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芸術家の身体に耳を傾けてみる。

美術家 成田優之(ゆうの)さん

 成田さんが喜多方に来たのは5年ほど前。アートプロジェクトに参加するためだったが、そこで出会った雄国山の斜面に惚れて喜多方に住むことを決めたという。

「木々がある山の部分から延びる斜面の感じが良くて。あそこの、蕎麦の花がみえる少し上のあたりが」

 実際、その斜面が見える場所に家を借りて住んでいる。一階はアトリエになっており、そこに飾られている絵はすべて抽象画。現代美術がよくわからない私には、線と色が並べられている、とだけしか見えない。雄国の斜面もこれらの絵のように、成田さんの中では線と色が構成されているだけなのかもしれない。

「夏が終わると、雪を待ってしまうんですよ。雪がすべてを覆い、雪が深くなると音も消えるんです」

 名古屋に生まれたが、名古屋が嫌で東京芸術大学へ行った。しかし、東京にも違和感を覚えた。そのため芸大本部のある上野校舎でなく、茨城取手校舎の研究室に属した。都会は「意志」に囲まれているという。確かに、建物にしても、土地利用にしても、またあふれる広告も、何かを訴えてくる。目的のない空地や隙間はない。いつも人の思惑のようなものに曝されることとなる。
 雪が降ると、人の意志は自然に包まれ、自然の無作為さにより無力化される。そうなれば、なんだか「ふっ」と心の力が緩む。物理の授業で習った「作用・反作用の法則」が真理だとすると、外部からの力に対抗するために、内部から反発する力が必要となる。「意志」の力に曝されれば、その分の力を外に発しないとつぶされてしまう。

 成田さんが喜多方で創作活動をするようになってから、色を多く使うようになったという。それが何を意味しているのか、彼女が描く抽象画のように解釈はこちら任せであるが、喜多方の地が成田さんを「ふっ」とさせたのかと想像してみる。外からの力が薄れれば、それに抗わなくてもよくなる。つまり、成田さんは反発でない、自分の中から出てくる自発的な力に集中できる。芸術家の身体を使った小さいけど本当の反応。

 私たちの生活を見てみると、外部の力への反応が多い。上司が言ったことや他人が思っていることへの反応としての行動が多い。成田さんのような「自発的な力」は、何かを生み出す。生み出されたものはどんなものでも、自分をしっかり見つめた本物だ。そんな環境を喜多方は持っているのだと、芸術家の身体は語っていると思う。
 成田さんの身体を信じるなら、私たち個人個人も、自分の身体から始められる力を生み出していけるはずである。ここはそれができる場所である。

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