ISHIYA私観「平成ハードコア史」〜#12 ハードコアシーンとライブハウス
2019年の今年、平成という時代に終止符が打たれる。
1989年から始まった平成だが、昭和からパンクシーンにどっぷりと浸かった俺は、昭和も終わりを迎える頃にDEATH SIDEというバンドでライブ活動やレコード発売が活発になって行った。
自身の活動を踏まえた上で考えてみると、平成という時代が人生のメインとなる活動時期だったと感じ、私観ではあるがその歴史を書き留めておこうと思い筆を取った。
これから連載をしていこうと思っているこのコラムでは、全くと言っていい「極私観」に基づくものであり、俯瞰の要素からはかけ離れているだろう。
しかし、平成のアンダーグラウンド・ハードコア・パンクシーンを体験し続けてきた俺の記憶に興味のある方であれば、興味深い話があるはずだ。
今まで世に出ていないこともたくさん出てくるはずだと思うし、こんな世界が世の中にはあるんだと、少しでも興味を持ってもらえれば、俺が人生を賭けてやってきたことも報われる。
売文を生業としているのでこのコラムに関しては有料とさせてもらうが、興味がある人は是非このコラムを購読してほしい。
今後このコラムを読んで、様々なバンドに親しみが湧く人間もいるだろう。しかし、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。
そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。
「#12 ハードコアシーンとライブハウス」
昭和の時代に東京で行われるハードコア・パンクのライブハウスといえば、渋谷屋根裏、新宿LOFT、目黒鹿鳴館を中心に行われていた。他にも様々なライブハウスでライブは行われていたが、前述3つのライブハウスが定期的にハードコア・パンクのライブが行われていた場所だと思う。
この3つのライブハウスの中でも、特に昔からハードコア・パンクのライブといえば屋根裏だった。その屋根裏が昭和も終わりを迎えそうになる1986年頃に閉店してしまうことになり、俺たちのような動員数の少ないハードコアバンドは一体どこでライブをやればいいんだろうという漠然としながらも危機的な感覚があった。
新宿にLOFTがあったが、何故かLOFTでは色々な事件が起こりやすく、度々出演できなくなってしまう。そんなときに下北沢のライブハウスが元々Los Angels Anti-Knockという名前で、新宿にもNew York Anti-Knockというライブハウスがあった。名前が逆かもしれないが、とにかく2つのAnti-Knockというライブハウスが下北沢と新宿にあり、下北沢のAnti-Knockに屋根裏が移り、新宿のAnti-Knockが現在の新宿アンチノックになった。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!