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個人図書館
それが迷惑だということは判っているんです。
だけど私にはそれがとても楽しくて、すっかりやめられなくなってしまったのです。
きっかけは、友達に頼まれて橋本弥生さんの家を訪ねたことでした。
私は頼まれたものを弥生さんに渡したら直ぐに帰るつもりでした。
だけど弥生さんが「よかったらあがって珈琲でも飲んで行きませんか?」と言ってくれたことと、部屋の中からおいしそうな珈琲の香りが漂ってきたことで、私はついつい甘え心を出してしまったのです。
それが社交辞令だということが判っていながらも、私は弥生さんの家にあがりこんでしまいました。
弥生さんの家は木造の古びた一軒屋で、両親が無くなってからは一人で暮らしているのだそうです。古びた木の感じが優しくて、とても気持ちが和みました。
ダイニング・キッチンのテーブルで珈琲を飲みながら、私はふと、私と弥生さんとの間には何も話題が無いことに気が付いたのです。
大体私は能弁な方では無いですし、すぐさま気まずいムードになることは明らかでした。
私は冷や汗が出たのです。
そんな私の視界に入ったのは本棚でした。
その本棚には話題の小説がずらりと並べられていて、まるで本屋さんのようだったのです。
「すごいですね」
と私は思わず口に出しました。
「え?」
と目を丸くする弥生さん。
「読みたいと思っていた本ばっかり」
私の反応に戸惑いながらも、弥生さんは「よかったら、いつでも読みに来ていいわよ。私は家で仕事をしているし、部屋は広いから」と言ってくれました。
もちろん社交辞令です。そんなこと判っているんです。判っているのに私はまた弥生さんの家を訪れるのです。
次の週末、私はドーナッツを買って弥生さんの家を訪ねました。
私は弥生さんに入れてもらった珈琲を飲みながら、読みたかった本を読んみました。
それほど親しくも無い人の家で本を読む。普通に考えればそれはすごく居心地の悪いものでしょう。だけどもこれが、とても気持ちが良かったのです。私はすっかりやみつきになってしまったのです。
迷惑だと知りながら、私はたびたび弥生さんの家を訪れて本を読んだのです。私にとってそこは図書館みたいなものでした。
一般に開放されている図書館じゃない。私だけが勝手に図書館として利用させてもらっている個人宅なのです。
ここは私だけ個人図書館なのです。
私は今日も、個人図書館を訪れるのです。
つづく。