ISHIYA私観「平成ハードコア史」第2章〜#14 九州シーン

 第1章で出てこなかったバンドや出来事がまだまだたくさんあるのだが、俺が書いているコラムであるのに登場していないバンドがある。そう、DEATH SIDEだ。
 この第2章では、DEATH SIDEの話を中心に、様々な話を交えながらDEATH SIDEの歴史についても書いていきたいと思う。
 2019年の現時点でも活動しているDEATH SIDEだが、今のDEATH SIDEの話はまだ先になってしまうだろう。この章では第1期と言えるDEATH SIDEについて触れていきたい。そのため昭和の話もふんだんに出てくるはずだ。平成史と謳っているが、DEATH SIDEは昭和から活動を始めたので、そのあたりはご容赦いただきたい。
 様々なバンドとの関わりなどかなり数多くの話もあり、今まで世に出ていない話もたくさんあると思う。
 もし興味があるならば、連載する上での励みにもなるので、第2章も購入していただけると幸いである。

 第1章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#14 九州シーン」

 DEATH SIDEでもFORWARDでもツアーを長年続けて来たために、様々な土地の思い出が数多くある。第1章#20の函館第2章#6の広島#8の出雲#11の札幌#12の静岡と書いて来たが、今回は九州について書いて行きたいと思う。
 初めて九州に行ったのは、1986年夏のTHRASH TIL DEATH TOURで、GAUZEの車に乗り込み小倉に行ったのが最初である。
 その時に一触即発の状況になったのだが、そのことは第1章#4ツアーに書いてあるので興味のある方は一読してもらうとわかるだろう。

 バンドで初めて九州を訪れたのは1987年夏のBLOODY SUMMERのときである。初期の九州では、やはり白(KURO)と一緒にやることが多く、同じ北九州の代表的バンドであるAGGRESSIVE DOGSも、1987年のツアーの博多で一緒にやっていると思う。
 その後も白(KURO)とはBURNING SPIRITSになってからもいつも一緒にやっていたのだが、白(KURO)がライブをやらなくなり、小倉でいつも企画してくれていたのが、現在惡意のボーカルである小出がドラムをやっていたBANDITである。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!