ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#14 DEATH SIDE復活

 第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
 あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
 海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。
 世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
 他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#14 DEATH SIDE復活」

 様々な日本のハードコアが海外進出を果たし、東日本大震災が起きてしまい、それによる福島原発の事故などで日本のハードコアバンドたちの活動は変化して行ったのだが、2007年にCHELSEAが他界してしまって以来毎年行われている「BURNING SPIRITS〜CHELSEAの日」というライブがある。
 現在は俺とMUKAIで企画しているライブなのだが、最初はCHELSEAが他界した平成19年である2007年の翌年、平成20年である2008年3月11日のCHELSEAの誕生日に俺とMUKAI、KATSUTAなどの友人たちで企画して行われた。

 同年夏のCHELSEAの命日である8月17日にもこのライブを行い、それ以降毎年CHELSEAの命日である8月17日には「BURNING SPIRIRS〜CHELSEAの日」として毎年行なっており、現在も続いているライブである。
 毎年CHELSEAの友人たちのバンドや、CHELSEAが参加していたバンドが集まりライブを行なっているのだが、2010年に突如DEATH SIDEがシークレットで出演した。

 それまでもFORWARDが出演したときのCHELSEAの日には、最後にDr.がMUKAIに交代し、DEATH SIDEの「MIRROR」を1曲だけやることが何度かあったのだが「そろそろ一度DEATH SIDEをちゃんとやってみてもいいんじゃないか?」ということで、シークレットながら再結成が計画された。

 同年LIPCREAMの再結成もあり、奇しくもBLOODY SUMMER TOURをまわった2バンドの復活が2010年に行われたのである。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!