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エレゲイア・サイクル ~アレン・ギンズバーグとウィリアム・バロウズへのエレジー

 古書店の最奥でニコラス・スモーレットはページをめくる。その動きは時間が巻き戻ることは決してないと念を押しているように見える。彼が読んでいるのはポール・ヴァレリーの『テスト氏』だ。彼はこの短い、ヴァレリー自身は嫌っていた形式で表現されたものを何度も読んでいる。世界にはおびただしい量の書物があり、それは増え続けている。すべての書物は精霊が先んじて用意したものであり、物質として残すことだけが人間の役目であると考えるスモーレットの精神は仕事も趣味も株式の浮き沈みを眺めることであるテスト氏に近い。株式が動くことで、社会も動く。しかし、会社がすべての株式を放出してしまえば空白であり、名前のないもの─ソシエテ・アノニム(※フランス語では株式会社の意味だが、直訳は無名会社である)になってしまう。これが精神と同じであることは言うまでもない。詩人としての才に恵まれながら、自らそれを疑ったヴァレリーはヨーロッパ最高の知識人、読者という地位に上り詰めた。
 スモーレットはヴァレリーやテスト氏に倣おうとしている。彼の知に対する傾倒は並々ならぬものがある。しかし、ヨーロッパの凋落を前にした栄華は半世紀以上前のことであり、彼を後押しするような時代の波は過ぎ去っている。つまるところ、スモーレットは自身で見ることのできない場所─背中か、髪に覆われた後頭部だろう─に検印されている。〈時代遅れ〉と。
 ドアが押され、上部に取り付けられたガラスのベルが鳴る。スモーレットは文字を追うことを中断し、不躾な闖入者を睨む。闖入者は陽光を背に薄暗い古書店を歩き回っていく。その足取りは軽く、踊っているようですらある。不意に足を止めた闖入者は麦わら帽子に手をやり
「ジャック・ケルアック、ジェームズ・ボールドウィン、ジェームス・ジョイス……考え物だな」
 精神の産物であるスモーレットはため息をついて『テスト氏』にしばしの別れを告げる。スモーレットは闖入者を見る。麦わら帽子、球形サングラス、伸び放題の髭、アロハシャツ、ジーンズ、猫の舌〈ラングドシャ〉状になるまで履き潰されたビーチサンダル。これらの情報から導き出された答えは冷やかし客である。スモーレットは冷やかし客に処方箋を書き、限りある時間の空費を窘めることができないことを知っている。あらゆる闖入者は自他問わずに時間を空費する。そして、それはスモーレットが理想とする輝かしい精神からは程遠い。今、まさにスモーレットは『精神の危機』なのだ。闖入者は書物を手に取ることなく、ふらふらとやって来た。その様子は酔いどれである。
「よぅ、元気かい?」
 陽気な声は気遣う必要がなさそうだったが、スモーレットは礼儀正しく「えぇ」と答えた。闖入者は机に置かれた『テスト氏』に目をやる。
「火曜日は好きかい? デカシラーブ〈十綴音〉?」
「よくご存じのようですね。しかし、私にとって、好きという言葉では不足します」
「完璧な言葉はないぜ。最初に言葉を編み出した奴が誰かを、おれは知らないが、そいつが悪いと責めるのは酷ってもんだ」
「責めてなんかいません」
「そうかい? おれにはそう聞こえたぜ。思ったことを口に出せないのは、それを編み出した奴が悪いってさ」
「言いがかりです」
「かもな。ところで、デカシラーブ。ホイットマンをどう思う?」
「偉大ですよ」
「教科書みたいな答えだ。端っこにインチキの日付と場所を忘れずに書いた、助平なフリをした爺さん……こっちの方がしっくりくるだろう?」
「冒涜です」
「デカシラーブ、ホイットマンとヴァレリーは兄弟だ。血は繋がってはいないにせよ、そこは問題じゃない。つまり、肉体と精神。注目しているものは違うが、これは対だぜ。いいかい? 開く必要がある。目だけじゃない、心だけでもない」
「それ以外、何がありますか?」
「尻の穴」
「死んでいますね」
 闖入者は球形サングラスの縁を撫でると「グルーヴィ」と言った。
「尻の穴と言えば、思い出した。バロウズとギンズバーグに会ったことがある」
「そこから連想するのは下品です」
「ギンズバーグとはニューヨークで会った。バロウズは……メキシコシティだった。思い出すよ。二人ともいい奴だった。ギンズバーグは物静かではあったけど、ジョークが冴えていた。一緒にメシを食った。バロウズは神経質で気難しいと思われがちだが、そんなことはない。いい奴さ。書いたものと同じようにはぶっ飛んでいなかった。二人とも、途方もなく真面目だったよ。度肝を抜かれたぐらいさ。こんなに真面目な奴が、あんなにイカしたものを書く理由はなんだ? どうしてあんなものが書ける? おれが思ったことはこれさ。彼らはクレイジーなほど真面目なんだ。真面目さの先にクレイジーがあるのか、その逆かはおれにはわからないが、とにかくそこだ。おれも見習おうと思った。白状すると、おれはビートニクにのれなかった。流行っていることは知っていたが、どうしても駄目だった。でも、このクレイジーさ、精神と肉体を合わせてロケットに詰め込み、発射させたことは尊敬する。とんでもなく偉大な記録だよ。世界中のメダルや金、花束をまとめて贈ってもまだ足りないぐらいにね」
 スモーレットは目の前で熱弁を振るう闖入者に向かってため息をつく。
「もういいですか? 昼から、催しがあるので」
 闖入者が肩を上下に揺らす。
「どんな催しだい?」
「なんとかキンスキっていう詩人だか作家だかのサイン会です……下らない。私だって、ホイットマンやギンズバーグ、バロウズの功績は認めますよ。好き嫌いは抜きにしてもね。ですが、ヴァレリーほどの完璧さからは程遠い。正に知の巨人。精髄を知っている」
 闖入者は笑みを浮かべ「知り尽くすほど、人間は賢くも阿呆でもないぜ」と言い、ポケットに手を突っ込んだ。闖入者が言う。
「それと、ジェイク・キニスキーだよ。なんとかキンスキじゃない。あぁ……詩人だか作家だかどっちつかずの奴のことさ。今、デカシラーブの前に立っている奴」
 スモーレットは細い咽頭を撫で、唾液が通過する。彼は言葉を探している。ジェイクは焦げ茶色の顎髭を撫で
「気にしちゃいないさ。これも哀歌の輪の一つなんだからね」と言った。



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