ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#5 CHELSEAの死
第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。
世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。
第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。
「#5 CHELSEAの死」
平成9年である2007年8月17日。DEATH SIDEで一緒にやっていたCHELSAEが、熱中症による脱水症状で死んでしまった。
DEATH SIDE解散以降、俺はCHELSEAと顔を合わせても口をきくこともなかった。そのあたりの話は第2章や第3章に書いてあるので、読んでもらえればわかると思うが、昔のように話すようになったきっかけは、無料コラム混沌のランドマークの「友よ」に書かれているように、当時 CHELSEAの彼女で同棲していた、メイちゃんのバイクによる死亡事故によるものである。
メイちゃんの死によって、昔のように仲良くなった俺たちだったが、当時のCHELSEAがどんな状況だったかは知らないのだが、メイちゃんの葬式に行ったときのことを覚えている。
遅れてしまった俺は、出棺直前に斎場に到着した。するとCHELSEAが待っていたように俺の所に駆け寄ってきて「ISHIYA。見てみろよメイコの顔。死んでるように見えないだろ?」と、子どものように俺のそばから離れずに、ずっと話しかけてきた。
棺に花を手向ける際もずっと俺のそばにいて、キリスト教式の葬式だったために最後に賛美歌を歌うのだが、そのときもずっと俺の横でキリスト教式の葬式の不満やいろんなことをずっと喋っていた。
悲しみを紛らわすためなのかどうかはわからなかったが、本当に子どものようで、何かが怖くて仕方がないような何ともいえないCHELSEAの姿だった。
でも俺は、そんな姿のCHELSEAに違和感はなかった。不安なときには必ずといっていいほど、心の内をさらけ出すCHELSEAは昔と何も変わっていなかった。
俺とCHELSEAが再び仲良くなってからまだ2〜3日なのだが、そこにはそれまで空いていた時間の壁が全くなかった。
メイちゃんは全てをわかっていたのかな?メイちゃんが亡くなってしまったのは非常に残念だったが、俺とCHELSEAが再び仲良くなれたのは、メイちゃんのおかげだと感じている。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!