心の関税
トランプさんが関税で世界をにぎわかしている。難しい経済や外交は僕には分からないので俺は俺が心の関税と呼んでいるものについて語る。
リカードの法則
心の関税理論を話す前にリカードの法則の話をしたい。別名、比較優位の法則。実際のリカードの法則は各自CHAT GPTにでも聞いてもらうとして、それを参考にしたたとえ話をしたい。
ここにAさんとBさんがいる。この二人で協力してタスクXとタスクYを行う。2人の能力は以下の表のとおりだ。どうやって配分したら最も効率がよいだろうか。
X Y
A 4 2
B 1 1
数字の意味は単位時間あたりに行うことができる仕事量。
正解はAがXの仕事を専属で行い、BがYの仕事を専属で行うだ。
いろいろな前提を省略しているのでつっこみどころは多いがここでは教科書的におさえてもらいたい。要するに能力の高い人に得意なことに集中してもらって、劣った方はそれに合わせて余った仕事をやるのが一番効率が良いということが言いたい。
ではこの例えのAなどを具体的なものに置き換える。A=25歳女性 B=40歳男性 X=指示役 Y=雑用係
こうした時に先ほど出した結論のとおり仕事を配分するのが良いとなるだろうか?という話だ。まあ、現実には相当リベラルな企業などではない限りならないだろう。ではなぜそうならないのかを”心の関税”という概念で考えたい。
心の関税
先ほどの例の状態になった時、人には”心の関税”が働くと俺は考えている。「自分の方が年上(年下)なのに」「なんで女の指示に従わなくてならないのだ」「この俺が雑用だと?」「年上の人に指示するのは怖い」こういったやつだ。これら心の関税が働くので各個人がもっている能力から心の関税の分パフォーマンスが落ちる。
だから、先ほどの例ではAにXをやらせた方が心の関税がない状態であれば良いのだが、心の関税が働くとそう単純な結論にならなくなるのだと俺は捉えている。
経済理論的には関税は悪とされる。経済学的には基本的に誰も得しないからだ。それと同様に心の関税も悪だと俺は思っている。しかし、国際貿易の世界で関税がなくならないように、人間関係の世界でも心の関税はなくならないことだろう。心の関税とはうまく付き合っていきたいものである。以下は心の関税理論の応用編。
心の関税自主権
関税といったら関税自主権だろうと思うのは俺だけか?とにかく心にも関税自主権があると考える。引き続き先の例を使う。実際にBにYを振るということを行うと、Bが雑用なんか絶対やらん的なこと言う。これはBにYをやらせるには高いコストがかかるということだ。一方のAはおそらくそこまで文句を言わないので安いコストで運用できる。そうなると能力だけ見るとAに指示役をやらせたいけど、コストを加味すると無理かなという話になる。
リアルに想像してみると雑用とは言えやらなければならないということで、Aが雑用を行いつつ、指示役をAがBを立てつつ手伝いながらやるとなることだろう。
この時Bは心の関税自主権を発動している。自分を保護するために心の関税自主権を発動するのだ!
心の領事裁判権
関税自主権と言ったら、領事裁判権と思うのは俺だけか?(天丼)
心の領事裁判権もあると思う。
心の領事裁判権は客観的な評価を採用するのではなく自己評価を採用する権利だと思っている。
「自己反省する」という行為は心の領事裁判権を持っているからこそできる行為だと俺は思っている。
心の不平等条約
領事裁判権と関税自主権といったら(略)。
他国を傀儡化したいならまず関税自主権と領事裁判権を奪え。これ鉄則。ということで他人を支配したいなら心の関税自主権と心の領事裁判権を奪うのだ。
「俺に雑用をやらせるならそれ相応の誠意を見せてもらう」「自分のような人間はもっと高級の役職をあたえられるはずだ」こういった心の関税自主権と心の領事裁判権を許すな。
相手の都合でパフォーマンスを変動させてはならない。やる気が出ないからインセンティブをよこせといった要求をさせるな。
自己評価などという甘えを許すな。評価とは他人から与えられるものであって自分で自分に与える物ではないと叩きこめ。
語気を強めればこういうことになる。とは言えこんなことを露骨に言えば反発してくるのは当たり前。そこはうまくやろう。
心の関税自主権を放棄してくれる人を徹底的に優遇することで、自ら放棄させる懐柔策をとったり、心の関税自主権を主張する人間には心の経済制裁(村八分)を行う強硬策をとったり。
心の領事裁判権を放棄させるには俺の経験則では「君は正当に評価されていない。私だけが君を正しく評価してあげられる。」といった言葉を投げかけ続けることによって、こちらの評価を重視させるように誘導するのが効果的と感じる。
とにかく心の不平等条約を結ぶのだ。
心の独立
多くのサラリーマンは心の関税自主権と心の領事裁判権を奪われている。まあ、サラリーマンとして優秀ということは心の不平等条約を会社と結んでいることだと思うのでさもありなん。
「自分の価値は自分で決める」「自分を安く買いたたかれてたまるか」「心の独立」
多分意識高い感じのビジネス書はこんなこと書いてあると想像している。まあ、それができるくらい優秀な人はそれをやった方が良いだろうと思う。しかし、人のスペックって大して違いがないので心の関税自主権や心の領事裁判権を強く主張している大半の人はわがままで自己評価だけ無駄に高い面倒な人になり誰からも相手にされない。心の独立とは国家の独立と同じくらい難しいものだと感じるのである。
最後に
心のブロック経済とか心の貿易摩擦などいろいろこじつけて語れそうだけど人間の心の性質が経済となって形に現れているんだからそりゃこじつけられるってものだ。ということでここで終わり。
年功序列とか終身雇用とか非効率、働かないおじさんはクビにするかできないなら降格しろ、逆に優秀な若手はさっさと昇級させて好待遇しろとか思わないでもないが、心の関税を考えるとうまくいかないこと多そうだなと思ってしまう。
ままならないね。