自粛すべきなのか

新型コロナウィルス感染拡大のためのイベント自粛要請が出されたのが2月20日、今から2ヶ月前。自粛によって経済に深刻な影響が出ている。

お金の流れが止まってしまって苦しんでいる人に給付金などで当座のお金を届けられたとしても、実体経済が動かなければ経済はいずれ破綻する。

自粛すべきか否か?これこそが今議論されるべきではないだろうか。


自粛すべきと言う人は、自粛しないと感染拡大して人が死ぬから、と言う。自粛すべきでないという人は、自粛していると経済活動がストップして人が死ぬから、と言う。どちらも、人の命のために、である。

目的は同じで、方法論が対立している。こういう対立にこそ、答えがあるはずだ。政党がどうだとか給付金がどうだとかをいったん忘れて、このことだけを真剣に考えるべきではないだろうか?


自粛すべきでないという人も、普段どおりで良いといっているわけではない。重症化リスクが高い人は自粛し、重症化リスクが低い人は経済を回すべきだ、と言っている人が多い。私も、基本的にはこの意見に賛成。

(私は医療に明るくないので単なる仮定だが)もしも封じ込めが不可能で集団免疫を獲得するまで感染が拡大するならば、そして、もしも話題の「アビガン」に効果がなくワクチンや特効薬の完成が数年先になるとすれば、感染による死と経済悪化による死の両方を防ぐ手段は、これしかないのではないか。

しかし、問題はある。

ひとつは、重症化リスクが高い人を感染や重症化から守る策(隔離方法と、感染後の十分な医療体制)が整っていないということ。

私が住む中山間地域では、二世帯同居がふつうである。重症化リスクが低い子供や若年者が自由に出歩くと、ウィルスを持ち帰り、重症化リスクが高い高齢者に感染させてしまうというリスクが想像される。

なので私は、休校が解除されても子供を学校に行かせない。我が家に高齢者はいないが、我が子から二世帯同居家庭に感染してしまったらたいへんだ、と思うから。

都会ではどうだろうか?

二世帯同居は珍しいだろうから、高齢者と同居していない人たちは街に出てもいいように思える。しかし、感染が拡大すれば高齢者に感染する確率はやっぱり上がる。人口密度を考えると被害は田舎の比ではないかもしれない。老人ホームで感染が広まったりしたら、たいへんなことになる。

もうひとつは、気持ちの問題。

何らかの方法で重症化リスクが高い人を感染から守る、つまり隔離することができれば、それでよいのだろうか?

何かで「姥捨山へ行けというのか」という言葉を見た。自分が隔離されて人と会えなくなることへの恐れや悲しさ。人は人と関わらないと生きて行けないのだなあとしみじみ思う。「じゃあ命をかけて出歩けば?」というのは、あまりに酷な話。


重症化リスクが高い人は、高齢者、基礎疾患がある人、妊産婦、と言われているが、中でも老人と若者の対立がよく見られる。自粛派と非自粛派はどちらも「人の命が大事」と言っている、と書いたが、自粛派は「老人の命」を、非自粛派は「若者の命」を重視している、と言えなくもない。こういう対立を見ると暗い気分になる。

私の住む地域は、老人が多い。いろんなことを教えてくれるし、地域の子供たちをかわいがってくれる。お金を産んではいないのかもしれないが、かけがえのない存在。感染してほしくないし、かといって彼らと隔絶された暮らしはちょっと想像できない。もし本気で隔離するなら、人数比から考えて、私たちがこの地域を出ていくことになるだろう。

もし私が老人だったら、隔離されて生きるよりも、人との関わりの中で死ぬことを選ぶかもしれない。「生きるとは何か」と問われているように思う。


このまま感染拡大を止められなければ、いずれ、どのように自粛を緩和するのかを考えねばならなくなる。いや、すでに考え始めているのかもしれない。その時、若者と老人が互いを敬い思い遣り、老人を単に隔離するのではなく暖かく守る仕組みを作っていくことが、新型コロナウィルスを克服する鍵なのかもしれない。


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