蕪村と妖怪
「村」の字。踊る人々の姿のようです。
「むかし丹後宮津の見性寺といへるに、三とせあまり やどりゐにけり」。「丹後宮津に三とせ」。この一事の共通点をもって親しみを抱いている与謝蕪村。左京区一乗寺の金福寺に、墓があります。芭蕉庵を与謝蕪村が再興した寺。蕪村は『洛東芭蕉庵再興記』を書いています。それに ならって正岡子規が『蕪村寺再建縁起』という漫画をつくっているのも、歴史と人の連なりを感じられ、面白いです。
金福寺には、私は 丹後にいた8年ほど前から時々 訪れています。彼らの文才に少しでもあやかりたいものです。墓碑の字はもちろん蕪村の書ではありませんが、寺にはいくつか、直筆が残っています。こうして石や墨が長く後世に伝わることを思えば、デジタルデータの脆いこと…
先の「三とせあまり やどりゐにけり」は、『新花摘』に収められた狐狸の怪異譚のうち、ひとつの書き出し。蕪村には他にも、宮津滞在時に描いたと考えられる『妖怪絵巻』があります(いずれも岩波文庫『蕪村文集』に所収)。京都の帷子ノ辻に現れたという「ぬっぽり坊主」、怖いです。
妖怪絵巻といえば、仕事で編集している『京都新聞ジュニアタイムズ』の寄稿連載『マンガ京・妖怪絵巻』が書籍化されたばかり。私たちの妖怪絵巻から分かるのは、暮らしの身近なところで妖怪が感じられ、言い伝えられてきたということ ですが、蕪村の時代には、より リアルな存在だったのでしょう。
『蕪村妖怪絵巻解説』という昭和初期の本もあるのですね。後半は物語のようですが。( https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023529 )
(2022年1月8日のfacebook投稿を改変)