ISHIYA私観「平成ハードコア史」第4章〜#8 ジャパコアの海外進出 Ⅴ〜BASTARD再結成

 第1章から第3章まで、昭和や平成に起きたことなどついて触れて来たが、平成という時代も西暦2000年をまたぐ頃になると、ハードコアの世界でも様々な出来事があった。
 あまりにも多くの出来事があるために、遅々として書き進める時代が進んで行かないのだが、この第4章では新たに世界に飛び出していった日本のハードコアや、多くの経験を積んだハードコアの人間たちが、どのような変化を遂げていったのかということも含め書き進めて行きたいと思っている。
 海外との交流が進むに連れて、来日バンドも多くなり、日本のハードコアシーンが国際色豊かになっていった時期でもある。
 世界の中の日本のハードコアという観点も、この第4章には登場するだろう。
 他にもまだ書けていないことや、思い出す話もあると思うので、今しばらくお付き合いを願いたい。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第4章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#8 ジャパコアの海外進出 Ⅴ〜BASTARD再結成」

 アメリカ・テキサス州オースティンで、毎年行われていたCHAOS IN TEJASというフェスが、日本のハードコアのアメリカ進出に重要な役割を担っていたことは前回までのコラムで触れた。
 そのCHAOS IN TEJASに、なんとBASTARDが出演するという話を聞いたのは、まだ2010年の出演者も発表もされていない前年の2009年だったと思う。
 BASTARDについては、第1章#3第3章#2に書いてあるので一読してもらえるとわかるのだが、平成5年である1993年に惜しくも解散してしまったのだが、この復活には誰もが衝撃を受けた。

 そしてこの2010年のCHAOS IN TEJASには、BASTARD以外にも日本からSLANGとCROWも出演することとなり、SLANGは26日間滞在で25回ライブという、アメリカハードコアシーンの洗礼を受ける形のツアーを敢行した。
 そこで今回は、BASTARD復活についてZIGYAKUとKOBAに話を訊いてみたので、書いて行きたいと思う。

ここから先は

2,900字
この記事のみ ¥ 300

30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!