働かないおじさん問題は仕事が出来ないからではない
働かないおじさん問題はおじさんがIT出来ないとか、歳取って単純にパフォーマンス低いからとか、パワハラ、セクハラなど時代錯誤だからとかだけではないと思った俺の実体験の話。
先に働かないおじさん問題の原因を述べる。それは共同体が崩壊して個人化が進んだから。要するに会社は家族的な関係がなくなったから。
俺が入社したばかりの話。入社してすぐに新人歓迎会として飲みに連れて行かれた。俺は一人が好きだし、今時の若者という感じでそういう付き合い大嫌いだった。二次会もあったし、その後は若い人だけで風俗行くぞ的な流れで連れて行かれもした。まぁ俺としては社会人というものに対して最悪な印象を抱いた。ただ、それでもマシだったのはその飲み方だとか風俗の費用は全部上司や先輩が出してくれたことだった。
時は経ち現在。自分が新人として入社した時にあった新人歓迎会はもうない。コロナ流行期ほそもそも飲み会禁止で歓迎会すらなかった。最近は少しずつ復活してきた感じもあるが、お上品に1-2時間程度飲んで基本的にはそこで終了。精算も多少の傾斜配分はあれど全額奢ってやるから遠慮せず飲め!という感じより恒例行事だから義務的にこなす感じになった気がする。
定年間近の上司から聞いた話。その人が若かった頃の若者の仕事は飲み会の幹事をすること。毎週のように飲み会があったし、休みの日はボーリングやスキーなどのアクティビティに行く。若者の給料は年功序列で少なかったが、費用はほぼほぼ40-50代の人が出してくれたので助けられたとのこと。
会社が家族時代は働かないおじさんと呼ばれる年齢の世代はある種お財布になっていた。先の上司曰く、その当時から50超えたら若い人達に比べ仕事なんか出来なくなってくるから、半ばお財布要員として考えられていた。毎週のように安くはない額の金を出してくれていたので、仕事をしないとか多少のパワハラなどは全然許せたらしい。
しかし、現在は上司が部下に奢る機会はそう多くはない。飲み会に誘って奢ってやることは出来るだろうがそもそも今の若者で飲み会に誘われて嬉しいという人の方が少ないのではないか。かと言って現ナマ渡すわけにもいかない。そうなると、若者は働きもしないくせに自分達よりも給料をもらう働かないおじさんに不満しか抱かないのである。
年金問題にも通ずるところがある。若者は高齢者を国家の金食い虫と嫌悪する。それは、その年金が高齢者のところだけで消費され自分達に還元されないと感じるからだ。おばあちゃんが年金で孫の為に何かを買ってやるのように、若者に還元されていることを実感できればよいのだが、今や年金世代の半分は独身ということもあり、仮に自分の祖父母からお小遣いをもらったとしても、自身が差し出しているものに比べれば還元されていないと感じても仕方がないのかもしれない。若者への還元という意味では年金不正受給の方が寧ろ還元されている感を個人的に感じてしまうくらいである。
そんなこんなで、個人主義社会となるとローカルな富の配分の仕組みが崩壊し、結果的に役にたたない奴は邪魔という価値観が蔓延するのだなと実感出来たという話。
たしかに年功序列で若い奴の給料少ないだろう、飯奢ってやるからついてこいと上司に言われて素直に喜べるかというと俺も微妙かもしれない。だったら普通に給料上げてくれと思ってしまう。逆にお前先輩なんだから全額出してやれと言われるのもそれはそれでと思ってしまうのも正直なところである。
俺はもともと個人主義かつ実力主義なので、飲み会がなくて職場で仲良しこよししなくて良い、実力主義で成果を出した人間に権限を与えるべきと思う方ではある。だからこそ若いうちに金溜めてFIREしたい的な発想になる。なぜなら歳を取った自分が自身の考え方に追い詰められることを本能的に理解しているからである。世間のFIREブームもきっと俺みたいな奴が口火を切ったんだろうと思っている。
俺は個人主義が好きだ。集団行動大嫌い。助け合い、思いやり、一致団結そんな言葉で嫌なことを強要された思い出しかない。しかし、俺のような人間が個人主義を叫ぶのは良いが皆が一斉に個人主義を叫ぶのはどうかと思う。「皆で仲良くしようよ」という中「くだらねえ。俺は好きにさせてもらうぜ。」という奴が一人いるくらいの塩梅がちょうど良い。俺が個人主義としてフリーライダーするためにも皆には共同体意識を持って生きていって欲しいと思う今日この頃である。