ISHIYA私観「平成ハードコア史」第3章〜#16 函館 Ⅱ JABARAとEVANCE

 これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
 ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
 自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#16 函館 Ⅱ〜JABARAとEVANCE」

 鉄アレイの人気が絶頂期となった西暦2000年を迎える頃、BURNING SPIRITS周辺で登場し始めたバンドには、JUDGEMENT、FORWARD、PAINTBOX以外にも、若手と呼べる素晴らしいバンドが登場していた。東京のバンドと呼んでいいのだが、その2バンドには共通する街出身の人間が多かった。
 第1章#20に登場した函館である。
 なぜこの地方の小さな港町から、これほどまでに多くの素晴らしいハードコアバンドとパンクスが多く排出されるのかが非常に不思議なのであるが、函館出身者が作ったバンドが、東京で頭角を現し始めたのも2000年を迎える手前頃だった。
 ひとつはmessed upという函館のバンドを母体に、東京に出てきた後メンバーチェンジによって名前を変更した、JABARAという全員函館出身者で活動しているバンドである。
 現在のメンバーでの函館出身者はBa.JAMとDr.HITOSHIのみとなっているが、今でも活動を続けている東京のハードコアバンドで、近年は消毒GIGにもよく出演している。

 もうひとつは、2000年に入ってすぐの頃に惜しくも解散してしまったEVANCEである。
 EVANCEのメンバーは、函館ハードコアの創始者とも言えるに登場したDr.IZUMIと、のちのWARHEADのGr.であるKOKIという2人の函館出身者を要するバンドだった。Ba.にはOKUYAMAという千葉の人間と、Vo.は第2章#8に書かれている出雲出身のOSAKAという4人のバンドで、この2バンドも2000年周辺の東京ハードコアシーンを盛り上げていたと言っていい存在である。第1章#20に登場したDr.IZUMIと、のちのWARHEADのGr.であるKOKIという2人の函館出身者を要するバンドだった。Ba.にはOKUYAMAという千葉の人間と、Vo.は第2章#8に書かれている出雲出身のOSAKAという4人のバンドで、この2バンドも2000年周辺の東京ハードコアシーンを盛り上げていたと言っていい存在である。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!