海と冷麺
子供の頃、夏はいつも西伊豆の爪木崎に行っていた。うちの家族と、父の友人達の家族で。夜が明けきる前に車で出発して、道中はだいたい姉が用意したカセットで音楽を聴いていた。
音楽といえば、海の帰りの車でRCサクセションの「雨上がりの夜空に」を、疲れでハイになっていた家族と大盛り上がりで歌ったことがあって、それは今でも私以外の家族も楽しかったこととして覚えていて、自分は幸せな子供だったんだなと思う。
ひたすら同じような山道を車でくねくねと曲がって、やがて窓の向こうに箱根ターンパイクという看板が見えてくる。ここまできたんだ、という安堵感と、まだまだあるんだという絶望感で私の車酔いは加速し、車を止めて道の端でよく吐いていた。
爪木の駐車場に着くと、生い茂る草木の間の細い階段をみんなで荷物を持って降りる。運転していた父達と母達がビールを飲みながら簡単な巣作りをして、大人も子供もシュノーケルと足ヒレを着けて海に入っていく。
青いきれいな魚がいて、あれはコバルトだよと教えてもらった。あれはウミウシ、これはトコブシ、ウツボを見つけたら静かにそこから離れること。急に深く、水が冷たくなる場所がある。水圧に逆らいながら海の底に沈めるだけ沈んで、息が続く限り足ヒレをかいて進みながら目をこらす。静かな水中に差し込む光の中を、魚の群れが泳いでいる。うっとりしていると、突然クラゲに刺されて怖くなる。恐怖心を払いのけるように手脚をばたつかせて、大急ぎで元いた場所に帰る。陸に上がって冷えたジュースを飲むと、潮水でしわしわになった唇に甘い味がしみわたってほっとした。
身体が乾いてくると、だんだん海に入るのがめんどうになって寝てしまう。
そのうちに父の友人家族の中のとりわけワイルドな一家が魚や貝を捕ってきて、みんなでそれを焼いて食べる。初めて捕りたての魚を食べた時の驚きったらなかった。魚ってこんなにおいしいんだ。
お腹がいっぱいになって、だんだん陸地にいるのも飽きてきて、また海の中に潜りにいく。
その海のことを、ソウルで冷麺を食べながらぼんやり想っていた。
韓国の友人に猛プッシュされ、2度目のチャレンジでようやく入れた超人気店の冷麺。白い陶器の麺鉢にたっぷりの牛肉のスープ、底には麺の塊が沈んでいて、具は煮た牛肉の薄切りと白菜、白い大根のキムチ、細切りの梨がのっている至ってシンプルなものだった。
最初にスープを一口飲んでおいしいとは思ったのだけど、わかりやすいきまった味というのとは少し違っていた。キムチや牛肉を食べながら、なかなかほぐれない麺をゆする。
友達と向かい合っているのに、お互いほとんど喋らない静かな時間だった。2人ともこの冷麺の良さを探しながら食べているみたいだった。
辛子エリア、お酢のエリアを作ってそれぞれの部分の味を確かめる。スープと具、麺と調味料が時々思いがけないめぐりあいをして、食べる手が止まらなくなる。ふと食べた梨が思いのほか甘く瑞々しく、動物性の味がリセットされてまた違う味が恋しくなる。
なんだか海にいるみたい。
たっぷりのスープの中に、いつの間にか私の身体も潜っていたのかもしれない。