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エレゲイア・サイクル ~記憶の悪戯

 私たちは物語がどこからやって来るのかを知らない。脳にあるどこかの箇所が書物やテレビ、ラジオ、映画、友人や知人と交わした会話といった記憶の断片をとり出しているのだろうが、その断片は虫食っている。そして、記憶は不完全なものであるが故に跳躍や飛躍を許す。

 私たちは物語がどこに向かうかを知らない。優れた書物を残した詩人や作家であっても、このことに答えることはできない。私たちが記憶と呼ぶ感情の副産物はあっという間に変わってしまう。一七世紀で最も博学とされる英国人ベン・オライリー卿は大著『記憶の故郷』において、この問題について論じているが、納得できる者は少ないだろう。ヘジラ暦五〇八年にはアラビアの学者たちがネイシャプールに集い、議論を交わした。これは『有明の書』に記録されている。アラビアの学者たちはオライリー卿よりも過去の人々であるにも関わらず、私たちに近い意見だ。ただ、残念なことに『有明の書』のほとんどは今日、失われている。

 一五世紀のプラハに隠れ住んだカバラ学者たちは数字からすべてを読み解くことができると考えた。この場合のすべてとは、人のあるべき姿はもちろん、過去と現在、未来までも含まれる。彼らの研究が現代で顧みられることはないが、その中でも特に平易なものについては今も少し読まれている。ただし、彼らの研究は記憶そのものに目を向けていない。おそらく、彼らにとって記憶とは隠蔽すべき財産だった。

 一八世紀の初頭に『千一夜物語』がフランスで出版された時、ヴェネツィアからやって来た商人、アントニオ・ベネディッティはこの書物を購入し、道中の友とした。彼は寝食を忘れ、読み耽った。これはこの書物に反する。王の安眠のため、あるいは自らの首が胴体の上にあり続けることを希望した妻が用意した物語なのだから。正しくは、ベネディッティは眠らなければならなかった。その後、彼の幸福な時間は襲撃者たちによって奪われた。彼は命以外のすべてを失ってはいたが、商会に報告し、保険を申請しなくてはならない。厄介事を片付けた後、家に帰ったベネディッティは再びあの幸福な時間を取り戻そうと記憶を頼りに母語で執筆を試みる。彼の記憶が不正確であったことは言うまでもない。そもそも、読解するために必要なフランス語の習熟度も疑わしい。しかし、彼の情熱を否定することができる者はいない。完成した『偽書 千一夜物語』は今日では嘲笑の的、恥ずべき失敗作とされている。彼の記憶違いは甚だしく、目を覆いたくなる。それでも、すべてが失敗というわけではない。たとえば、二六九夜と五二一夜、七五四夜は彼の創作であり、オリジナルに似たところはどこにも見当たらない。これが彼の記憶違いでしかないと断じるか、王のために語る妻に肩を並べる権利を得たと考えるかは読者の自由だが、私は後者の意見を採用する。

〈記憶する〉という言葉には誤りが含まれている。私たちの記憶は常に不正確なのだから。仮に、正確に記憶することができるとしても、正確に表現することができない。対象となる記憶が棲息する深海に潜り、幸運にも捕らえることができたにしろ、深海の水圧に適応した記憶が生き生きとした形のままであるはずがないのだ。

 追記……この章は私の記憶を頼りに書かれたものであるため、概ね間違っている。

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