い、そして落ちることなく浮かんでいた。むしろリズムに合わせるように本来の周囲を飛び、踊るように旋回していく。それも一つ二つでなく、一千を超える数の項が、である。
「私の来業は危ないので、仲間が近くにいると使えないんですよ。さて、貴方も私も数を武器にする戦法。果たして、どちらが上回りますかね」
百来はこの時初めて本来を脅威に思った。己の武器は百あれど、同時に使えるのは腕の数まで。一方、この男は同時に千の刃を扱える。しかし、勝機もある。向こうの刃の一つ一つは木っ端の小さな刃に過ぎず、一方でこちらの剣は宝刀・魔剣の数々。量では本来が勝り、質では百来が勝る戦い。
「……『本は剣にも勝る』。さあ、始めましょうか」
百の剣と千の刃。この日、極寒の門は史上最も多くの剣が飛び交う戦場となった。後にこの戦場を見る者は、果たしてこれを大軍同士の戦闘の痕と思うだろうか……? まさか想像はできないだろう。これほどの数の剣と刃が、たった二人の剣士によって繰り出されたという事実など。
◆ ◆ ◆
氷張りの長い廊下を、将来たち三人は慎重に歩いていく。滑りやすい上に、時折空いた床に仕組まれた針と、天井から落ちてくる氷柱が常に命を狙っているのだ。この氷点下は寒来に有利な地形というのみならず、天然の要塞として機能しているのであった。
「将軍様。お気をつけくださいごわす。足元は暗いので……」
その上、廊下を閉ざす暗闇がより一層一行の歩みを鈍くしているのであった。仮に笑来の来業、光属性付与が放つ明かりがなければ、もはや先に進むのは不可能であっただろう。それほどの窮地。だが、敵地に乗り込むとは圧倒的不利を承知の上で臨まなけばならない所業である。彼らは足を八の字にして、踏ん張りを利かせながらゆっくりと、着実に進んでいった。
そうして、遂に滑りやすい床の地帯を抜けた、その直後であった。
「――! 笑来、上だ。来業を使って受け止めよ!」
暗闇から、突如刃が生じて襲い掛かってきたのだ。将来の指示により、笑来は反射的に光放つ剣で奇襲を受け止める。聖属性由来の眩さが闇をかき消し、そこにいた男の姿を露わにした。包帯を巻いた骸骨、その異形の姿を。
「将来殿。やはり属性剣の使い手を連れてきたか。カカカッ」
骸骨は笑来の追撃を後ろに跳んで躱し、更に数歩退いて暗闇に紛れた。この城の暗闇は、彼の得意な地形だったのだ。
「やはり現れたか、弔来。その致死の剣は真であったな」
城の外で襲ってきた弔来衆、その頭目が遂に姿を現した。弟子の勢力だけでも彼の実力は容易に想像がつくであろうが、真に弔来の名を広く知らしめるに至ったのは、彼の来業にあった。その名を『冥属性凶撃』。無防備に一太刀を浴びた者、また属性剣以外で剣で受けた者を即死させる、恐るべき必殺の魔剣である。
「ワシの冥属性凶撃に対し聖属性か! よくも正反対の適任を拾ってきたものだ」
暗闇に弔来の声が響く。だが、廊下のそこら中が暗闇であり、何処に潜んでいるのか、声からは判別できない。恐るべき潜伏力である。
「……将軍様。髷来殿。扉を潜って先に行ってください」
その時、笑来が言った。
「なんと、貴様まで本来と同じ事を言うか」
「非力な私には、あなた方を守りながら彼と戦う術はありません。先ほど少し見えましたが、もう少し走れば、その先に扉があります。あなたが進んでくだされば、私も気兼ねなく聖剣を振るうことができる」
「………………あい分かった」
笑来が光の剣を振るうと、言葉通り扉までの道が露わになった。将来と髷来は全速力で扉へと向かう。
「行かせるか!」
暗闇から数本の刃が投擲された。当然、冥属性付与の攻撃だ。だが、一振りのうちにそれらは打ち払われた……笑来の手元には、二本目の輝く剣が握られている。彼は二刀使いだったのだ!
「笑来、貴様も早く追いついてくるのだぞ。褒美に国内の基督信仰を認めてやる」
言い放つと同時に、将来は髷来と共に扉の先へと進んだ。笑来は胸を撫でおろし、改めて弔来へと向き合う。暗闇の中から、骸骨の姿が再び生じた。
「そうか……お前は切支丹だったか。違いに信仰を剣に乗せる者同士。ますます我らは似た者同士というわけか……カッカッカ」
「そうでしょうね。貴方の姿を一目見たときから、そう感じておりました」
弔来の装束のところどころには異国の意匠があしらわれており、明らかに異教の信徒である事を示していた。果たして彼が如何なる理由でこの国に現れ、今寒来の下についているのか。余人には分からぬ事情があるのだろう。笑来はそう感じた。
「ワシは貴様から見て異教徒であるわけだが、信仰の元に切り捨てるつもりか?」
「いいえ、たとえ教義は違えど、いかなる信心も尊ばれるべきでしょう。……しかし、我らは仕える将を違えた。信徒でなく剣士として、私はここで貴方を断ちます」
「よかろう。ワシの剣の腕に、果たしてお前の剣は釣り合っておるかな?」
笑来はゆっくりと二刀を構え、交差させた。十字より生じる光が、かつてない輝きを放つ。
「主よ、我らを憐れみたまえ……参ります」
光と闇。聖と、死。相反する二つの属性が今ここに衝突した。一太刀振るわれる度に光が瞬いたかと思うと、次の瞬間には一瞬で闇に戻り、そして再び照らされる。まるで高速で入れ替わる昼と夜。壮絶な属性対決の行方は、勝者がどちらになったとしても、語り継がれる戦いとなるであろう――。
◆ ◆ ◆
「遂に余と貴様、二人になってしまったな」
玉座へと続く階段を登りながら、将来が言った。髷来は走りながら、申し訳なさそうに頭を下げた。
「余は正直、貴様の実力を測れておらん。だが、城前で連中を仕留めた腕前は確かなのだろう……頼りにしておるぞ」
将来は武勲よりも知力を誇る将軍であり、個人の戦闘力は決して高くはない。常に個人戦闘を避け、有利な場面を作り勝利することで今の地位を確立していた。故に、常に他者の力がなければ、有事に太刀打ちができないのだ。剣士としては致命的だが、彼はそれを完全な弱点とは将来は思っていなかった。
「今の世は乱世。力こそがすべての時代……余が治め、帝の権威があっても本質は何も変わっておらん。力なき者が蹂躙され、虐げられる時代を変革するには、血気盛んな連中にもわからせる他はないのだ。力なき者たちが結集し、互いに力を合わせることで個人の力を凌駕することを」
「……将軍様のお話は難しすぎて、おでにはよく分からんでごわす。でも、力を合わせるのは良いことだと思う。その為には、寒来はやっつけねぇとなぁ」
「うむ、その通りだ」
髷来について、頭のいい男ではないが、しかし実直な男だと将来は思った。
二人は階段を登り切った。玉座の間へとつながる、最後の部屋……その入口の前に、一軒屋が立っていた。
「な――」
城の中に、家である。珍妙ではあるが、しかし三階建ての木造建築が行く手を阻む光景は、どこか異様さも感じさせる光景であった。恐ろしく高い天井でなければ、とてもこの大広間に入ることはできなかったであろう。また、家は隙間なく扉と接地しているようで、回り込んで進むのは不可能であった。
「このような場所に、このような家を……果たして、いかなる目的で築いたものか」
「考えている時間はないでごわす。ここはおでが……」
家を両断せんと髷来が進み出た、その時である。
『この俺を斬ろうというのか。人の子よ』
家の中から、暗く響く声が轟いた。否、それは三階の小窓から、まるで発声器官があるかのように発せられていたのだ。地鳴りと共に、ゆっくりと家が浮かび上がる。その床下には、太く巨大な木の足が生えていた。
「おのれ、家に化けた変化妖怪の類であるか」
『否。我は家来。種族は違えど、貴様たちと同じ剣士である!』
家来……その名乗った家の二階側面を突き破り、巨大な二本の腕が生じた。左手はそのまま突き破った壁を盾としており、右手には家具を継ぎはぎしたような異形の大剣が握られている。その風体の奇妙ささえ除けば、その立ち振る舞いは確かにオーソドックスな剣士そのものであった。
『さあ、尋常に立ち合えい!』
家来が迫る。巨体ならではの威迫と、外観からは想像もつかぬ速度を伴っていた。そして大剣の巨大さは、将来と髷来を同時に屠るにたる巨大さと威力を備える。将来は一歩退こうとするが、間に合わぬ。さりとて剣で受けたて、衝撃を殺しきれないのは明白。ああ、ここで己の理想は潰えてしまうのか。将来は死を覚悟した。眼前に訪れる大剣。その刃が、突然消えた。
『なんとっ!?』
家来と将来は、共に驚愕した。恐るべき巨大剣が、まさに半分に切断されていたからだ。将来がふと振り向くと、そこには城前の時と同様、お辞儀する髷来の姿があった。
「将軍様……お先に。おでが引き受けるでごわす」
彼はお辞儀を辞め、扉を指さした。家来が動いたことで塞ぐものがなくなったのだ。
「貴様……斬れるのか? あの家来を」
「さて、自分より大きいものを斬るのは初めてでごわす。けど、住む人がなくなった家の解体は何度かやってます。お任せを」
「……信じるぞ、髷来」
将来は意を決し、まっすぐに扉へと向かった。決して振り向かず、それ以上髷来に言葉を投げかけることもなく。語るべきことは語った。信ずる旨も伝えた。ならば、後は託すだけだ。そうして扉を開け放ち、将来が中へ進む様を、家来はあえて追わなかった。
(この男……我が剣を断っただと?)
斬られた筈の彼の剣は、元通りになっていた。彼の来業、『木増剣築』による作用である。彼の己の手足を中心に、木造のあらゆるものを再生・再構築することができる。心臓部が破壊されぬ限り復元できる恐るべき力であったが、そもそも木造の頑強さ自体彼の持ち味であった。刀寄せ付けぬ筈の頑強さが、おそらく一太刀で切られた。
(はじめてだ……剣士に再生させられるなど……!)
家来は眼前の剣士を最大限警戒していた。懐に入られれば、あるいは一撃で核をやられるかもしれない。だが己には、敵にはない強みがある。来業を最大解放し、遠距離から戦い続ければ、消耗戦の末に勝機がある。異形の己を受け入れてくれた主人、寒来のためにも敗れるわけにはいかない。
『行くぞ、髷来! 究極の間取りを味わうがいい!』
家来の号令と共に、足元から伸びた木々が氷の床を突き破り、複数の障壁で空間を満たした。対象を遠ざけ、惑わせ、仕掛けた数々の罠で仕留める恐るべき迷宮構築である。だがどんなに複雑な迷宮も、壁を壊されれば意味がない。髷来の周囲では、まるで何人も寄せ付けぬ不可視の壁があるとばかりに、次々と壁が壊されていく。家来は、早くも別の策を練る必要が迫られた。
「やれやれ。多芸でごわすな。おでも本気でやらんと……!」
髷に刀を乗せた剣士、対、家の剣士。奇妙な外見同士の対決は、その見た目からは想像できないほどに苛烈な、凄まじい戦いとなった。そしてすぐ近く、玉座の間で、いよいよ最後の戦いもまた始まろうとしていた……。
◆ ◆ ◆
「よくいらっしゃいましたな、将来殿。儂と姫の結婚を祝いに来てくださったか。まだ式の準備もできておらぬのに」
一段と寒さが増した玉座の間にて、まさにその玉座に、氷の甲冑を纏う剣士が座っていた。傍らには氷像となった娘の姿。紛れもなく、将来の娘、姫来その人であった。
「き、貴様……! 我が娘になんたる仕打ちを」
「失礼ながら、将来殿は女心を分かってはおらぬようだ。乙女とは誰しも老いを恐るるもの。儂はそれを取り除いたにすぎぬ。決して衰えぬ永遠の美貌……まさに、この儂の妻にふさわしき姿ではないか」
剣士が立ち上がると共に猛吹雪が吹き荒れ、将来の視界を白に染めた。この超常の異能こそ紛れもなく、極寒の地を統べるにふさわしい最強の来業、『凍剣乱武』に他ならない。ならば、その力を持つこの剣士は何者か。問われるまでもない。この男こそ幕府最大の裏切者にしてこの時代最強の剣士、寒来である……!!
「そして儂が求むる征夷大将軍の座も目の前にある。喜べ、将来殿。そなたの骨で京黄を両断し、その血を固めて結婚指輪とし、そしてそなたの皮で姫来の花嫁衣裳を作ってやろう! 父として最高の場所で見守らせてやるぞ」
「好き勝手、御託を並べおって」
被った雪を払い、将来は剣を抜き放って宣言した。
「罪人、元幕府剣術指南役、寒来よ。国家反逆の罪により、皇帝陛下より討伐の命が下された。先の問答で反省の意思はなしと判断。今この場で、余が処刑してくれるわ!」
「面白い……ならばやってみるがよい!」
寒来がその場で一太刀振るうと、その軌跡がたちまち固まり、氷の龍を作り出した。龍は凄まじい質量で将来を押しつぶさんとする。だが、巨大氷龍像は将来に掠ることなく、そのまま地面に衝突し砕けた。将来は最小限の動きで回避していたのだ。
「ほう……?」
遅れて寒来が着地し、将来との斬り合いが始まった。剣技の腕では圧倒的に寒来が上手である。その上『凍剣乱武』の強力さを鑑みれば、戦力差は歴然であった。早速、無慈悲にも彼は、斬り合いの最中相手の腕を、足を、四肢を凍らせるべく力を行使した。だが。
「無駄だ!」
その悉くが躱された。更に、隙を突くように将来の剣が迫る。寒来は純粋な剣の技量でそれを捌くと、捌き際に反撃の一太刀を振るい――その剣が空を切った。神速の反撃を、技量で劣る将来が読んだとでもいうのか。この不可解な事象にしかし、寒来は薄ら笑いさえ浮かべていた。
「どうやら……噂は本当だったようだな」
「……何の事だ?」
剣を振るう。弾かれる。反撃。捌く。フェイントを入れる。引っ掛からない。将来の技量では読み切れない筈の高度な技であったが、まるで最初から知っていたかのように無力化される。寒来はますます確信した。かつて幕府に務めていた頃、幕府城内で耳にした情報。それは将来が持つ来業……即ち。
「未来予知ができるとはな!」
「…………!」
寒来の指摘は図星であった。いくら智将といえど、将軍たるもの前線に出なければならぬ。実力おぼつかぬ彼が幾度も窮地を免れた理由……それこそ彼の来業、『将来の夢』であった。
「素晴らしい力だが、よもやすべてを読み切ってはおるまい。何秒先の未来が視える? 一度見た未来を変えたら、次に来業を使えるのは何秒後だ? ははは。楽しくなってきたな」
寒来の剣が速度を増す。いくら未来が視えるとて、回避は将来の技量による。補いきれない確かな技量差が、積み重なる裂傷として将来の身体を蝕んでいく。
「なんと、もう限界か! 堪え性がないな、我が義父は。ならば、こういうのはどうだ……?」
寒来の剣が突如止まり、彼は力を貯めるようにぐっと屈んだ。将来は待ち受ける未来を視て……愕然とした。左右に避けても、後ろに退いても避けられぬ。即ち、氷の全方位攻撃。
「成すすべなしか。ならば、死ね」
剣が解き放たれると共に、大きな氷の華が咲いた。周囲一帯を閉ざす、絶対零度の死の花弁。一瞬のうちに生み出されるそれは、たとえ炎属性の来業を用いても防ぎきれはしない。刀の銘、『氷華王』を体現する必殺剣であった。今まで逃れえた獲物はいない。これからも彼の絶対権力の象徴となる業だったであろう。
次の瞬間、その氷華が散るまでは。
「なんとっ!?」
砕け散る花弁の先に、一人の大男がお辞儀していた。まるで美術作品を壊してしまった所業を詫びるかのような姿勢であったが、寒来の足元を覗くその視線には、確かな殺意が宿っていた。
「……参上したでごわす」
「髷来!」
そこには、家来と死闘を繰り広げていた筈の男がいた。能力で見た未来には映らなかった背中があった。『将来の夢』は特定二者間の間で生じる未来のみを予測する能力だったため、第三者の介入は観測できなかったのだ。そのため、予想外の救援を受けて、安心しすぎた将来は腰を抜かして倒れた。
「まさか、まさか。家来を無傷で退けたのか」
驚いたのは将来だけではなかった。寒来もまた、その到来に顔を歓喜で歪ませていた。
「難敵でごわしたが、なんとか斬ったでごわす」
「…………いいぞ。貴様、儂と立ち会え」
「元より、そのつもりで」
一歩。二歩。三歩。寒来と髷来は刀を交わらせることなく、ゆっくりと距離を詰めていき……そして立ち止まった。お互いの剣が、お互いの命にかかる間合いである。腰を落とす寒来に対し、髷来は立ち尽くす姿勢そのままであった。
一見隙だらけの立ち振る舞いを前に、しかし寒来は油断どころか警戒していた。先の氷華が破られた刹那、髷に戻りゆく刀の姿を、寒来は捉えていたのである。金剛力士が彫られた特徴的な鍔に、白黒の柄。そして何より刀身に彫られた銘が、伝え聞いたるその刀の名を寒来に想起させた。
かつて、一度も刀を抜かずに戦の戦場を駆け抜けた、伝説の剣豪が所持していたという刀――『不抜王』。己の『氷華王』と同じく、世に六十振しかない宝刀、すなわち王刀の一振りである。来業の力は刀の格や相性によって何倍にも増すという。ならば、同等の刀を持つこの男の来業は、己の『凍剣乱武』に比肩してもおかしくはない……!
寒来は、元より外道ではなかった。生真面目な気質で、天下に仕え続けてきた名将である。しかしそれ故に、未だ天下泰平にほど遠い世情と、国を治めきれない幕府の力不足さを憂い続けてもいたのだ。世界は今、圧倒的な暴力を持つ強力な指導者を求めている。
最強の剣士が世界を統治するべきだ。己か、己を退治す者か……そのような極論にまで辿り着いてしまった。辿り着いてしまったならば、強者と戦う場を用意するしかない。その為の極寒であり、その為のこの決戦である。寒来は『氷華王』に冷気を込めた。
狙うは必殺。髷来が髷の刀に手を伸ばした瞬間、先ほどよりも巨大な氷華で氷漬けにする。神速の剣技と言えど、刀に手をかけるまでの時間は決して駿足ではない。並の剣士では突けぬ僅かな隙だが、鍛え上げた剣技がそれを可能とする。集中に伴う気迫だけでも、並の剣士を卒倒ないし即死させるに足る威力である。実際、この戦いを見守る将来は、髷来の死を予感した……!
髷来が、動く。一挙一動を見逃すまいと、寒来が凝視する。丸太のような腕が……上がらなかった。怖気を感じ、寒来は瞬時に氷華を開放しようとした。できない。髷来が首を垂れている。髷に括りつけられた鞘からは、既に刀が抜けていた――。
「おでは昔から、来業と呼べる才能がなかった。剣を振れば早えけど、最速ってわけじゃねえ。背だってもっと高い剣士がいる。なにかおでにしかねぇ個性が欲しかった。そんなある日、たまたま放り投げた刀がすんごい早さで落ちたのを見て、思いついたんだ」
その剣士は、刀を振るう必要がなかった。柄に手をかけ、抜く必要さえなかった。もとより『不抜王』は人の手に余る超重量刀。余人に振るえぬじゃじゃ馬を、現代でこの男だけが扱うことができた。ただ頭を下げればいい。敵の頭上から柄を垂れればいい。敢えて緩めた鯉口が、勝手に刀を解き放つ。落下する魔剣は重力をも嘲笑い、この世の何よりも早く地面を割る。即ち。
「『髷より来たる』」
……真二つに割れた寒来の亡骸を、髷来はいつものように見下ろしていた。弔来衆も、家来も、そして寒来も変わらない。己の真下にあるものは、すべて刀に押し潰されて死ぬ。己の業には本来のような叡智も、笑来のような神聖さもない。やっとの苦労で得た来業であったが、髷来は少し寂しく思っていた。
「終わったでごわ……」
「よくぞっ! よくぞ成し遂げた! 髷来よ、貴様こそ真の剣豪! その雄姿、余がしかと見届けたぞ」
しかし、抱えていた気持ちは、将来のハグによって一気に吹き飛んだ。己の力が必要とされる場所がある。この抱擁こそ、何よりの証拠なのではないか。そうして涙ぐんでいるところに、ようやく彼らが戻ってきた。
「将来殿! 遅れて申し訳ない。本が飛び散ってしまって」
「嗚呼、追いつくと宣っておきながら大事な決戦に間に合わなかった不始末。主よ、お許しください……」
本来と笑来である。口調こそいつもの調子だが、全身に刻まれた無数の切り傷と打撲痕が、彼らが経てきた戦の熾烈さを何よりも物語っていた。
「うむ、貴様たちもよくやってくれた! 二人とも、しかと約束を守ってくれたな」
将来に抱きつかれ、傷だらけの戦士たちはいっそう苦しんだ。髷来だけが笑っていた。
「あのぅ、ぱぱ来どの。アタシ解放されたんですケド。なんで誰も見てくれてないのかな。まま来どのにチクっちゃおうかな」
ちょうどその頃、氷が解けて解放された娘の事など、誰もがしばし忘れていた。凍てついた玉座の間には美酒も何もなかったが、そんな事も構わずに、彼らはしばし勝利に酔いしれていた……。それでも、いずれ現実に立ち返る時間がやってくる。帰還の時である。
◆ ◆ ◆
「へぇ、髷から刀落として斬るんだ」
「左様でごわす」
「ウケる」
向かう時と同様に、帰りもまた舟であった。異なる点があるとすれば、乗員が一人増えていること。当然、それは将来の娘、姫来である。齢十二の彼女は好奇心の赴くままに剣士達にちょっかいをかけ、度々舟を漕ぐ手を止め困らせていた。
「姫来、いい加減にしなさい。さもないとぱぱ上は怒るぞ」
「ヤー! こわい。みんな助けて!」
「姫来殿。あまり走っていると落ちてしまいますよ」
それでも、順調に舟は帰路を進んでいた。もう数日もすれば本土に帰れるだろう。そこから幕府までの道のりは徒歩であるが、極寒の極限の寒さを思えば、大した危険はない。思い返せば、危険に満ちた旅であった。誰一人欠けずに済んだのは、奇跡と言っていいだろう。将来は胸を撫でおろし、遠のいていく島を振り返り――。
「あっ」
思わず、将来は大声を上げた。その目線の先には、崩れ行く極寒城があった。今生を生きるあらゆる者を震撼させた強大なる恐怖の城が、僅か一日にして主を失い、共連れに滅んでいく。その様は、あるいは剣士の、幕府の行く末をも暗示しているかのようであった。
「おお……嗚呼免」
船上の剣士たちはただ言葉を失い、極寒城の滅亡を目に焼き付けた。より舟が遠ざかり、島諸共に見えなくなるまで、片時も目を離せなかった。元・幕府剣術指南役にして将軍に背いた大罪人、寒来の乱はこうして幕を閉じた――。
歴史とは無情なもので、剣士の時代はこの先十年の栄華を待たずに終幕した。輝かしき来業の秘儀も習得方法から封じられ、禁じられ、やがて剣士という種族と共に忘れられていった。だが、先見の明に秀でた一人の将軍が、生涯に渡って国を治めたという歴史書の記述は、記された名こそ違えど、将来の事で間違いないだろう。また、その傍らには読書家の参謀が尽き従い、また治安維持に一人の聖人が奔走し続けたことも申し添えねばなるまい。
では、髷に刀を乗せた剣士はどこに行ったのか? 地方に赴けば、面白おかしく語れる童話として、髷太郎の名をあるいは聞くことができるかもしれない。しかし、今では誰も彼の行方を知らない。崩れ落ちた極寒の城から秘密裡に持ち出された『氷華王』と共に、髷の剣士もまた歴史の裏舞台からも姿を消した。
果たして、彼は何処に飛んだのか。髷に刀を乗せる剣術は滅んだのか、或いは密かに生き残っているのか。次に髷より来たる日は、あるいは左程遠くはないのかもしれない……。
【髷より来たる】完
この作品はパルプアドベントカレンダー2024参加作品です。
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