黒い羊
ぼくの職場はデンバーで最も高いビル、リパブリックビルにあった。ビルは五六階建てで、多分、今でもデンバーで一番高い。ステップ気候に区分されるデンバーは一年のほとんどが晴れている。一般には年間三〇〇日晴れるとされるけれど、実際は二四五日ほど。残りは曇りか雨か雪。
うんざりして仕事を辞めたけれど、気候のことを気に病んだというわけじゃない。ただ、なんとなく。億劫になった。辞める時は規則通りデスクを綺麗にした。次に座る誰かが気持ちよく過ごせるぐらいに。書類にサインして、アパートを引き払い、銀行に行って口座を解約した。銀行強盗みたいにして現金の束をバッグに詰めた後は警備員と一緒に裏口から出た。そこそこ、努力していたんだと誇らしく思った。運転しながら色々と考えた。そして、目的地はアイダホのキャッスルロックに決めた。キャッスルロックはぼくが生まれ育った場所だ。家が嫌で奨学金をもらって大学に通ったというのに、今度は仕事が嫌になってキャッスルロックに帰るのだから奇妙な話だ。ハンドルを握りながら、農場に雇ってもらって家族と同じように平凡で偏屈に一生を終えるのも悪くないと考えた。道すがら、ぼくは散財した。いいホテルに泊まり、毎日洗車。高級レストランで食事してはハリウッドスターみたいにチップを大盤振る舞い。シリコンバレーのマフィアみたいだ。ぼくのほうが彼らより気前も愛想も良かったかも。身軽になりたかった。バッグに入ったお金のすべてを空にしたかった。そして、その願いは聞き届けられた。場所はラスベガスのスロットマシーンとポーカーとブラックジャック。失うものがないという状態で臨む賭けにツキはこない。マシーンを捻る前からツキがないんだから、ないものが出てくるわけはない。それでも、気分が良かった。ガソリン代を捻出するためにジェリーズ・ナゲット・カジノの近くにあるセキュリティが厳重な質屋でロレックス・サブマリーナーを手放した時のぼくの感情を正確に伝えることは難しい。ロレックス・サブマリーナーは職業柄、派手な腕時計を控えるように言いつけられていたぼくのささやかな抵抗の証だったから。それでも、農夫にロレックスは似合わないし、車にはガソリンが必要だ。
イースト・トノパー・アベニューの近くにあるモーテルを借りて、すぐ近くのバーで飲んでいた時、彼女と出会った。彼女はキャロライン・ハーランという名前で、デニムのショートパンツにボディラインを強調したTシャツ。髪の毛を黄色と赤、毒蛇みたいな色に染めていた。ぼくとキャルは一瞬で親しくなった。もう何十年も前から知っているように感じた。彼女と過ごした時間はそれまでのどんな時間よりも濃密だった。それから、二人でモーテルに戻ったら、それまでのガールフレンドたちなら、まずやらないようなセックスをした。多分、大昔なら投獄されるようなもので、前衛アーティストみたいな体位を試したとだけ。完璧だった。疲れ果てていたけれど、そんなことはどうでもよかった。ぼくたちはフリーウェイのすぐ近くにある、二四時間営業の教会に行って結婚した。指輪はペプシの蓋。キャルは死にそうなぐらい大笑いしていた。モーテルに戻ったら再びセックスした。
ぼくは魔法とか霊魂とか、そういうものは全部信じない。でも、キャルは違った。朝になったら、キャルにかかった魔法はすっかり解けていたというわけ。ぼくたちは二日酔いと極端なセックスによる筋肉痛で老夫婦みたいに歩きながら昨日の教会に行った。ラスベガスには、ぼくたちみたいな浮かれた人間が多いから、四八時間以内の婚姻解消は問題ない。はじめからなかったことになる。それでも、書類上は空白を維持できたとしても精神は違う。キャルとの婚姻解消はぼくを感傷的にし、一週間、モーテルに釘付けにした。一日中テレビを見て、食事は昼の一回だけ。頭の中に垂れた陰鬱な気分を吹き飛ばすことができるものがほしかった。たとえば拳銃。銃口をくわえて、引き金を引くという動作が必要だった。でも、本当に陰鬱になると、そういうこともままならなくなる。モーテルで過ごした四日目から七日目までの記憶はほとんどない。寝ていたわけじゃないけれど、起きていたと言うこともできない。ただ、ひたすらバスタブに頭を突っ込むことを考えていた。
七日目の夜、ぼくはようやく目を覚ました。このままじゃいけないと思ったというより、生存本能がそうさせた。ふらふら歩いて、どうにか辿り着いたダイナーでステーキとハンバーグとハムエッグを同時に食べた。ウェイトレスの顔は見なかったけれど、通報されなかったのは運が良かったのか、あるいは哀れな人間だと思われたのかも。ダイナーに置いてあるテレビの画面にキャルの顔が映った時、ぼくは驚くほど落ち着いていた。彼女がぼくと出会うより以前に何をして、そして、別れた後にどうなったのかを知った。ぼくの名刺に記載されているものが〈元為替担当の落伍者〉だとすれば、彼女の名刺に記載されているものは〈ネブラスカ州オマハの家族を殺した凶悪犯〉だ。
キャルはランチョ・ドライブからノース・デケーター大通りに飛び降りた。とても痛かっただろうし、力尽きるまでの間はおそろしかったと思う。ぼくは考え違いをしていた。それまでは、人は死をおそれるのではなく、死ぬ直前までの痛みをおそれているだけだと考えていた。痛みさえなければ、平穏なままでいられると。そんなことはない。いざ、死の影が迫った時、たとえ、死が眼前か真後ろを通り過ぎただけにせよ、暗く冷たい完璧な規則に肝を冷やされる。この規則の前では、会社が決めた〈オフィスを去る時はデスクを綺麗にすること〉という規則なんてささやかなものだし、死がすぐ隣を通過した時に残していくひんやりしたものは、ベッドでキャルと過ごした時にこの上なく赤く膨らんだぼく自身だって委縮させる。
結局、ぼくはキャッスルロックに帰ることをやめた。だから、ここにいる。
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