エレゲイア・サイクル ~放棄
積み上げた石、ジェンガ、トランプ……なんでもいい。とにかく、自分で積んだものを崩すことは気分がいい。ただし、他人が積んだ石を崩すことは駄目だ。これは倫理的な問題というよりも、ぼく自身の考え。ヒュームは理性によって道徳的な判断をすることは不可能だと言っている。彼は道徳的な判断が感情から派生するもので、道徳性は個人の利益から発生したものと考えている。
〈何が正しく、何が間違っているのか?〉
〈人はどう生きるべきか?〉
これらの答えの根っこが個人の利益に従っているのならば、ぼくは極めて倫理的だった。一日一八時間の労働を一年半、一日も休まずに続けたのだから。ぼくはブラウニングのピッパよりも働いた。ピッパは一年に一度、休んでいることを強調しておきたい。しかし、ぼくはトレヴィーゾ県アーゾロを歩く機織りの女の子ではないし、他人を改心させたりもしない。
かつてのぼくは狂っていたが、ぼくだけが狂っていたわけじゃない。少なくとも、オフィスのフロアは狂っていた。毎日がロック・バンドによる乱痴気騒ぎのよう。テレビを投げたわけじゃないし、豚用の麻酔を打ったわけでもない。だけど、狂っていた。
契約書にサインした都合上、一年半に及ぶ〈最狂クレイジーモード〉の仕事を披露できないことは残念でならない。ちなみに〈最狂クレイジーモード〉はCEОが命名した。大金を積んで一夜(実際はもう少し長い)にして頂点の椅子に座った彼は全社員に向けてメールを一斉送信した。
─ 君たちは結果を出さなくてはならない。この場合の結果とは、ぼくの会社の利益になることを積み上げることになる。君たちは狂ったように仕事をするだけでは足りない。最狂クレイジーモードで仕事をするんだ。考える前に仕事をし、考えながら仕事をする。物の見方をぼくに合わせるだけでは足りない。プロセスそのものをぼくに合わせるんだ。もし、このメールを読んで納得できないのなら、去ってくれて構わない。そんな社員はお荷物だ。だけど、新たな枠組みをつくり、ぼくと共に新たな世界の頂点に到達したいと思い、奮闘しようという意欲がある君には約束する。これは実現可能なことだ。ぼくたちが実現する。このメールを読んで、オフィスに残りたいと思ったのならば、メールを閉じて仕事を開始してほしい。さぁ、世界が待っているぞ!
道徳性が個人の利益から発生するのならば、彼はとても道徳的だ。(ここは笑うべきところ)ちなみに、このメールはインターネットに公開されているから、ぼくは守秘義務違反というわけじゃない。
ぼくの〈最狂クレイジーモード〉生活、最後の日について。視界が突然、闇に包まれ、そのまま一週間の昏睡状態に陥った。命拾いしたことは運が良かっただけ。その後、ぼくは一般病棟の病室からオフィスにメール送信した。こうして、すべて終わった。古くて重い殻を脱ぎ捨てたような気持ちだった。でも、解放感ゆえか、ぼくは脱ぐ必要のないものまで脱いでしまったらしい。(ストリーキングしたという比喩じゃない)
ヤドカリは主がいなくなった貝殻に身を隠す。大きくなれば、大きな貝殻を探すし、不相応に大きなものや小さなものに身を隠してしまうこともある。また、ヤドカリは新たな貝殻に移る時に失敗することがある。それは悲惨で、幾分、滑稽な死だ。ぼくは脱ぐべきではないもの、捨てるべきではないものまで捨てた。これの難しいところは、何が捨てるべきではないものだったのかがぼく自身にわからないという点だ。捨ててしまったもの、失ってしまったものを確認する術はないのだから。
今のぼくにあるもの、それは皮肉屋の笑みと、エレジーだけ。
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