ニューヨーク駐在記録「息子と煙草とホームレス」
NYでは歩きたばこをする人がいる。私も息子もたばこの煙が嫌いなので、たばこを吸っている人を見つけるとよけるのだが、ある日息子が「なんで、身体に悪いのを分かっているのに、たばこを吸うの?」と聞いてきた。私は「それくらい、たばこが美味しくて、やめられないからじゃない」と答えた。すると「そもそもなんで身体に悪いものを売ってるの?そんなに悪いものなら売らなければいい」と言うのだ。確かに…。たばこは百害あって一利なしだわ。とりあえず「国の法律で売ってもいいって決まっているから」と答えたら、息子は「ふ~ん」とわかったような、わかってないような返事をしていた。(その後、JTにこの件を問い合わせしてみたところ、私の答えと似たような回答がきた)
また別の日。私が住んでいるあたりはNYの中でも治安がいいとされているが、大通りに面していて、地下鉄の駅が近いため、ホームレスが多い。その日、たまたま息子と歩いていて、誰かがホームレスにサラダを手渡しているのを見かけた。NYではこのように通りがかりの人がお金をあげたり、食べ物を与えたりするのは特段珍しいことではないのだが、それを見た息子が「なんで、食べ物はあげるのに、ホームレスの人でも住める家を教えてあげないんだろうね?住む家がないとあの人達(ホームレス)の生活はずっと変わらないのに」と言うのだ。まぁ、たしかにそうだ。食べ物を与えても(与えないよりはずっといいけど)それは一時しのぎだ。息子はシェルターの存在を知らないが、安心した家がない限り、路上生活も無職も変わらないままだ。
私にとって、たばこもホームレスも、自分に直接害がない限り関係ないものであり、言い方は悪いがただの風景だった。しかし、息子にとってはそこから「なぜ」という根本的な問題を探りたかったようだ。子供のほうがよっぽど社会問題を考えているとあらためて気づかされた出来事だった。