私の生い立ち②~5歳から12歳~
みなさん、こんばんは。
今日の朝から【社労士目線!~今日の日経新聞~】というタイトルで毎朝、私が気になった記事と共に私の考えを投稿していますの、良かったらそちらもご覧ください!
今日は昨日の続きで5歳から12歳の私を書いていきたいと思います。
昨日の投稿↓
いよいよ5歳の私は入院生活が始まり、ここからが武者修行のような日々の始まりです!
あまり大変だった話をするのは好きじゃないですし、過去は少しずつ今で上書き保存していくのが私の脳内回路ですので、まだ上書き保存されていないことを思い出してみたいと思います。
まず、この時期の私を簡単にまとめると
前半:最悪
後半:上り調子
です。
【前半編】
とにかく体調が悪く、ありとあらゆる治療をしました。
一時は生死を彷徨ったこともあるようですが、そもそも自分では彷徨った感覚はありません笑。
自分の障害だけでは飽き足らず、【肛門無い説】が浮上したこともあります。
5歳までの人生、便秘気味ではありながらも確かに出ていた便。
一体私の便はどこから出ていたというのか、今考えても謎な説です。
都市伝説なんてもんじゃないくらい謎です笑。
【肛門無い説】は無事に【肛門はあった!】ということで一件落着しましたが、8カ月間の気管内挿管をしていたこともあります。
飲食ができないので、普通は私の前で食べたりしないと思いますが、私は敢えて家族に食べてもらっていました。
なぜ、そんなドMなことをしていたかというと、気管内挿管を外すこととなったときに、何を食べるか妄想を膨らますためです。
食べたい物リストを作ってもらっていましたが、中でも一番食べたかったものは・・・
【ガム】⬅キスミントの紅茶ミント味
です笑。
無事に気管内挿管も外れ、ガムも食べたところで、やれやれと思っていたら、今度は盲腸!!
これだけは今でもハッキリ覚えていますが、晩ご飯で唐揚げを口に入れた瞬間、突如として現れた激しい腹痛。
唐揚げを噛むことができず痛さのあまり吐き出してしまいました。
こうやって改めて振り返ると、食事中の方には申し訳なくなるほど、あまりいい話がないですね笑。
【後半編】
9歳くらいから徐々に体調も良くなり、学校にも休まず通えるようになってきました。
それでも、まだまだ貧弱な身体だったため、外泊もできず、ひたすら病院生活を送っていました。
家族も私のために精一杯頑張ってくれて母は私のところに月の2/3はいてくれていたため、家に帰ったりできなくても、寂しさを感じることはほぼありませんでした。
同じような障害を持った人たちが入院している病院とはいえ、若いうちは皆パワーをあり余すほど元気なので、そんな元気な人たちを見ると子供ながらに嫉妬や羨ましさを感じたりしていました。
そんなこんなで、ようやく普通の生活が送れるようになって、2年ほど経ち12歳になる年に、なんと約7年ぶりに実家へ外泊することができました!
最初なので練習も兼ねて4泊という短い期間でしたが、身体が驚いたのか、4泊の間に熱を出すというハプニングもありました。
でも、やはり家は良いですね。
何が良いかと聞かれると正直答えが出てきませんが、とにかく良いです笑。
こうして、少しずつ人間らしい生活を送れるようになってきたところで小学校も卒業です。
ダラダラと私の記憶に残っていることをひたすらに書いているだけですので全く面白さがないと思いますが、暇で暇でどうしようもないときに流し読みしていただけるだけでも嬉しいです。
明日は中学生~高校生を書きたいと思います!
おやすみなさい(-o-)/
今日も私のnoteを読んでいただき、ありがとうございます(^_^)
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それでは、また明日お会いしましょう。