ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝第2章〜#10 ヤクザと警察
「#10 ヤクザと警察」
GHOULとMOBSの極悪ツアーが行われた1985年には、日本に初めて海外のハードコアパンクバンドが来日した年でもあった。
初めて日本に来日したハードコアパンクバンドは、イギリスのG.B.Hである。そしてそのすぐ後にCHAOS U.Kが来日する。G.B.Hのときの共演は、確かLAUGHIN’ NOSEだった気がするが、筆者は観に行っていないので確かではない。
その後海外ハードコアパンク来日第2弾で来日したCHAOS U.Kのときには、日本のハードコアパンクバンドの錚々たるメンツが共演し、非常に盛り上がるライブとなった。
そのときの様子は拙著「ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史」とnote連載「ISHIYA私観平成ハードコア史」第1章の「#8 CHAOS U.K」に収められているので、興味のある方はご一読願いたい。
CHAOS U.K初来日公演の東京では、鹿鳴館の他にツバキハウスでも昼夜2部制で行われた。
東京のCHAOS U.Kのライブは筆者も観に行っていたのだが、金がなくツバキハウスの第2部のチケットだけは買えずに、第1部公演が終わった後の外でたむろしていた。
するとGAUZEのシンがやって来て「お前いつも来てるよな。CHAOS U.K好きなのか?」と聞かれ「大好きなんですけど、金がなくてチケット買えずに入れないんです」と言ったら、なんと入れてくれるというではないか。天にも上る気持ちで、第2部のライブを楽しみ、ヘトヘトになるまで暴れまくった記憶がある。
このときがきっかけだったと思うが、筆者はその後消毒GIGなどに警備として入れてもらえ、無数のライブや打ち上げを体験できた。しかしこのCHAOS U.Kツバキハウス公演の日はまだ、打ち上げに行くほど親密な関係ではなかった。しかしこのツバキハウスでのライブ後の打ち上げで事件が起こる。
30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!