ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#1 表現者として
「#1 表現者として」
マサミが実家への帰省から東京へ戻った1982年頃、ハードコアパンクシーンは隆盛を迎えていた。
再び東京へ戻ったマサミは、新宿にあったディスコ「トラッシュ」で、盟友ヒロシとやろうと決めていたバンドであるTHE TRASHがあった。
当初はマサミとヒロシの2人のみのTHE TRASHだったが、この頃にはメンバーも揃い、トラッシュ連としてシーンの中で誰もが知る存在となっていたのだが、一向にライブを行う気配が見られない。
しかしマサミがバンド活動を意識したのは、おそらく1982年頃だと思われる。そしてこれより後の、マサミの2つ目のバンドであるGHOUL結成後になるのだが、マサミが表現というものに対して常人とは一線を画した逸話がある。そこにはマサミという人間が持つ、尋常ではない一面がわかる事実があった。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!