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ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#6 法政バトルDAYSとGHOUL初関西

「#6 法政バトルDAYSとGHOUL初関西」

 それまでもトラッシュ連として、東京ハードコアパンク界で知らぬ者はいなかったマサミだが、新たに自らのバンドであるGHOULを結成し、バンド活動においても注目の存在となっていく。
 1984年3月5日のデビューを皮切りに、そこから毎月2〜3本のライブを行い、当時渋谷にあった屋根裏のハードコアパンクのGIGに行くと、ほとんどのようにGHOULは出演していたような記憶がある。
 そのほかにも原宿歩行者天国で行なわれていた「ロードサイドロッカーズ」や、法政大学学館大ホールで行われた「東京バトルデイズ」にも出演し、瞬く間にGHOULは東京のハードコアパンクシーンの中心的存在となっていった。
 法政大学学館大ホールで行われた「東京バトルデイズ」は、6月と9月の2回に渡って行われているのだが、最初の84年6月22日、23日、24日の3日間に渡って行われた東京バトルDAYSの事件によって、またもやマサミは友人のために一肌脱ぐこととなる。
 その日の出演事情で企画側に対して、AUTO-MODのジュネが快く思っていない出来事があった。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!