普通ってなんだよ(哲学)

アニメとかで「私って普通だから・・・」って全然普通じゃない主人公が言ってて「普通ってなんだよ(哲学) 」っていうよくあるツッコミ。

俺の世界観における普通について書く。まあ、別に”普通”のことしか書かないのでそんな面白いものでもないと思うけど。

普通は相対的

俺にとっては普通は平均的、中央値的な存在。だから母集団によって、普通は変わる。

学生の全国模試(共通テストなど)であれば、偏差値高い学校の奴ら内での普通は8割9割の点数をとっていても普通。低い学校の奴ら内では、5割言ってなくてもそれが普通だったりする。

普通ってのは周りとの比較の話なので、唯一絶対的な普通なんてものはない。だから、何と比較してあるいは何を母集団と考えたときに普通と言っているかの説明なしに、”普通”って言われても「普通ってなんだよ」っていう話である。要するに無意味。

だから、「私は普通です」みたいな自己紹介する奴見ると「お前の事もお前の周辺のことも興味ねえから、何をもって普通って言ってんだか分かんねえ。何で俺がお前のこと詳しく知っていること前提みたいに話すんだこいつ。」って思っている。

普通は変化する

普通は平均的、中央値的な存在。だから、母集団が変化すれば必然的に”普通”も変化する。

この世は常に変化しているので、母集団が変化しない集団なんてものは基本的にはないと思っている。だから、普通も常に変化している。今の普通がかつての普通と同じとは限らないし、未来の普通と同じとも限らない。

だから、”普通”って言葉で共通認識を得られたとしても、それはその時点で得られただけで次会った時にまた得られるかは分からない。

「普通はこう考えるよね」みたいなものも「それいつの時代の普通だよ」ってなることが良くある。

普通は抽象であって、具体ではない

普通は平均的、中央値的という概念的な存在。平均や中央値という具体的な実物が存在するわけではない。「私は普通です」と言うのは「私は比較的普通に近い存在です。」って意味であって、「私は普通の実在です」って意味ではない。

だから「私の考え方は普通です」と言って、それ以上自分の主張の説明しない奴いるけど、「平均に近い考え方しているのは分かったけど、近いだけで完全一致ではないんだからその差異を説明しろ。そもそも、大抵の場合ここでいう平均ていうのもだいぶ曖昧な存在なんだから、普通って言葉で説明した気になるのやめろ」ってなる。

普通って言葉嫌い

普通なのが嫌だって言うと自分が”特別”になりたいとか、”異質”でありたいとかそういう奴?って思われるかもしれないけど、そうではなくて普通って言葉は思考停止ワードなので嫌い。

言葉の綾で「私は普通ですよ」って言うことはあるだろうけど、まじで思考停止して「私は普通ですよ」って自分が”普通”だと思っている奴が多い気がするので、普通って言葉を使う奴は思考停止したアホだと思っている。

俺の言う”普通”って意味で”普通”を説明しようと思ったら、膨大なデータや調査や解析が必要になって説明クッソ大変。「私は普通です。(ここでいう普通とは○○を母集団と考えた時に、標本調査を行い、このような測定方法で出した値から、中央値を導き出して、その中央値から偏差が±◇%以内で~)」なんて自己紹介するより、「私は○○で、△△で、◇◇です」って言った方がまだ楽。もっというと「私は少なくとも◆◆ではありません。」と言うのが妥当。

普通に似た用法で使われる用語として、常識、通念、一般的、適当、適切みたいなものがあるけど、これらも好きになれないね。こういった曖昧な言葉でとりあえず問題を先送りにするという戦略なら納得できるけど、大抵の場合は使っている奴の思考停止のツケを押し付けられているだけだから。

思考停止ダメ絶対。

唐突なシャニマス語り(寧ろ本編)~智代子のコミュ読んで~

今回の記事を書いたきっかけであり、俺にとってはこっちが本編。

ちょこ先輩こと園田智代子のコミュ読むのずっと避けていたんだけど、評価高いみたいだったので読んだら面白かった。

「クラスに一人はいるごく”普通”の女の子」というプロフィールの時点で、俺の中の興味は最低ランクに位置付けられていた。

放クラのイベントコミュとか他のキャラのサポートコミュだけ見ている感じだと、周りに気を使って、バランスよく振る舞い、ボケもツッコミもこなす要領の良い(使い勝手の良い)キャラだなくらいにしか思っていなかったのに、GRADとかLPとか読むと結構戦略家だし、熱い情熱と折れないハートをもっているし、何か共感できるところあるなってひきこまれた。

でも、智代子のコミュ読んでいる時のずっとモヤモヤする感じがなかなか堪える。それこそ”一般的”には智代子のコミュはサクセスストーリー形式だし、智代子は放クラのため、ファンのためと如何にも日本人が好きそうな自己犠牲キャラだしなので見ていて気分上がる人の方が多いんだろうなと思いつつ、おれは智代子がうまくいけばいくほど応援したい気持ちと、心折れてくれねえかなという気持ちがせめぎ合ってしんどい。

智代子の「まず人の為に頑張る」みたいな発想俺はあんまり好きじゃないから、「智代子まずは自分の為に頑張ってくれ」って思ってしまう。智代子的には人の為に頑張るのが自分の為に頑張るより、気分が良いというかモチベーションが上がるんだろうから智代子は智代子らしく頑張ってもらえればいいんだろうけど、なんかそれこそが成功の道だみたいな演出されると俺の生き方がだとダメだと言われている気がしてモヤってしまう。

「(あまり深くものごと考えずに)ノリとテンションで生きています!(これまで苦労したこともないので)人生とはハッピーなものだと思っています!(人間関係に苦労したことないので)人間とは生まれながらにして善い心をもっていると思います!本当の悪人なんていません!」みたいなキャラが智代子みたいな生き方していたら、恵まれた人生で良かったねで納得できるんだけど、智代子は別にそうではなさそうなのになんでそんな生き方ができるんだって思わされる。完全に嫉妬。

そんな気持ちもあったので、「砂糖づけ・ビターエンド」と「うつくしいあした」は心にくるものがあった。

「ビターエンド」の方は、俺だったら「代役に選ばれたチャンスをものにして、本家を食ってやる」がモチベーションになる。でも、智代子は「本家を楽しみにしていたファンが悲しい気持ちにならないように頑張る」なんだよなあ。もう「ぐはぁっ」って感じだよ。智代子良い奴過ぎだろ。結果的に代役に選ばれたことに対して「頑張るぞ!」ってなるところは同じなのに、そのプロセスが俺と真逆なのが面白い。

エピローグも智代子は「全員には届かなかった・・・」というしっとりした感じになる。俺だったら「クッソ!勝てなかった!」ってしっとりにはならない。でも、きっと「何が原因だ?どうすれば次はもっとよく出来る?」って考えるのは同じなんだろうなと思った。

智代子と俺は思考の最終結果や結果として出てくる行動は同じなんだけど、そこに至るまでの考え方、価値観が真逆で本当に面白い。コミュ読んでいて「へ~そう考えるんだ。俺は絶対そうは考えない」からの「え?そう考えた結果その行動とるの?なんで俺と同じになんの?」となるのはこの世の不思議だ。

最近は結果さえ良ければ全て良しではなくて、寧ろプロセスも同時にアピールして売りにする時代なので(SDGsしかり、コンプラ重視しかり)、素で多くの人から賞賛受けやすい生き方が出来る智代子が羨ましい。

LPのイベントが雨天中止になるやつ、俺でもきっとネット配信かなんかで代わりの何かやろうってするだろうけど、目的は「雨天中止で暇になったファン共にファンサして、他のアイドルのファンもついでに奪って信者を増やそう」だからな。コミュ読んでた時、智代子が「プロデューサー相談があるんですけど・・・」って言い始めた時の「まさか・・・。ネット配信したいとか俺が言いそうなこと言うなよ・・・」という予想をやはりやってきた智代子は俺の天敵だ。それも善意で。恐ろしい。

「うつくしいあした」もそう。俺だったら悪意のある記事に対して、「ピンチはチャンス。これをきっかけに一般層の注目も上がっている間にもっと頑張って成果を出そう。そして、批判を賞賛に塗りつぶしてやる。」みたいに考える。

(俺の場合はさらに、ついでに同情を買うなどの方法で味方をつけ、悪意のある記事を書いた奴を潰し今後俺の敵になる勢力が湧かないようにさらし首にするか、今回は見逃すという形をとり、恩を売りこちらに取り込むかしてしまおう。」とも考える)。

ちょこ先輩は自分のことよりも、オーディションで自分に負けた人とかアイドルになれなかった人たちのこと心配しててやっぱり俺とは違うなと思った。俺にはその発想一切なかったわ(自分には関係ないし)。でも、結果的に「皆に認めてもらえるようにもっと頑張る」という思考と行動になるのは俺と同じなんだよなこれが。

「私嘘なくアイドルができるようにします」には俺の中の冬優子が湧いてきた。あの時おれは冬優子と肩組んでたね。「冬優子、俺たちは俺たちのやり方でトップアイドル目指そうな!(俺は別にアイドルにはならんけど)」

そんなこんなでちょこ先輩は俺のライバルです。ちょこ先輩から学べることも多いので、これからはちょこ先輩のコミュも読めるように頑張ります。




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