ISHIYA私観「平成ハードコア史」第3章〜#4 平成における昭和ハードコアの血流

 これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
 ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
 自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#4 平成における昭和ハードコアの血流」

 前回までのコラムで、BURNING SPIRITSで活躍するバンドたちの様子を書いてきたが、同じ時期にGAUZE主催の消毒GIGも続けて行われていた。
 消毒GIGといえば現存する日本最古のハードコアパンクのシリーズGIGと思われるが、第1章#11に書かれているように、俺はこの頃GAUZEと仲違いをしていて、消毒GIGに行っていない。消毒GIGに行かないことやGAUZEとの仲違いはDEATH SIDE解散前あたりからしばらく続くのだが、その間の消毒GIGには、日本を代表するようなハードコアバンドが続々と出演し、BURNING SPIRITSとは違った雰囲気のシーンを作り上げていて、その頃の消毒GIGにはまるで知らなかったことを後から後悔するようなバンドがたくさん出演していた。
 そのほかにもこの時期あたりに、日本のハードコアも様々なシリーズ GIGが行われるようになっていく。俺の記憶にあり、行ったことのある東京のライブになってしまうが、そうした色々なライブ憶を紐解いてみたいと思う。
 今ではクラスト系ポゴ系などと、ハードコアのライブも様々な細分化がされているが、そうしたハードコアの細分化が始まったのはこの時期あたりであったと思う。そしてそこには、やはり日本ハードコア創世記の血流が脈々と流れ続けていることが、このコラムを読むとわかるのではないだろうか。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!