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エレゲイア・サイクル ~トレーラー・パークの幽霊

 ジョナサン・ラスキン牧師が荒削りの石門を出て、共同墓地に向かってから一〇〇年経ったが、ラスキン牧師が存命中から牧師館は眠たげにしていた。馬車道で牛馬が拾い食いし、草に腰を下ろした牧童が弁当をひろげて昼餉をとったにせよ、非難する者はいなかった。牧師館からは何人もの聖職者が生まれ育った。最後の所有者であるラスキン牧師は英国風の由緒ある建物で二〇〇〇ほどの説教文を書いた。彼が晩年に書いた説教文は彼自身によってマサチューセッツ州のラジオで読み上げられた。これはいささか斜に構えた、玄人好みの説教文であったものの、州で初めて放送されたという事実が内容に勝った。ラスキン牧師が昇天すると牧師館は徐々に忘れ去られた。これはマサチューセッツの人々から神を信じる心が消え失せたからというわけではなく、より便利な場所に新たな牧師館が建築されたに過ぎない。こうして、旧牧師館は役割を終えた。今現在、旧牧師館の名残は荒削りの石門のみとなっている。馬車道は消え、牛馬と牧童たちの姿も消えた。しかし、消えた場所の穴は何かが埋める。
 トレーラーハウスが並ぶ野原には料理の匂いや話声、違法に傍受したケーブルテレビの音が満ちている。トレーラーハウスの一つから現れたメイヒューは千鳥足で歩き、石門の隣にある切株に腰を下ろした。メイヒューの顔が厳かに見えるのは夜闇の御業である。しばらくすると、赤い顔をしたアービングとベイチョーンシィがやって来て野原に腰を下ろした。彼らは清教徒的な折り目正しい家族姓だが、その暮らしぶりに折り目正しさはどこにもない。彼らは示し合わせたように見上げた。ドイツ語では〈モーント〉、フランス語では〈リュヌ〉、あるいは、それより以前の覇者たちが呼んだ〈ルナ〉─月を。天球上の白道を四週間の周期で運行する黄ばんだ衛星は想像力を掻き立てる。たとえば、満月の夜は犯罪発生率が上昇するというもの。眺め続けると狼に変身するというもの。魔女たちが集会を催すというもの。三人が揃って笑ったのは、これらの迷信を笑い飛ばしたわけではなく、アルコールのためである。
「今日もよく笑い、よく眠った。大した仕事ぶりだとは思わないか?」というアービングの声を聞いたベイチョーンシィがうなずき、しゃっくりをした。
「労働万歳」
「誰にも迷惑を掛けずに自由を追求する。しかも笑いを忘れずに。まったく、重労働だよ」
「寝ていたらバッティに叩き起こされたよ。おれのトレーラーのまわりに生えた草が気に食わないから、草むしりしろとさ。冗談じゃない。言ってやったよ。草はその場に生えたいから生えているんであって、それを止めるなんて正気の沙汰じゃないとね。そうしたら、バッティの奴、パプリカみたいな顔でこう言いやがった」
「ろくでなしか?」
「そう、当たり。当たっても景品は出せないがね。草がどれぐらい伸びるか知っているか? もちろん、おれは知らない。多分、誰も知らないだろう。だとしたら、それを知りたいじゃないか。セコイアよりも高く、月に届くほどの草……渡って行けば月面旅行できる。月の裏側に何があるのか知りたいね」
「月の裏側? 決まっている。『狂気』さ」
「夢がある」
「そういえば、メイズがまた子供を作ったのは知っているかい?」
「さぁ、知らんね」
「何人目だ? いつものように拾った医学辞典を開いて名前をつけたのか?」
「そこまで知らんよ」
「ブレイン〈脳〉、ハート〈心臓〉までは、まぁ……わかるが」
 大袈裟に肩を竦めたメイヒューが「さぁ、アービングのメイズ嫌い自慢がはじまった」と言うと、アービングは手をヒラつかせた。
「メイズが嫌いなんじゃない、理解できないんだ」
「理解できないことについて話すことはできない」
「理解できないことは理解できない。それだけだ」
「さっぱりわからん」
 アービングは充血した目でメイヒューを睨んだが、その視線に怒りはない。彼らは毎日繰り返されるやり取りをしているに過ぎないが、そこにはある種の勤勉さも含まれている。仕事をせず、兵役に就いたことはおろか、税金の支払いすらしない三人は消え失せた旧牧師館のラスキン牧師と変わらない。彼らは視えない存在なのだ。





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