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【第一章 HARD CORE PUNKへの目覚め】

「#01 東京無宿人」

人物、バンド名等説明
:ISHIYAがライブハウスで出会ったHARD CORE PUNKSで最初の友人。
THE TRASH:1980年代初期、日本のHARD CORE PUNKシーンの創成期から2024年現在も活動するバンド。参考著書「右手を失くしたカリスマ MASAMI伝」(株式会社blueprint)。note連載「失った右手が掴んだもの〜MASAMI伝」第1章第2章
にら子供:1985年頃に結成された東京のHARD CORE PUNKバンド。結成メンバーとしてISHIYAがベースで在籍。
ミッキー:「にら子供」のボーカル。
ゲンドウミサイル:1980年代から活動する東京の PUNKバンド。
ヒロシ:当時ゲンドウミサイルのギター。その後THE TRASHやASYLUMなどで活動。
鐡槌:日本を代表するスキンヘッズバンド。(スキンヘッズ:1970年代後半にイギリスで発生した、労働者階級に支持された PUNK ROCKのサブジャンル「oi!」を好むファンたちが、坊主頭や剃髪にしていたため、こう呼ばれるようになった)
昭司:鐡槌のボーカル。

#01 東京無宿人

 俺がDEATH SIDEというバンドのボーカルとして、東京のライブハウスで活動を始めた1985年頃は、自分の部屋というものを借りていなかった。わかりやすく言うと宿無し、無宿人である。
 といっても、路上生活者であるホームレスやネットカフェ難民とはまた少し違い、どう説明したら良いのかわからないが、とにかく部屋はないが、誰かの家に居候しながら日々の生活を送っていた。
 ネットカフェはないし、携帯電話もインターネットもない時代なので、どうやって宿無し居候生活をしていたか不思議に思うかもしれないが、仕事もせず毎日原宿竹下通りに溜まっていて、HARD CORE PUNKのライブがあるときにライブハウスへ通うといった生活をしていた。

 初めて東京で居候させてくれたのも、HARD CORE PUNKのライブで出会ったヤツだ。林という名で、いつもTHE TRASHというバンドのライブにいた。地元で借りていたアパートを追い出されてどうしようか悩んでいるときに、林はこんなことを言ってくれた。
「行くとこないなら、俺んち実家だけど来てもいいし、友達のアパートも聞いてやるよ」
 この言葉で俺は東京へ出る覚悟を決めた。持つべきものは友である。ライブハウスで出会った友人というものがどれだけ素晴らしいかを痛感した。それまで生きて来た学校やバイトなどの世界では到底出会うことがなかった、本当に困ったときに助けてくれる人間が、ライブハウスで出会った友人だった。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!