ISHIYA私観「平成ハードコア史」第3章〜#19 CRUDE

 これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
 ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
 自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#19 CRUDE」

 前回の第3章#18で触れた、日本のハードコアの海外進出だが、もう少し掘り下げてみると、ROSE ROSEに続き1989年にSxOxBがヨーロッパツアー、にGAUZEがイギリスツアーを行った。1990年代に入ると、原爆オナニーズ、GAUZE、ASSFORTがアメリカへ行き、それに続いてSLIGHT SLAPPERS、SMASH YOUR FACEなどのアメリカ、GAUZEの韓国など、消毒GIG周辺バンドの海外進出が日本のハードコアの海外進出の最初である。

 しかし実は、1989年だったと思うが、幻のLIP CREAMアメリカツアーの話があった。第2章#8 出雲で書かれているのだが、現FORWARDギターのSOUICHIが出雲のライブ中止と共に、LIP CREAMのアメリカツアー中止の話を、出雲への出発寸前に持って来た。
 もしこのLIP CREAMのアメリカツアーが実現していたら、また日本のハードコアの海外進出の形は違ったものになっていたかもしれない。
 あの時期のLIP CREAMがアメリカでライブをやっていたら、アメリカのオーディエンスの反応もそうだが、海外経験を持ち帰ってきたLIP CREAMによる日本のバンドへの影響がかなり大きいと思われ、全く違う形の変化が起きたかもしれない。それほどLIP CREAMというバンドの影響力は絶大なものがあった。
 そして前回第3章#18で書き忘れていたのだが、同じ 2004年には消毒GIGに出演していた第3章#13に登場するVIVISICKもアメリカツアーに行っている。

 通常海外ツアーは、現地のバンドやオーガナイザーとのメールのやりとりや、レコードレーベルなどの絡みでツアーをとるのだが、とんでもない方法を試みたバンドがいる。
 2002年にオランダ・ドイツツアーを行った函館のCRUDEだ。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!