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#68 スウェーデンクローナの洗礼

人物、バンド名等説明
・TOYOTA PUNK CARNIVAL
:2013年から2018年まで、愛知県豊田市で行われていたPUNKフェス。
・HARDCORE SURVIVES:HARD CORE PUNKを中心にリリースする東京のインディーズレコードレーベル。
・SO君:HARDCORE SURVIVES主宰。
・INFEST:1986年にアメリカのカリフォルニアで結成されたパワーバイオレンスバンド。
・ジョー:INFESTのボーカル。

#68 スウェーデンクローナの洗礼

オーストラリアから帰国後、相変わらずFORWARDは毎週のようにライブをやっていたのだが、この頃になると俺は泥酔状態で、まともに歌っていることが少なくなっていた。
 観ていた友人などから指摘もされていたのだが、本人は悪いとも思わず開き直るような状態だった。しかし、そんなライブがいいと思う人間がいたとしても、ひと握りのマニアか知り合いだけだろう。

 そして案の定、ある日のライブ翌日に、左腹部肋骨のすぐ下あたりに尋常ではない激痛がおきてしまう。
 焼いたナイフを突き刺して、ずっとグリグリこねくり回されているような痛みが続き、立っていることはおろか寝ていることも難しく、全く動けなくなってしまった。
 翌日、定期検診があるためひと晩耐えたが、寝返りすらうてず、到底眠ることなどできない激痛だった。杖をつきながら電車で定期検診に行くと、そのまま車椅子に乗せられて入院となってしまう。病名はアルコール性の急性すい炎。飲みすぎてすい臓に限界にきたようだ。通常なら救急車で運ばれるような病気らしいのだが、それが頷けるぐらいの、それまでの人生で体験したことのない激痛だった。
 自著「右手を失くしたカリスマ MASAMI伝」(株式会社blueprint)。雑誌 別冊ペキンパー「ジャパコアXマサミ」(廃刊)。 note連載「失った右手が掴んだもの〜MASAMI伝」第1章第2章で書いた、MASAMIさんの死因が同じすい炎である。MASAMIさんはこの激痛に耐えながら生きて、ライブまでやっていたのかと思うと、信じられない強靭さであるとつくづく実感する。
 入院は10日ほどで済んだのだが、これ以降しばらくの間は禁酒しなくてはならない。FORWARD、DEATH SIDEともにライブはあったのだが、一滴も飲まずにライブをやったのは、10代のバンド開始以来初めてのことだったと思う。しかし病気によって、自らの酒の飲み方のおかしさに気づき、これ以降は以前のようなひどい飲み方は減っていったように思う。多分。

 退院後の2017年には、DEATH SIDEで愛知県豊田市のトヨタスタジアム外周部分で行われた「TOYOTA PUNK CARNIVAL」や、弁慶の地元である函館でライブを行ない、FORWARDでは来日バンドとの共演が多かった。スウェーデンで共演したDS-13の他にも、様々な海外のバンドが来日し、俺が海外に行き始めてから来日バンドも、どんどん増えていっていたように思う。日本のバンドの海外進出が増加して、多くが海外との交流を始めたために、来日バンドが後を断たなくなったのだろう。
 オーストラリアのヤップの新しいバンド、ENZYMEが来日ツアーを行うので、東京のライブをHARDCORE SURVIVESのSO君と一緒にオーガナイズもした。
 やっと日本でも、俺たちのようなアンダーグラウンドレベルのバンドが、国際交流できる日常がやって来たのである。これは非常に素晴らしいことで、そのひと役を担えたのであれば、これほど光栄なことはない。

 そして、FORWARDでスウェーデン・フィンランドツアーを行った際に、ストックホルムで泊まったDS-13のクリストファーの家に住んでいたローニーから「2018年に行われるストックホルムのフェスにDEATH SIDEで出演しないか?」とオファーが来ていた。条件も素晴らしいものだったので、メンバーに相談すると「行きましょう!」とのことで、DEATH SIDE初のスウェーデンライブが決定した。
 ここでもまた、培って来た友人関係によって新たな経験ができる素晴らしい機械に恵まれた。何とも信じられない現実が次々とやってくるので、人生というのは本当に面白い。

スウェーデンのフェスポスター

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!