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進学先の寮探しで起こったドタバタ、でもなんとかなった話|ピンチはチャンス|八方ふさがりに見えて実は突破口があったりするよ

実は最近ちょっと嫌なことがあった。最近子供ネタが多いけど、今日もそのひとつ。進学系話題。今日の話題は滞在場所選びの嫌なことです。

進学となると、親元を離れて初の一人暮らしをすることになることもある。うちも例に漏れず、うちの子も独り暮らしをするらしい。

初めてのことは戸惑うもの。親としても完全一人暮らしは不安だし、本人も不安らしい。ということで、ごはん付きの滞在先にした。最近は学生寮型の滞在施設がある。ご飯もついているので食の部分が楽になるので人気だ。
(その分価格も高いけどね)


初っ端に予約したのに、今更人数いっぱいなったので別のところへ変えてという電話が

いわゆる自己推薦形式で学校は決まったので、最速に近い。アパートも早めに抑えておかないと取れないこともあるからと、そのタイミングで予約をしておいた。これで安心だと思っていた。

ところが、最近になって、人数がいっぱいでほかのところに移動してほしいということを言われてしまったのだ。抵抗したけどだめだった。

変更を飲んだけど、そこの家賃は上がり、歩いては通えなくなり交通費の負担も増え、通学時間も距離もかかるようになってしまった。

人によっては遠方から通う人もいるのだから、全然通学圏内なんですけど、もともと滞在場所を決めていたので当てが外れて、納得できない気分であった。

視点を変えて物件を探しなおしてみたらいいところがあった

やっぱり悔しかったので、もともとのところは頼りにせず他をあたってみた。そうしたら条件の良さそうなところがあったのだ。部屋のグレードと広さは多少ダウンしたけれど、それでも生活面のサポートはこちらの方が優れていた。

さらに、歩いて通えるし、価格設定も良心的だった。問い合わせてみると対応が親身だった。(もともとの方は、かなり事務的で急いでいる感じ)

なので、早々に現地も確認して、実際に歩いてそこへ決めてしまった。もともとのところは契約前だからキャンセル可能だし、最初のところが外れた時点で選ぶ理由は消失しているのだ。

ごはん付き学生寮の考え方の違い

さて、どちらが正解か。食事つき学生寮では、2つのパターンがあるようだ。食事を付ける・付けないことを選択式にできるものと、食事は必ず付く(外せない)ものだ。それぞれ、考え方に違いがあった

1)選択型|最初は食べるけど、結局は食べなくなることが多い

最初は学校に慣れるのが大変だから、食事提供があった方がスムーズ。慣れてくると学生はバイトなどもはじめて、飲食関係でバイトをするとそこで調達したり、外で友達と食べたりすることが多くなるから寮のごはんは食べなくなる子が多い。だから選択式にして慣れたら外せるようにしている。

2)強制型|学生はバイトをしても食事よりも衣料品にお金をつかってしまう

慣れてくると食事は自分でなんとかする子もありあり確かにその側面もあるけれど、ふたを開けてみると、適当なもの(レトルトやジャンクフードなど)で腹を満たし、手に入れたバイト代はおしゃれや衣料品に消えてしまうことが多い。だから、寮の食事は強制で付けていて栄養面ではしっかりサポートしている。

結局、強制型を選んだ

どちらが正しいだろうか。寮選びでは前者は1)、新たに探した方は2)であった。最初は1)の考え方に納得していたのだが、2)の考えを聞くと確かにそうかもと思った。

一人暮らしのときに負担になるのは食事の準備。作っているときはそれなりに楽しいけど、作るにはスーパーで食材を買ってきて、食べ終わったら皿洗いも必要になる。割と負担だし、栄養面はしっかりとって、浮いた時間を学業やバイトという名の社会勉強に振り向けても良いのではないかと思った。

自分も、長期出張のときなど、自分でごはん準備は面倒だったので、朝ご飯がついていたら必ず食べたものだ。付いてなくて自炊のときは、割と適当だった気がする。そして時間がかかった。

最初からグレードの高いとこに住むことについて思うこと

子どもとしては、なるべく近くて、新しくて、広くて、きれいなところに住みたいようだ。これは子どもでなくてもそうであろう。しかし、最初からいいところに住んでどうするのだろうと思った。

オートロックなどのセキュリティは重要だと考える。けれど、多少部屋が古くて狭くても、初めての一人暮らしなら、それくらいからスタートがちょうど良いのではないかとも思った。

休日はお部屋でゆっくりリラックスタイム・・・というイメージは描けなかった。高い確率で友達と外出したりバイトしたり学校関連の何かをした姿しか想像できなかった。そうなってほしいのもある。

自分で稼ぐようになったときに、住むところも選んでいけばよいと思う。

苦労をとるか、より確実な卒業をとるか|要はバランスか

最初から、良いところへ住めるのならそれに越したことはないという考え方もあるし、進学はお金も自分でと奨学金やバイトで苦労もともに学ばせた方が良いという意見もあるだろう。家庭事情でそうなってしまうかもしれない。それらの考えは否定しないし、尊重すべきだと思う。人それぞれであろう。

ただ、負担がありすぎて学業に専念できずに断念してしまう話も少なからず聞き知っている。それはそれで勿体ないと思うのだ。どうせ進学するなら、取るべき資格を取って卒業となってほしい。

まとめ:ピンチはチャンスで考え直すきっかけを与えてくれる

当てにしていた期待が外れることがあり、理不尽に思うことがあると思う。でもそこで考えをやめないで、別の道を探すと案外とあったりするものだ。新たな発見を促し状況がかえってよくなることもあるのだ。これは自分の中では良い例となった。

というとかっこよく聞こえる。実は自分は最初の物件の提供先の代替案に甘んじようとしていた。なんか面倒だったので。しかし、周りがもっと探せと言ってきたので渋々探したのだ。

面倒な気分だったけど、周りの意見を聞ける気力はあったのが幸いしたようだ。今後も何か納得できないことが生じたら、これはチャンスとかんがえることにしたい。

3行日記 : 最近の日課の運動が板についてきた理由

日課の運動が板についてきた理由は、子どもの進学にも影響している。

以前は運動する理由も同じく、スリムになって健康的になろうであった。しかし、その健康になる理由が自分のためということで、自分が妥協すればすぐに理由がなくなってしまうのだ。

今は、子供の進学にはお金がかかる。自分になにかあるといろいろと頓挫しちゃう可能性もある。だから自分の健康は家族の幸せと思ってる。そう考えると、毎日の運動は自分の意志とは別の意思でも動かされているので習慣化に役立っているのだろう。

人のために頑張るというのも、状況によっては頑張れるのだと思った。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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