
『百見は一験にしかず』*
私がお気に入りの言葉に
「百見(ひゃっけん)は一験(いちげん)にしかず」があります。(造語)
「百聞は一見にしかず」という言葉は
誰もが聞いたことがあると思います。
この言葉の意味は、
「人から何度も繰り返して聞くより、自分自身で一度見るほうがよくわかる」ということですが
これまでの人生経験から気がついた言葉が
『百見(ひゃっけん)は一験(いちげん)にしかず』 です。
このことば(造語)の意味は
「何度も繰り返し見て、分ったつもりになっていても、実際に経験してみないと本当のことは分からない」ということです。
ただ「見ている」だけでは分からない
「やってみた人しか分からない」世界があることに気づいたのです。
◆ 行動した人と行動しない人の違い
だいぶ昔?の学生時代の出来事です。
「この問題、分かる人?」
授業中に手をあげる場面がけっこうあったと思います。
しかし、学生時代の私はほとんど手をあげることなど、ありませんでした。
授業中に手をあげる人を横目で見て
「よくやるなあ」
「俺も分かっているけど、面倒くさいからいいや」
「まあ頑張れ」
などと、いつでもやる気になればできるというフリや、やらない言い訳をして、結局行動できないという消極的のかたまりでした。
当時を振り返って、とてももったいないことをしていたなあ、と思います。
なぜならば、せっかくの「自分を成長させるチャンス」を逃していたから、です。
「自分の意志で手をあげ、自分の考えを伝える勇気」がなかったのです。
当時は、間違ったり、変な答えだったりしたら恥ずかしい、という思いが強くて行動に移せませんでした。
いま思えば、正解・不正解かは問題ではなく、「手をあげて、自分の考えを伝える」という行動する勇気が大切だったのだと気が付きました。
その「小さな行動」の積み重ねが、大人になってから「大きな経験」の差になって表れてくるのだ、と改めて気が付きました。
◆ 小さな行動は大きな経験になる
たとえ小さな取るに足らない行動だとしても、実際に行動することで、階段を一段上ることができます。
そして、小さな行動を積み重ねていくと、上り続けた人しか分からない次のステージに近づくことができるのです。
行動できないうちは、今いる階段の上で、いつまでも留まっているようなものです。
◆ 経験は「他人ごと」から「自分ごと」に変える
たとえば、「俳優になってステージに立ちたい」という夢があったとします。
「自信が持てるようになったら人前に立とう」と自分一人で演技の勉強をしたり、成功している俳優のステージを観客席から観察したり、知識や演技の勉強をしているだけでは、夢を実現することはできません。
実際にオーデションを受けたり、短い時間でも人前で演技をしたり、現実の俳優の世界に触れることで、その臨場感が「俳優になってステージに立つ」という夢の実現に近づけるのです。
観客席から眺めている景色と、実際のステージ上から見る景色は全く違う景色です。
ステージ上からの景色や観客の視線、人前に立つプレッシャーなどは、実際に経験した人しか分かりません。
たとえ、十分な実力がなかったとしても、人前で演技するという「経験」が次のステージに近づけてくれるのです。
◆ 百見は一験にしかず
「百見(ひゃっけん)は一験(いちげん)にしかず」というように
『まずやってみる。そして、感じる。さらに、またやってみる』
その一歩一歩の繰り返しが、大きな成長につながるのだと思います。
実際にやってみた人しか分からない世界がある。
まずは、小さくても行動し続けることを意識したい。
◆ まとめ
・『百見は一験にしかず』というように
ただ見ているだけでは分からない
行動した者しか分からない世界がある
・正解、不正解という結果が問題ではなく、
行動するという小さな勇気の積み重ねが、
大人になってから、大きな差になる。
・まずやってみること。
そして、感じること。
さらにまたやってみる
それが大きな経験になる