石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十二)

(日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています)

「性理問答(三)」

(梅岩)
「天地に生を受ける物は、弱い者が強い者に従うのが、天の道である。聖人や神々は徳を持っているので、無益のものを殺すことはない。理を尽くして、祭祀、賓客、老人の養い等には、やむをえずその時に必要な分を殺してこれを用いる。無用のときは虫一匹も殺さない。また、いろいろな草の中にあって、五穀は優れていることを知り、麦は夏にできるものであれば、いつ蒔きいつ植えたら実りがよいか、稲はいつ頃種もみを水に浸けたらよいか、さらには大豆、小豆、小角豆(ささげ)はいつがよいかと、時期を考え、五穀を植えることを教える。そのほかに多くの草木の中に、食べるとよく人を養うものを知らせる。そのうえ土を見分け、それはそこ、これはここと、田畑の植えるところを知り教えることによって、人という者が飢餓を免れることを知る世となったのだ。これはみなオオアナムチノミコト、スクナヒコナノミコト、唐土においては伏義、神農、黄帝の御仁徳のおかげである。天は万物を生じ、生じたものは自ずから養われる。日本書紀には、「ウケモチノカミが国に向かえば口から飯を出した。また海に向かえば口から魚を出した。また山に向かえば口から獣を出した。」とある。ウケモチノカミの口とは、どのような口かをよく考えてみるべきだ。天神地神はこのように、融通無碍な存在なのだ。その融通無碍の口から生じるゆえに、生じるものもまた融通無碍なのだ。例えばセミは口には声がなく、脇の下に声があるとも言える。口もあるけれども、どこにあるのか見分けることが難しい。春や夏の空に飛ぶ小虫などを見れば、何を食べているのかよく見えないけれども、飢えることなく、虚空から生じて虚空に死んでいくように、出所がよくわからないものも多い。これらのことから類推して、ウケモチノカミの口というものを考えてみるべきである。これをもって見れば、現在の万民が暮らしていくということには、定まりがあるのである。一般の人はそれがあることを知らない。だから聖人は、万物の本質について、万物の跡を見て教えを立てたのだ。その教えはそのまま天にあるので、古今において変わることはない。天は物を生じ与えて、その心を聖人や神々を通して民に知らしめる。聖人は天のようであって、作り出すことはできない。天の力が届かないところを教え、世を救う。聖人なくては天徳は人の世に現れない。天徳がなければどうして聖人が成果をあげられるだろうか。例えばヤマトタケルノミコトに武勇がなければ、アマノムラクモの剣も、クサナギの剣という名になることはなかったであろう。宝の徳もみな持つ人によって異なる。聖人がいなくても天の道は朽ちることがない。けれども人の世にあらわれ行われることがない。世の人徳を明らかにしようと、眼を開くべきところである。天の道を知って世に教えを施すことを、聖知と呼ぶ。」

(ある学者)
「儒者が仏教を異端と言って嫌うのは、どういう違いがあるからなのか。」

(梅岩)
「異端とは、端(はし)を異(こと)にするという意味である。儒教には仁義礼智信の五常と、君臣父子夫婦兄弟朋友の五倫とを天の道とし、天人は一致であるとする。仏教は五常五倫の道を立てず、これは儒教と趣が違う。よって異端と呼ぶ。たとえ儒者が儒教を説いていたとしても、自分の心を知らないなら、聖人の教えに通じることはない。自分の私心をもって教えを立てるのであれば、私心はそのまま異端である。けれども聖人の弟子に似ているので、取り立てて異端とは呼ばない。呼ばないけれども異端の方に近い者である。時期が来て心を知れば、我々の儒と一致となる。さて儒教仏教の二つの道を枝葉にこだわって論じると、論じる事が多くてわかりにくい。互いに根本のところは性理(本来の心、本体)を会得することを要としている。まず仏教について言えば、天台宗は止観と言う。真言宗は阿字本不生と言う。禅宗は本来の面目と言う。念仏宗は入我我入、機法一体などと言う。日蓮宗は妙法と言う。このように言い方に違いはあるけれども、修行が熟して至るところは一つである。一つ例を挙げて言えば、寿量無辺経に、「無心無念の本仏は不思議をもって体となす。本(もと)は生滅しない、三身、十界の区別はない」とある。けれどもこれは有に対する無ではない。これをもって法性とは呼ぶだろう。それであればこの法性を悟るより他に道はないだろう。悟れば生死の迷いを離れる。生死の迷いを離れなければ、宗旨の法燈(指導者)になることはできない。さて儒教においては、性理の至極のところに至っては、「上天のことは音もなく臭いもない」と言う。これはすなわち易の「理を究め性を尽くして、命に至る」と言うところであって、これが聖人の心である。これは漠然としていて、主とするところが何もないように思えるかもしれない。けれども聖人は理を究めてそう言っているのであって、意味がしっかりあって存在しているのである。例えば雪の中に梅の香りを知るようなものだ。形は見えないけれども、存在することは明らかである。聖人の心は天道に至って、天地のあらん限りにおいて万物は存在している。聖人が死んだ後には、心だけが残ったとは思うけれども、聖人が生きていた時代も死んだ後の時代もずっと変わらず、聖人の心は天道である。詩経に曰く、「文王は上にあって天に明らかなり」。この心を知れば、徳をもってする行いには足りないところがあっても儒者と呼ぶべきであるが、その心を知らない者を、聖人の弟子と言うべきではない。さて儒教と仏教は理のところにおいては近く、ほぼ同じであると言ってよい。しかし行いにおいては、見ての通りで雲泥の違いがある。仏教の出家者は五戒を保ち、俗人(一般の人)は五倫の道を行う。これをお互い混同することはない。けれども出家者の真似を俗人がすることによって、後々無駄なことが起こる。唐土にも梁の武帝のように、出家者を真似て殺生戒を守った者がいたが、武帝の末は大いに乱れた。仏の心を悟っていないのに法にかなうことを行おうとすると害が起こる。害があることを例えて言えば、飢えている人にお金を与えるようなものだ。天下第一のお宝と喜んで、それを抱いて死ぬのと似ている。聖人の教えは飢えている人に一杯の飯を与えるようなものである。一杯の飯はお金の喜びには劣るかもしれないけれども、命をつなぐことより勝ることはない。武帝のように、死罪の者を見て泣く君主があれば、その慈仁の心を民はお金を得たかのように喜んだけれども、政道が正しく立たなくなり、江南が乱れたのは、お金を抱いて飢え死にしたようなものである。これが害のあるところである。聖人が天下を治めるのは敬を主として孝弟忠信を行い、これを教えとなせば、ただ一杯の飯を与え命を助けるようであっても、天下の民がことごとく孝弟(親に尽くし、兄に従うこと)を行うようになるために、及ぶところは広大で利益も大きい。これをもって論じるならば、仏者は罪のある者を死罪にすることがあるだろうか。罪のある者であっても、弟子にしようと言ってその者を引き取って、助けたいと思うのが出家者である。慈愛の心ばかりで、聖人の法のない政道を行えば、かえって物事が乱れることになる。武帝のような者であれば、異端と非難されるのも無理はない。」

(ある学者)
「私は儒道で身を修めたいと志しているので、私のために聞いたのではない。けれども世間では身分の高い者から低い者まで、仏教を信仰している人が多い。仏教と儒教を混同することによって害が起こるのであれば、身分の高い者たちは仏教を用いないはずである。どういうことか。」

(梅岩)
「あなたのように聞いても理解できていない者には害となる。聞いてしっかり会得した人には何の害もない。」

(ある学者)
「あなたが「混同するときは害がある」と言ったので聞いたのだ。」

(梅岩)
「私が言うのはそういうことではない。仏教の用い方を知らなければ、害があるということを言ったのだ。」

(ある学者)
「知って用いるのと、知らないで用いるのと、用い方に二種類あるというのはどういうことか。」

(梅岩)
「仏教の表面的な教えだけを聞いて、悟ることができないのは、武帝に刑罰の者(の恩赦)を訴えるかのようである。助けることは知っていても、正すということを知らない。そのようであっては政治を行うことはできない。」

(ある学者)
「そうであれば、仏教を用いるのはたちまちに害があるというものだ。深く悟ってから行うといっても、仏教を用いるなら殺生はできないだろう。殺生は許されないと言って、殺すべき罪のある者を助けてしまっては、害があることは明白である。」

(梅岩)
「仏教も人を助ける法である。薬もまた病気の人を助けるものである。けれども法を広め、楽を施し、人を助ける手段はその相手によって変わるだろう。世に医者は多いが、その中には、毒草や熊の肝の使い方を覚えて治療をする医者もいる。また人参を第一に用いて治療をする医者もいる。熱病に真桑瓜や水を用いて病気を治す医者もいる。このような生物や冷たい物は毒だと言って、多くの医者はこれを用いないものだ。たとえ良質の朝鮮人参のような良い薬ばかりを用いたとしても、病気が治癒しなければ何の価値もない。これをもって見てみなさい。人参を優れているとは言わないであろう。毒草と熊の肝を劣っているとは言わないであろう。何であれ治癒するものを用いて病気を治癒し、諸々の薬をことごとく使い覚えて治療する人こそ名医と呼ぶべきだ。昔から生薬として使われてきたものを、捨てるべき理由などどこにもない。一つも捨てることなく、また一つにこだわるのでもなく、よくこれらを用いるのが名医と言えるだろう。一つの方向にこだわってとどまり、時期が変化していることを知らない者は、名医と呼ぶべきではない。天下国家を治めるのもまたこのようなものである。昔から伝わっている法を、一つも捨てることなく、また一つにこだわるのでもなくというのは、名医が諸々の薬を捨てずに病気を治すことと同じである。天下国家を治めるのに、儒道が良いといっても、心を狭くしてこだわることがあれば必ず害があるだろう。これはヤブ医者が人参をもって人を殺すようなものである。金の屑は眼に入るとたちまち視界の妨げとなる。また仏教を信仰するのは、心を悟るためである。仏教をもって得た心と、儒教をもって得た心と、心に二種類のものがあるだろうか。どの道において心を得ても、その心をもって仁政を行い、天下国家を治めるのに、何をもって害があると言うのだろう。自ら悪を為し、刑罰で死ぬ者は、君が私心をもって殺すというというものではない。刑罰には心はない。書経に曰く、「自ら招いた災いは逃れることができない」。聖人の政治は天の道のようである。無為にして治まる。「刑鞭蒲(刑に使う蒲の鞭)も朽ちて蛍は空しく去り、諌鼓(訴える人が鳴らす太鼓)に苔が深くむして鳥も驚かない」と言われている。」

(ある学者)
「あなたが言うようであれば、心を得るためには、仏教を混ぜて用いても問題はないというように聞こえる。けれども仏教は私の本業ではないので、儒教において知り、会得したいと思っている。仏教を取り除くことは、難しいことなのだろうか。」

(梅岩)
「孟子曰く、「惻隠(あわれみ)の心が無いようでは人とは言えない。羞悪(不善を憎む)の心が無いようでは人とは言えない」。あなたは先ほどから、心を得ていないことを苦しんで赤面し、不善を恥じるのは、羞悪の心がそうさせているのである。その羞悪の心をもって考えを深めていけば、仁義の良心に至るであろう。仏教に頼る必要などどこにもない。自分の心を得ることができれば、儒仏の名を離れるというものだ。例えばここに鏡を磨く者が一人いるとしよう。その者が磨くのが上手であれば鏡を磨く仕事をさせるべきである。磨く道具に何を用いるかなどということは問う必要がない。儒仏の法を用いるのもこれと同じである。それらは自分の心を磨く道具である。磨いた後に道具にこだわることこそおかしなことだろう。たとえ儒家において学ぶといっても、学んで会得することができなければ意味がない。仏教を学んだとしても、自分の心を正しく得ることができればそれで良かったということだ。心に二つはない。仏教を習えば心が他のものに変わると思う者は、笑うにも値しない。仏教者も最初は儒教から入る僧が多い。儒教が妨げとなって、仏教の心を得ることが難しいという話は聞いたことがない。儒者もまたそのように、仏教をもって心を磨く道具にして心を得るのであれば、仏教は何の妨げにもならない。すでに仏教者は、儒教の方で心の会得に至ったとしても、用いるところは仏教に用いているのだ。また経論によって見れば、仏者とは覚者(悟った者)である。「覚者は一切衆生の迷いを解く」とある。迷いが解ければ本(もと)に帰るゆえに、三界一心と言い、迷いが解けた体を名付けて仏性と呼ぶ。仏性というのは天地人の体(本体)である。仏教の至極のところは、性(本来の心)を知ることの他にはない。釈迦から二十八世、達磨大師は「見性成仏」と説いた。また儒教には「道の大原(おおもと)は天に出ている」とある。よって、「天の命を性と言う。性に従うのが人の道である」と説く。性というのも天地人の体である。神道儒教仏教ともに、悟る心は一つである。どの法において会得したとしても、みな自分の心を得るのだ。また禅僧などは、「天地は豆粒のような小さいものなので、これを自分の心として留まることはない」と言う。これは、悟りの境地に至れば、天地の名を離れる者になるので、この仮の名(天地)にこだわって留まることがないことを言うのである。けれども天地の外に去っていくということではない。また性理を理解していない儒者などは、この言葉を聞いて驚いて、「これは禅の言葉であり、奇抜である」と言って意味を考えるということをしない。これを考えなければ、告子の弟子になって、「言葉にできなければ、心にそれを求めるべきではない」と言うようなもので、儒者とは呼べない。どうして告子のようになる必要があるだろうか。中庸に、「孔子曰く、舜は大知の人であった。舜は問うことを好み、身近なことから深く察することができた。悪を隠して善を称えた。その両端を取ってその中を民に用いた。それをもって舜となす」とある。舜は天下の善悪を受け入れ、悪を去って善を用いる。今の世の人は自分が理解できないことは、善悪を問わずに捨て置いてしまう。孔子が舜を大知の人と言ったのは、何にでも疑問を持ったり考えたりすることを好み、身近な言葉の中からもよく物事を察してこれを明らかにし、悪いことは隠しおき、その中から良い言葉を取って用いて、その善の中から、また両端を除いて、その中から良い言葉を取って、民のために用いたのが舜である。これをもって大知聖人であると言う。真の学問というのは、ほんの少しも私心のないところに至ることである。孔子のように徳のある人でも、「言葉が巧みで見た目が良く(巧言令色)、恭(うやうや)しさが過ぎるのを、左丘明は恥じた。私もまたこれを恥じる」と言い、また、「私は古くからの教えを述べているだけで、私が作った教えを述べているのではない。先人の教えを信じ、また好んでいる。私は密かに、古い言葉を伝えた老彭のようになりたいと思っている。」と言ったことを知るべきである。その徳は古今の聖人の中でも特に優れているけれども、これらの賢人にも一つの徳があれば孔子は慕う。その無我のところを手本とすべきである。心を会得したいと思う者は、私心があってはならないことは言うまでもない。心はこうすると得ることができないが、こうしたら得ることができる、というようなことは定めがたい。孔子は川のほとりで、「移りゆくものはこの川のようである。昼夜とどまることがない」と言った。道の体について、わかりやすいたとえとしては、川の流れに勝るものはないと示したのだ。「滄浪の水が濁れば足を洗う」という歌を聞き、「弟子たちよ、これを聞け」と言い、自分の心に不善があれば他人から侮りを受けることを示した。聖人は見聞きすることを心とするというのはこのようなものである。道に信仰があることこそ、聖人の学問と言えるだろう。私は以前、万物は一つのものであり、一大極であるということに疑問を持っていたが、ある書に、「天地一面の神国と言えば、広くて狭い。微塵の中にも神の国があると言えば、狭くて広い」と書かれているのを見て、一物一大極の疑いが解けた。他の書を読んで疑いを解くといえども、全く儒教の害となることはない。儒教を学んだ道をもって御神託を読んでも、少しも疑わしいことはない。さらには仏老荘の教えも、いわば心を磨く道具なのだから、捨てるべきものではない。一度磨いた後は、仏老荘から百家衆技(儒教の亜流)の類を寄せ集めて見ても、心は鏡のようである。物が来れば即応じて、物が去れば即明らかとなり一物も留まることはない。この心を会得した後に聖人の教えに向かえば、明鏡に対して自らの形を見るようなものだ。天地万物のことを見るのも、ただ一つの理として自分の手のひらを見るのと同じである。すべてが私と一体である。日本書紀には、「アマテラスオオミカミは手に宝の鏡を持ち、アマノオシホミミノミコトに授けてこれを祝って言った、我が子よ、この宝の鏡を見るときは、まさに私を見るかのように思いなさい。ともに床を同じくし、宮殿を一つにして、神聖な鏡としてこれを祀りなさい」とある。このアマテラスオオミカミは、神璽(やさかにのまがたま)の御徳、宝鏡(やたのかがみ)宝剣(くさなぎのつるぎ)の御徳のあらわれる神である。中庸のいわゆる「誠であることよって明らかである」者にして天の道である。アマノオシホミミノミコトは、中庸のいわゆる「明らかであることによって誠である」者であって、教えによって、神璽の御徳に入る者である。神璽の御徳に至れば、宝鏡宝剣の御徳はその中にこもる。「この宝の鏡を見るときは、私を見るかように思いなさい」と言ったのであれば、宝鏡をそのままアマテラスオオミカミとして拝むべきだ。「床を同じくし、宮殿を一つにする」と言うのは、宝鏡の御徳を離れなければ、代々の君は天下を平らかに治めるだろうとの御宝勅であると拝するべきである。この理を知らずに事を行えば、君として国を滅ぼし、臣としては家を乱し、政道が正しく立たなくなって、無益のものを殺し、人欲が勝手気ままとなって、無道を行い、五倫五常の道に背き、出家は五戒を破り、仏の道に背くことになるだろう。世の法を治めるには、聖人の道以外の何をもって治めるというのか。このために、儒教、仏教、老子、荘子に至るまで、ことごとくこの国の助けとするように用いてきたことを思うべきである。日本の宗廟である天照皇太神宮を宗源と貴び奉り、皇大神宮御宝勅に任せ、「いろいろな余計なものを払い捨て、一つの心に定まる法を求めて、天の神の命にかなう」。この唯一の神道を助けるために、儒仏の法を用いるべきだ。ここをもって、一法を捨てず、一法にこだわらず、天地に逆らわないことを要とする。」

(ある人)
「先ほどの客が聞いていたことで、(あなたが)まだ答えていないことがある。あなたは「学問の道は他にはない。その放心を求めるのみ」とも言い、また、「聖人の心は無心」であるとも説く。無心なのであれば心を求めることは意味がないのではないか。本当に心を求めると思っているのであれば、無心と説くのはおかしい。これは是であり、これは非であると、一つに定めることなく、そのように紛らわしく説くのはどういうことか。」

(梅岩)
「教えの道は「一つのことに凝り固まって、変化を知らない」であるとか、「一と取って百を捨てる」というようなものではない。例えて言えば、一本の丸太の筏(いかだ)に乗るようなものだ。よく乗り慣れている者は、どこを踏んでも踏むところがそのまま当たりとなって乗ることは容易い。乗り慣れない者は丸太であるので、ぐらぐらとして踏むべきところがわからず乗ることが難しい。学問の道もこのようなものである。心を知らなければ聞いても理解できない。また心を知る者は、何を聞いても一つの理であるので、みな自分の心にかなう。その「放心を求める」と説くのも、「聖人の心は無心である」と説くのも、二つ説があるのではなく、一致していることなのだ。天地は物を生じることをもって心とする。その生じるところの物は、各々天地が物を生じる心を得て心となす。けれども人は人欲に覆われてこの心を見失ってしまう。このために心を尽くして、天地の心に帰るところにおいて言うときは、「放心(放ってしまった心)を求める」と説き、また求めて得たときには天地の心となる。天地の心になるところにおいて説くときは、「無心」と言う。天地は無心であるけれども、四季は運行して万物は生じる。聖人も天地の心を得て、私心なく無心のようであるけれども、仁義礼智が行われる。一旦「忽然として貫通する」ときは、疑いなく晴れるものだ。聖学を論じるというのは、この心を知った後にすべきことだと思われる。」

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