ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#18 MARJINAL
第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。
世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。
第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。
「#18 MARJINAL」
平成という時代になってから、海外のバンドも多く来日するようになり、日本のバンドの海外進出も盛んになっていったことはこれまでにも触れて来た。
来日ツアーを行うバンドのほとんどは、アメリカやヨーロッパといったいわゆる西洋諸国のバンドであり、日本から海外進出を果たしたバンドの多くも、ほとんどがアメリカやヨーロッパという西洋諸国でのツアーである。
しかし第3章 #13 に登場したVIVISICKによって、ブラジルや東南アジアといった西洋諸国以外の国々のバンド達と日本のバンドとの交流が始まった。
それまでにも日本のD.I.Y系と言われるバンド達が東南アジアとの交流があったようだが、そのバンド達はVIVISICKが東南アジアツアーを行う際に、現地のバンド達に対してVIVISICKの誹謗中傷ともとれる内容の話をして、ツアーを妨害するなど、とてもPUNKSとは思えない異常な行為を行ったという。
日本からハードコアバンドが海外に行く場合に、その国に旧知の友人がいれば、助けになってくれないかと連絡することはあっても、妨害するような真似をするという意識が全く理解できない。それが全く知らないバンドであっても、何かあったら力になってやって欲しいと思う俺がおかしいのだろうか?
しかしVIVISICKは、そうした妨害に遭っても東南アジアツアーを成功させ、日本に東南アジアのパンクシーンというものを知らせてくれた。
それまで西洋のパンクシーンしか知らなかった俺たち周辺の人間にとって、東南アジアは未知の世界であり、非常に興味深かった。
そして東南アジアの中でも特に、インドネシア・ジャカルタのバンドMARJINALが日本に与えた影響は非常に大きく、MARJINALの魂に触れることで日本のハードコアバンドも進化していくこととなる。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!