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ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝〜#15 人生の岐路

「#15 人生の岐路」

 1982年になり活発化した東京のハードコアパンクだが、エモーショナルマーケットが終わりを迎える頃には、渋谷の屋根裏でもライブをやるようになって行く。ほかにも新宿ロフト、目黒鹿鳴館といったライブハウスで次々とライブをやり始めるようになるっていく。そして同時期に、マサミは義手を外し、髪型をモヒカンにする。
 しかもこの82年7月22日には、マサミに娘が誕生する。娘が産まれたことによって、マサミはあの全く良い思い出がない地元へ帰省することとなったのである。
 1982年という年は、マサミの人生が大きく動き、マサミの一生を決めた重要な岐路となる年だったのではないだろうか。
 マサミがまだハードコアパンクには触れていない頃の、ディスコで遊んでいた時代から付き合っていた女性との間に、子どもを授かった。女性が妊娠した頃にマサミは新宿に住んでおり、それまでと変わらない仲間との日々が続いていた。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!