政府
政府の役割とは主体の量・多様性の増加である。
なぜ主体の画一的な質を上げる必要はないのだろうか。それは第一に量・多様性の下では主体の営為の加算的な合成で最適配分を近似可能だからである。ところで資本主義とはプロパティと主体との疎結合に基づく、いうなれば置換システムであった。ならば生産物は社会に対して加算的に作用する。そこで最適配分性が凸関数またはそれに近しい連続関数によって評価されるなら、十分に偏りがランダムであり母数が多ければ集計の奇跡により極めて高い精度で最適点を近似できる。偏りがランダムであるとはすなわち多様性が高いということである。その多くは主体に依存するので主体の多様性を重視すべきなのである。また非凸非連続であったとしても合理的な荷重の対話において凸関数が登場するだろう。したがって主体の量および多様性の向上がキーなのだ。第二に画一的質の向上はその選定・評価において市場メカニズムのほうが圧倒的に失敗しないからである。これらを踏まえたうえで第三を導く疑問。市場メカニズムは主体の量・多様性を減じるのだろうか。
市場の失敗を細分化すると
①外部不経済、②不完全競争、③非排除性 である
①ある経済主体が契約または正常な競争を介さず他の経済主体に悪影響を及ぼすことである
②マクロでは貨幣流通量低下が、産業構造としては高固定費・スイッチングコストが、個別事由では解決することに大きなコストがかかる資源の偏在的利用、ダンピングにつながる条件付き契約や一過性の価格設定、干渉が因子となり、独占寡占市場が生じる
③排除性が低い商品については対価を払わない利用者が生じやすく収益性が低下する
すべて主体の数の減少は自明である。主体多様性の減少は①,②において置換不可な淘汰が起きることからわかる。
また②の貨幣流通量について、伸び率が高いほど貨幣価値の減少により投資を行うまでの猶予がなく主体が無鉄砲になることでリソースが高騰し、多様性が減じる。一方低いほど猶予が長くなり伸び率が0%以下になればもはや平均して投資の合理性がなくなって多様性を減じる。従って税率や財政出動額、政策金利の操作により伸び率を0%より高くすべきで、具体的な誘導値は社会的な探索の合理性により調節するべきである(関連:探索と利用のジレンマ)。
また主体の量・多様性の増加は政府の失敗を抑制する効果をも持つ。