ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝〜#12 トラッシュ連
「#12 トラッシュ連」
1981年に産声を上げたと言っていい日本のハードコアパンクだが、11月の消毒GIG、12月のエモーショナルマーケットを皮切りに、82年に入ると次々にハードコアパンクのライブが開催されて行くようになる。これを機に東京でハードコアパンクバンドが続々と登場し、様々なライブが行われて行くようになる。
東京アンダーグラウンドシーンや、のちにハードコアパンク周辺と様々な軋轢や確執があったザ・スターリンではあるが、1982年1月には、渋谷プルチネラでTHE EXECUTEのデビューライブが行われ、このライブの企画者は、当時まだザ・スターリンに在籍していたギターのタムであった。
ザ・スターリンではタム以外にも、ベースのシンタロウがハードコアのライブにも来ていたようで、よくハードコアの人間たちが遊んでいた女性たちの家に、友人たちに連れられて顔を出したこともあるという事実から見ても、どうやらザ・スターリンというよりは遠藤ミチロウとの確執が多かったと推測される。
当時タムは「ADK DAY」という企画をやっており、これが日本のハードコアやパンクバンドの名作を次々と制作していたADKレコードの大元であると思われる。その企画にはハードコアパンクのバンドも出演しており、THE EXECUTEギターのレミーに話を聞いてみると、タムとは軋轢や確執などはなかったように感じられる。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!