ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#12 東日本大震災による日本ハードコアの活動
第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。
世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。
第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。
「#12 東日本大震災による日本ハードコアの活動」
平成23年である2011年に起きた東日本大震災は、過去の日本における災害の中でも突出して被害の大きなものであったことは、ここで言うまでもないだろう。
震災や津波被害に加え、福島原発の爆発事故は過去の地球上の歴史における最大の原発事故となり、その被害は2020年である現在でも続いている。
東日本大震災における被害規模は、過去日本が体験したことがないほど大きなもので、政府の支援は全く行き届かず民間の有志たちのボランティア活動が、現地被災者たちを救う大きな原動力となった。
様々なボランティア団体や個人が必死に動く中、日本の音楽界にもその動きが見られ、全国で被災者や被災地のための大きな動きが起きた。
様々なボランティア活動がある中、ハードコアシーンにおける活動は、他の多くの活動とは違い企業やスポンサーなどの絡みがないために、元々ハードコアやインディーズシーンが持ち続けていた、独自の視点による自由な活動が行えるので、被災地や被災者にとって非常に有効な活動になっていた。
特に小さな避難所や支援の行き届かない地域にいる被災者への支援では、かなりの効力を発揮していた。
中でも代表的な活動と言えるものが第2章#11、第4章#9に書かれ、第4章#11でも支援活動に触れた札幌のSLANGを中心に行われたNBC作戦になるだろう。
NBC作戦の素晴らしいところは、被災地や被災者に対して「何をすればいいかわからない」「何ができるかわからない」「現地にまではいけないが何かしたい」というような人々にも、支援の方法を作り出したところが一番大きいのではないだろうか。
そしてハードコア界での支援の輪も大きく広がっていく。
海外D.I.Yシーンでは当たり前のように行われてきた「相互扶助」のような形が、NBC作戦という支援活動によって日本にも定着して行った。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!