ISHIYA私観「平成ハードコア史」第3章〜#8 平成ハードコアシーンの活性化

 これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
 ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
 自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#8 平成ハードコアシーンの活性化」

 BASTARD、DEATH SIDEの解散と、鉄アレイの復活後に結成されたJUDGEMENTとFORWARD結成の話は、前回までのコラムで触れた。ここで触れなくてはならないバンドとしてPAINT BOXがある。しかし第3章#1に書かれているように、DEATH SIDE解散の理由と解散後の俺とCHELSEAの関係により、PAINT BOXに関して俺は全くといっていいほど何も知らない。
 一緒にライブをやることもあまりなかったと思うし、CHELSEAとライブハウスで顔を合わせても全く口をきくことはなかった。
 そのためPAINT BOXに関しては取材が必要なため、結成時のオリジナルメンバーであり、最後までPAINT BOXのドラムを努めたSUGURUに話を訊いているところなので、しばしお待ちいただきたい。
 そこでDEATH SIDE解散後に、俺とCHELSEAがどのような関係であったか、それに触れながら当時の状況なども振り返って行こうと思う。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!