シー・モア・ダンス
彼女は胎児のころから踊るのが好きだった。母親の子宮のなかで暴れるように踊り狂う彼女は、もっとスペースがほしいと考えた。母親の腹を脚で突き上げ、腕で押し広げ、だんだん母のおなかの皮膚は伸長していった。ついに彼女が出産を迎える日、母親の子宮は日比谷公園大音楽堂と寸分たがわず同じ大きさになっていた。(こういうときはドームに喩えるのが一般的であるが)。産婦人科の医者が中を覗き込むと、光に目を奪われた。ちょうどマリリン・マンソンがライブをしていたからである。観客席の真ん中で、ひときわ存在感を放つ踊りを見せていたのが彼女だった。赤子なので当然血まみれであり、天井の巨大なライトと、ケーブル状のへその緒でつながっていた。そのせいか、彼女はちょっと発光していた。
彼女は生まれてから一度も止まったことがない。常に踊り続けている。食事の際も、睡眠の際も、足を、手を、胸を頭を、せわしなく動かしている。食事だが、もちろん、彼女は吐く。胃袋が躍るからだ。父親は彼女が栄養失調にならないよう、必死の思いで彼女の口を抑えた。彼女は痩せた身体であるにもかかわらず、父親をぶんぶんと振り回した。父は仕事をやめ、娘の世話につきっきりになった。生活費は、母の子宮が稼いでくれた。逆流性食道炎の治療費も、医者の治療費も。
12歳のころ、父親が踊り死んだ。娘のダンスが感染したのだ。(病名はシャルウィダンス)。ふつうの人間が彼女のダンスを受けてしまえば、足の裏の皮膚は裂けてなくなり、無数の血の足跡をつくり、激痛に身を悶え、やがて失血死してしまう。彼女は悔やんだが、一日経てば、次に踏み込むステップのことで頭がいっぱいになった。母親は大声で泣いて、町中の耳が死んだ。彼女は耳から血を流しながら踊った。
父親が亡くなって、彼女はどんどんやせ細っていく。彼女は海へ踊り向かった。冬だった。冬にも海があることを知らなかった彼女はぎょっとした。
彼女のダンスは体系的ではなく、教育を受けた痕跡はない。しかし彼女はまぎれもなくダンサーだった。ときに関節を外し、ときに涎を撒きつつ、彼女は踊った。
渚に彼女は倒れた。見ると、足が取れている。右の足首が、くっついているはずのふくらはぎと分離している。左の足首が外れる。這いずる彼女の手が崩れる。風化する。血は一滴も出ていない。彼女の顔は安らかだった。冷たい海風が、彼女の破片を空に舞いあげた。そして町中に散らばった彼女は、
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男は机の上を見ている。視線の先で消しゴムが踊っていた。
「おう、どうした。イレイサーくん」
男は無機物に名前をつけるタイプだった。消しゴムは、その直方体の角っこを足のようにして、楽しげによたよたしている。
「楽しそうだな。おれも混ぜてくれよ」
男は人差し指と中指を駆使し、フィンガーダンスを披露した。
「ほら、これがワルツ。社交ダンス。ヒップホップ。そしてこれが……」
ぽろ、と男の右手首が取れた。しまった、と男は思った。消しゴムは落ちた手をじっと見ている。すると手は、自力で立ち上がり始めた。親指と人差し指、中指と薬指を伸ばした四足獣。小指はしっぽだ。
手は手の甲を下に、ぎゅるぎゅると横回転した。机の摩擦はすくないからよく回った。
「あ、ブレイキン」
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