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西村眞悟「日本の國體に目覚めることが自主防衛の前提である!」(『維新と興亜』第15号、令和4年10月28日発売)

戦前・戦後の連続性回復が自主防衛の第一歩だ!
 我ら日本国民が、祖国日本の普遍的で根源的な価値、つまり國體、即ち、日本の真の憲法、を自覚していることが自主防衛の前提である。
 しかるに、七十七年前に我が国を軍事占領したアメリカを中心とする連合軍は、我が国からこの自主防衛の前提を奪うために、我が国の戦前と戦後の連続性を切断する「日本国憲法と題する文書」を起草した。従って、この文書の「前文」に曰く、「日本国民は……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と。そして、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と。その上で、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」とは何事か。自主防衛の放棄ではないか。そして同文書九条には「陸海空軍はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」とある。馬鹿も休み休み言え。
 さらに同文書十三条には、「すべて国民は、個人として尊重される」とあり、これは、日本国民を、日本の歴史や伝統や慣習や文化、即ち國體から影響を受けない「砂粒のような個人」であるべしと規定しているのだ。こんなものは、我が国の憲法ではない。よって、この文書を無視して、教育勅語の「一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼する」覚悟を固めて、戦前と戦後の連続性を回復することこそ、自主防衛の第一歩である。
 その為に、まず、昭和天皇が昭和二十年八月十五日に、全国民に発せられた「大東亜戦争終結の詔書」にある「朕は茲に國體を護持し得て」、「確く神州の不滅を信じ」そして「誓て國體の精華を發揚し」という「玉音」を噛みしめ肝に銘じることである。「教育勅語」と「この玉音」さらに昭和天皇が戦後初めて迎える元旦に発せられた「年頭、國運振興の詔書」の冒頭に掲げられた明治天皇の「五箇条の御誓文」こそ、我が国の「不文の憲法」である。さらに、自主防衛を謳う以上言っておく。「七生報国」が我が国民の「不変の心意気」である、と。これが、不変であるからこそ、日本が日本である限り、楠木正成は幕末から大東亜戦争まで何度でも甦ってきたのだ。
 さて、約三千万年前に、ユーラシア東端において、大陸のプレートと海のプレートのぶつかり合いによって開いた溝に海水が流れ込んで日本海が生まれ、太平洋上に、七割以上が山岳地帯で平野が少ない、あたかも山脈の先端が海に浮かんでいるような地形の日本列島が形成された。そして、この日本列島は、ユーラシア大陸の何処よりも豊かな風土と生物多様性を有していた。従って、我々の先祖は、この日本列島において、食を求めて移動して彷徨う必要がなく、人類最古の安定した定住生活を一万七千年以上維持してきた。しかも、人類の歴史上、日本列島でしか起こりえない稀有なことが起こっていたのだ。それは、外部から定住集落を護る防御壁が無いということだ。ここから「日本」が生まれた。ユーラシアと地続きであれば「日本」は生まれない。何故なら、同時期のユーラシアでは、人の定住集落には、必ず防御壁が造られている。後には、定住集落どころか国ごと城壁で囲もうとした地域もある。これが今に遺る万里の長城だ。
 では、定住集落を外部から護るための防御壁がない日本列島で一万年以上の時が経てばどうなる。森や川や海の幸と恵みに感謝し、日本の自然に神々が宿ると信じる人々の穏やかな集落を越えた交流が何世代にわたって重なってゆく。そして、日本列島に、「万世一系の天皇を戴く一つの家族の國」が生まれた。
 十四世紀、北畠親房は、支那や天竺と比べると日本のみが開闢以来万世一系の天皇を戴いていることを以て「大日本は神國也」(神皇正統記)と宣言し、二百五十年後の十六世紀の末、豊臣秀吉は「日本は神國たる處、きりしたん國より邪法を授け候儀、まことに以てけしからん」と切支丹伴天連追放令を発した。即ち、秀吉の神國の自覚が、日本を護ったのだ。その時、戦国時代であった日本は、良質の鉄砲を造ることが出来たが、弾を撃ち出す火薬が無かった。そこで欧州から来訪した切支丹伴天連(キリスト教宣教師)は、武器商人と奴隷商人と一体となって、異郷の珍しい貢ぎ物を大名に与えて切支丹に改宗させた。そして、そのキリシタン大名の領地にある神社や仏閣を破壊して耶蘇の教会を建て、武器商人と奴隷商人は、欧州の奴隷市場で売る為に、大名に一樽の火薬を渡して領地から五十名の少女達を受け取っていた。日本の少女は、聡明で従順だったので欧州の奴隷市場では高値で売れたのだ。
 秀吉は、北九州のキリシタン大名の領地を視察して、この切支丹伴天連達の行状と本質を知り、即座に我が國體に反するものと見抜いて前記の通り「伴天連追放令」を発した。我々は、秀吉の慧眼に感謝しなければならない。
 以上の通り、「日本を護る」ということは、単に土地所有権を守るということに留まらず、「國體を護る」こと「神州を護る」ことである。よって、自主防衛は、単に武器だけを揃えることにだけではなく、先ず、日本の価値、日本の國體に目覚めることを前提としなければならない。従って、冒頭に記したように、われわれ一人一人が、日本の真の「不文の憲法」を知らねばならないのだ。そして、この自覚は、座学の中で知識として得られるものではなく、武器を持って祖国を守る訓練のなかで体得されるものである。しかし、この祖国を守る訓練が、現在の日本に一番欠けている。
我が国が学ぶべきスイス連邦の姿勢
 そこで、現在の我が国が学ぶべきスイス連邦の姿勢を次に紹介したい。スイス連邦政府は、「民間防衛」という冊子(全三百十九ページ)を作成し、全スイス国民に配布している。まず、その冊子の「前書き」は次のようにはじまる。
 国土の防衛は、わがスイスに昔から伝わっている伝統であり、わが連邦の存在そのものにかかわるものです。そのために武器をとり得るすべての国民によって組織され、近代戦用に装備された強力な軍のみが、侵略者の意図をくじき得るのであり、これによって、われわれにとって最も大きな財産である自由と独立が保障されるのです。今日では、戦争は全国民と関係を持っています。……つまり、どこから来るものであろうとも、あらゆる侵略の試みに対して有効な抵抗を準備するのに役立つということです。……一方、戦争は武器だけで行われるものではなくなりました。戦争は心理的なものになりました。作戦実施のずっと以前から行われる陰険で周到な宣伝は、国民の抵抗意思をくじくことができます。精神=心がくじけたときに、腕力があったとして何の役に立つでしょうか。反対に、全国民が、決意を固めた指導者のまわりに団結したとき、だれが彼らを屈服させることができましょうか。
 民間国土防衛は、まず意識に目覚めることからはじまります。われわれは生き抜くことを望むのかどうか。われわれは、財産の基本たる自由と独立を守ることを望むのかどうか。……国土の防衛はもはや軍だけに頼るわけにはいきません。われわれすべてが新しい任務につくことを要求されています。今からすぐにその準備をせねばなりません。われわれは、老若男女を問わず、この本と関係があるのです。
 このスイスを、戦後に生きる我々は見習い、戦後から脱却すべきである。よって我が国政府は、スイス政府と同じように、「武器をとり得るすべての国民」によって組織され、近代戦用に装備された強力な軍を創設しなければならない。
 また、今すぐ実施できることは、教員免許の取得には最低六カ月間の自衛隊入隊を要件とすること、また、一定の要件を経た自衛隊員に教員免許を与えることである。即ち、国を守る訓練を受けた者が、明日を担う子供達の教育を担当するシステムを創るのだ。自ら団体生活と団体訓練を経験したことのない者が、一クラス数十名の子供達の集団を統率できるはずがない。同時に、日本国政府はスイス政府と同様に、「民間防衛」という冊子を創り、それを中学三年生に、一週間に一講義の割合で一年間教えるべきである。また、文武両道と言われるとおり、義務教育のなかに武道を取り入れるべきである。


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