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競輪場で、命を燃やす。

真っ暗な定宿の部屋の中、これを書いている。前回来た時と同じ部屋だ。(前回、ということは二日前までここにいたのか。)これでこの部屋に当たるのは三回目だろうか。なんだか自分の部屋にいるような感覚になって落ち着く。重力に任せて身体がベッドに沈んでいく。充実した一日だった。私は今、競輪の開催で岸和田に来ているのだが、競輪の通常開催は三日制。前入りを合わせると、大体四日間滞在することになる。今日はまず初日を終えたところである。私の今回の仕事は、ステージの司会、そしてCS中継だ。ステージでは、元選手のプロフェッショナルに競輪予想を聞いていく、予想会というものが中心になる。多くの方々がステージ前に集まって、真剣に展開予想、そして狙い目を聞いていかれる。一般的なギャンブル、特に競輪については世間的なイメージでいうとこわそう、なんて言われたりするが、実は競輪場のお客様は、とにかくフレンドリーである。全員が全員、実は遠い親戚なんじゃないかと錯覚する時もある。そして、とにかく真剣だ。自分が信じるレースの展開、そして選手にお金をかけて億万長者の夢を託すのだ。アットホームな空気感の中にある、真剣なピリッと感。これは実際に競輪場に来てもらわないとわからない感覚かもしれない。走る選手、そして車券を買うお客様の熱を生で感じられる。わたしはこの現場が大好きだ。だからこそ、現場を出た瞬間、もうへろへろ。トムとジェリーのトムが、紙っぺらになって飛んでいくような、そんな感じ。これは昨日書いた、念の話にもつながってくるのだが、真剣な人間と関わるときには自分もいつだって真剣でなくてはいけない。だから一人になった瞬間、ぺらっぺらの紙になったみたいに飛んでいってしまいそうになる。今日はぺらっぺらに飛ばされながら、馴染みのシーシャ屋に向かった。店員のお兄さんはいつも優しい顔をしていて、とにかく居心地のいい店だ。異国情緒のある癖の強いやつをお願い、というとぴったりなフレーバーを調合してくれた。年末にはそこのシーシャ屋で紅白が始まるまでの時間、年越しそばをだしてもらったりもした。(紅白は観ないといけないからね。)ゆったりと常連さんと話をして、あまり遅くならないように宿に戻った。シャワーを浴びたら、ぺらっぺらの紙からふわふわふわっといつも通りの人間の姿に戻れた感じがする。やっぱり人間はエネルギーを使わないといけない。真剣に何かに向き合わないと、腑抜けになってしまう。命を燃やさない人間は滅びる。もったいないから、私はどんなに紙切れみたいになろうと、バシバシにセンサーを尖らせて生きていきたい。ああ、今は充足感でいっぱいだ。明日も早いからそろそろ寝よう。みなさん、良い夢を。

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