仕事が出来るかどうかが通ってた学校の偏差値で分かる理由

俺はいろいろな職場を転々としているので、いろいろな人間を見てきた。そこで分かったことは何だかんだ言ってもやっぱり偏差値高い学校に通ってた奴は使えるし、そうでないのは使えないってこと。単純にスペックの問題もあるが、生き方というか考え方がまるで違う。残酷ではあるけど遺伝子と環境に恵まれるかどうかは重要だなと感じるところである。そんな俺が感じたことをいくつか書いてみる。

業務に必要な知識を独学する・しない

偏差値が高い学校に通ってた奴は勉強することが体に染み付いている。だから、他人から言われなくても自分で勉強する。仕事で分からないことがあったり、上手く出来なかったりすれば、仕事中にすぐ調べるし、休みの日にも勉強してみる。それが当たり前だと思っている。

一方偏差値が低い学校に通ってた奴は勉強はやらされるものだと思っている。だから、社内研修や慣熟訓練の場が会社から提供されればその時は勉強するかもしれない。しかし、そうでなければ自分から勉強しようとは思わない。思わないどころかそれで自分が仕事ができない場合、教えてくれないのが悪いのように考える。

仕事への取り組み方の違い

偏差値が高い学校に通ってた奴は、まず目的や意図、理由をはっきりさせた上で仕事に取り組む。受験の時に志望校の志望理由を明確にしたり、志望校のレベルに合わせた受験勉強をするなどしたりした経験から、ゴールから逆算して計画するということが体に染み付いているのだと思う。

一方偏差値が低い学校に通ってた奴は、上司から言われた通りのやり方、これまでそうやってきたからという惰性的なやり方、周りがそうしているからそうやるという仕事のやり方をする。おそらく、まともに受験勉強をしたことがなく周りが受験モードになってきたから自分も焦って勉強した、志望校も何となく周りが良いと言っている学校や先輩達が良く進学していった学校を選んだのようなことをしていたので、そのやり方を大人になってまで続けているのだろうと思う。

ミスをした時の対応の仕方

偏差値が高い学校に通ってた奴は、ミスをした時その原因分析と再発防止策の徹底をかかさない。なぜなら、受験勉強の際に間違うこと自体は多く経験しており、大切なことは次に同じような問題が出た時に確実に答えられるようにすることだと理解しているからである。

一方偏差値が低い学校に通ってた奴は、ミスをした時に言い訳を考えて誤魔化そうとすることに必死だ。そして、その後は喉元が過ぎたようにミスしたことを忘れる。おそらく、受験勉強時代もテストの点数に一気一憂するだけで復習するといったことをしてこなかったのだろう。友達に対して「今回点数が低かったのは部活で忙しかったからだ」などと自分は馬鹿ではないというアピールをすることにかまけていて、次のことを考えてこなかったのだろうと思われる。

おわりに

仕事ができない奴はそうなるべくしてなっている。そして、その習慣は既に子供の時から出来ているのだと良く分かる。なので、仕事ができない人を見る時「こいつ使えねえ」という怨嗟よりも「こいつは可哀想だな」という憐憫の気持ちの方が強く感じるわけである。そいつの努力不足だと言ってしまえばそうなのだろうが、上記の考え方の違いは親や友達の影響を強く受ける。それは本人の努力ではどうにもできない。今回は仕事という面にフォーカスしたが人生全般を通して、似たようなことが起こっていると思われる。

格差是正の話を聞くたびにこれらのことが頭をよぎる。格差をなくしたいのなら、家族制度をやめて古代ギリシャのスパルタのように、生まれてなるべく早くに国に子供を預けて統一された国家教育を受けさせるようにするとかしないと無理だろうなと思う。遺伝子の差はどうしようもないだろうけど、考え方くらいはマシになるかもしれない。

格差は是正できないので徹底して他人と比較しないようにするしかないだろう。考えたってしょうがないし、特に自分が底辺側だと気づいた時にはたいていもう遅い。上の奴らは奴らで競争に揉まれていたり、優秀が故に「まだ足りない」という焦燥感に追われていたりしてそれもそれでなかなかに不幸であるのであまり妬まない方が得だ。

平等という幻想が不幸の諸悪の根源である。幸福になりたければ、世界公正仮説のバイアスに抗いこの世は不平等であるという現実を受け止め格差があっても気にしないことである。格差の問題はわざわざ不幸になりたがる人か幸福であるが故に暇な人が対応してくれるのできっと問題ない。

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