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石山永一郎「アジアの期待を裏切るな」(『維新と興亜』令和5年7月)

フィリピンを失望させた「桂・タフト協定」


── 欧米列強の過酷な植民地支配に喘いでいたアジア諸民族は、日露戦争に勝利した日本に大きな期待をかけるようになりました。わが国の在野には、そうした期待に応え、アジア各国の独立運動家たちを支援した人もいました。
石山 アジアから中東にいたるまで、世界は日露戦争に勝った日本に期待していたたわけですね。
 オランダの植民地支配下にあったインドネシアでは、スカルノやハッタが独立運動を主導していましたが、アジア太平洋戦争がはじまると、彼らは日本軍への協力を決断します。終戦直後の1945年8月17日、スカルノとハッタは独立宣言に署名しました。そこには、「17/8/05」と記されていたのです。これは「05年8月17日」を意味しますが、「05年」とは、日本の皇紀2605年のことです。
 ただ、インドネシアは独立を宣言したもの、オランダはそれを認めず、1949年まで4年以上にわたって独立戦争が続きました。この戦争には残留日本人兵も参加していたのです。インドネシアだけではなく、フランスからの独立を目指す戦争「第1次インドシナ戦争」に加わった「ベトナム残留元日本兵」もいました。
 一方、スペインからの独立運動を指導したフィリピンのホセ・リサールは、1888年に日本を訪れ、日本人の国民性を高く評価するようになりました。彼には「おせいさん」というガールフレンドがいました。
 やがて1898年に米西戦争が勃発し、フィリピンの宗主国はスペインからアメリカに代わりましたが、フィリピンの独立運動家を支援しようとする在野の日本人もいました。しかし、結局日本政府はフィリピン人の期待を裏切ることになります。
 1905年7月に桂太郎総理はアメリカのタフト特使と「桂・タフト協定」を結び、日本はアメリカのフィリピン支配を認め、アメリカは日本が朝鮮で優越的な支配権を持つことを相互に認めてしまったのです。
 日本に期待していたのは、東南アジアの人々だけではありません。清国では、辛亥革命に成功した孫文が、日本が欧米の植民地支配の軛から解き放つことを期待していました。

ケビン・メア氏の沖縄差別発言


── 結局、日本政府は在野のアジア主義者の期待通りに動くことはなく、日本は敗戦を迎えました。
石山 私は、共同通信時代、作家の半藤一利さんの編集担当だったので、頻繁にお会いする機会がありましたが、半藤さんは昭和16年12月8日の開戦の詔書に「大東亜共栄圏」という言葉もアジアの植民地解放という言葉もなかったことを「せめて、それだけでも入っていれば、子孫に少しは申し訳が立ったのに」と話していました。もちろん半藤さんは、日本が対米開戦に踏み切ったことを歴史家として痛烈に批判してきた方ですが、かつての戦争は大義すらなかったことをそのように指摘していたのです。東條首相が、戦争を「大東亜戦争」と呼称し、大東亜新秩序建設を目的とすると規定したのは、開戦から4日後の12月12日の閣議でのことでした。
── アジア人は、日本がアメリカに追従するのではなく、主体的な立場でアジアと関わることを期待しているのではないでしょうか。
石山 鳩山由紀夫さんは東アジア共同体構想を提唱していますが、なぜそれが進展しないのかを、ある外交官に聞いたことあります。それは、外務官僚がそうした構想に批判的、否定的だからです。
 否定的な理由は、まずアジアがまとまることをアメリカが歓迎しないことです。そして、もう一つは、かつて日本は大東亜共栄圏というスローガンを掲げたものの、結局アジアの人々に大変なご迷惑をかけたと認識していることです。
 しかし、私は過去の失敗を反省し、別の方法でアジアがまとまっていくことは可能だと思います。
── わが国のアメリカからの自立と主体的外交を阻んでいるのが、日米安保ムラです。
石山 安保ムラの親玉として動いていたのが、ジョセフ・ナイ氏やリチャード・アミテージ氏です。日本政府は、彼らの提言を着実に実行に移してきました。わが国は、外交・安全保障政策だけではなく、経済政策についても安保ムラの意向に従っているのです。
 巨大な安保ムラにメスを入れると大きなリアクションが起きることは、私自身も経験しました。米国務省の東アジア・太平洋局日本部長を務めていたケビン・メア氏との一件です。
 私は、2011年3月に、メア氏が「沖縄は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人。ゴーヤーも栽培できないほど怠惰」などと差別的な発言をしたと報じたのです。
 私がこの事実を知ったのは、アメリカン大学のデイヴィッド・ヴァイン准教授のゼミの学生と東京で会ったのがきっかけです。『Base Nation』(翻訳は『米軍基地がやってきたこと』)の著者でもあるヴァイン氏は、海外に展開するアメリカ軍基地を批判的に見ており、彼のゼミの学生が在日米軍基地を見るために日本を訪れたのです。
 彼らは日本を訪れる前に、日本通として知られていたメア氏に在日米軍基地についてレクチャーを受けようと考え、2010年12月3日に国務省でレクチャーを受けたのです。差別発言が飛び出したのは、その時です。私は、彼らに「メア氏の発言を告発したいのであれば、みんなの記憶を照らし合わせて、メア氏の発言メモを作ってはどうか」と言ったのです。すると、彼らがアメリカに帰国してから、メモを送ってきました。私は、2011年2月にワシントンを訪れた際に再取材してメモの内容を確認し、さらにメア氏にも会った上で報道しました。すると、大騒ぎになり、メア氏は日本部長を更迭されることになりましたが、その後の安保ムラからの攻撃は激しいものでした。
 『週刊文春』は4ページくらい割いて、私に対するケビン・メア氏の反論を掲載しました。さらに、文春新書からは、ケビン・メア氏の反論本が出ました。内容の半分ぐらいは私への個人攻撃でした。私の再反論は「報じた内容は事実であり、取材方法にも何ら問題はない」の一言でしたが、安保ムラに批判的な記事を書くと、激しい攻撃を受けるということです。

安保ムラに支配されるメディア


── 日本のメディアも安保ムラに支配されています。
石山 「日米安保が重要だ」「日米の関係強化が不可欠だ」といった主張をすると、アメリカから声がかかるのですね。ジャーナリストでは、在京大手メディアの編集委員などによく声がかかるようです。ジャーナリストも官僚も学者も、アメリカの大学やシンクタンクで学ぶと、箔がつき、出世が約束されます。こうしたシンクタンクの中で、ジャパン・ハンドラーの牙城とも言われる戦略国際問題研究所(CSIS)などは、米国防総省、国務省と回転ドアで繋がっています。
 安保ムラの一員かどうかを測るリトマス試験紙となるのが、沖縄の米軍基地についての発言です。安保ムラの人たちは、日米安保条約、日米地位協定が必要であるという前提で、沖縄の問題を語ります。
── 親米政権が続いてきたという点では、日本とフィリピンは共通しています。
石山 フィリピンには、長らくスービック海軍基地とクラーク空軍基地が置かれてきましたが、クラークは1991年、スービックは92年にフィリピンに返還されました。フィリピン上院が基地使用の延長を拒絶する意志を示し、米軍基地を追い出したのです。ただ、2014年にフィリピンとアメリカとの間で防衛協力強化協定(EDCA)が締結され、フィリピン軍基地の中に米軍がいてもいいことになりました。
 これについて、日本のメディアは「結局フィリピンはアメリカ軍を元に戻した」といった報道をしていますが、基地の管理運用権はフィリピン側にあるのです。フィリピンの状況は、アメリカ軍が管理運用権を持つ基地の面積が15%を占める沖縄本島のような状況とは根本的に違います。

「わが国はアメリカの植民地ではない」


── アメリカに異を唱えられない日本政府とは対照的に、フィリピンのドゥテルテ前大統領は臆することなく、アメリカに異を唱えました。
石山 ドゥテルテ前大統領については『ドゥテルテ』(角川新書)に詳しく書きましたが、2016年9月のASEAN首脳会談の際、ドゥテルテは「私は主権国家フィリピンの大統領だ。とっくの昔に植民地ではなくなっている。フィリピン国民以外の意見など聞くつもりはない。オバマはわれわれに敬意を払うべきだ。何かを要求するべきではない」と言い放ちました。ここまではっきり米大統領に物を言ったアジアの指導者はいないでしょうね。
 さらに、ドゥテルテはフィリピン語で「プータン・イン・モ」(「この野郎」)とオバマを罵倒したのです。オバマが、記者からの質問に答えて、ドゥテルテが推進していた麻薬戦争で多くの人々が犠牲になっている問題についても、話をせざるを得ないと答えたことに、ドゥテルテは強く反応したのです。
 2020年には、麻薬戦争の陣頭指揮をとっていたロナルド・デラロサ上院議員が米国渡航のビザを申請した際に、アメリカが発効を拒否するという事態が起こりました。これに反発したドゥテルテは、訪問米軍地位協定(VFA)を破棄するとアメリカに通告したのです。VFAには、フィリピン国内で罪を犯した米兵の拘束場所について、要請があれば、犯罪後、司法手続きの完了まで、米軍当局にとどめおくという規定がありました。
 大統領による突然の破棄通告に慌てたのが、親米派で固められてきたフィリピン国防省や外務省です。ドゥテルテの通告について、国防長官は「フェイクニュースだ」と言って、懸命に大統領を説得しようとしました。結局、ドゥテルテは破棄通告を解除しましたが、協定について補足合意を結び、罪を犯した米兵の拘束場所について変更することになりました。

アジア諸国の期待を裏切るな


── 安保ムラの抵抗を押し切って、ドゥテルテが決断した結果だと思います。日本でも、総理が決断すれば同じことができるのではないでしょうか。
石山 首相時代に辺野古基地の国外移設を目指して挫折した鳩山由紀夫さんは、官僚の抵抗があったという主旨の発言をしています。
 ある講演会で、パネリストとして鳩山さんと同席した際、私はドゥテルテの話をした上で、「首相が決断し、従わない役人には『指示した通りにやれ。やらなければ、どこかに飛ばすぞ』と決然と言えば、首相にひれ伏すもんなんですよ」と言ったことがあります。
 鳩山さんは私の発言を引き取って、「私にドゥテルテのような魂が少しでもあれば、あんなことにはならなかった」と言っていました。
── 日本はアジアの期待を回復することができるでしょうか。
石山 日本は対米追従をやめて、中国、韓国、北朝鮮、ロシアなどとの関係を安定させる必要があります。
 世界を見渡しても、隣国同士は仲が悪いものです。かつては、ドイツとフランスも、イギリスとフランスも、互いに悪口ばかり言い合っていました。しかし、彼らはそうした長年の対立を乗り越えて、欧州連合(EU)としてまとまりました。
 日中の和解が進んで困るのは、安保ムラです。安保ムラの人たちは、常にアジアに火種がなければその存在意義が失われてしまうからです。
 いま日本はアジアから何を期待されているのか。2019年にシンガポールのシンクタンク「東南アジア調査研究所」がASEAN10カ国の政府当局者、学者、マスコミ関係者などを対象に行った調査で、「世界の平和と安全と繁栄において最も信頼する国はどこか」と質問しました。この質問に「日本」を挙げた人がトップで、65・9%に上ったのです。2位がEUで41・3%、3位がアメリカで27・3%でした。ただ、「最も政治的、戦略的に影響力を持つ国はどこか」との質問に対しては、トップは中国で45・2%、2位はアメリカで30・5%、日本はわずか2・1%でした。この調査の結果が、日本がASEANから信頼され、好感を持たれる国になっていることを示しているとすれば、とても喜ばしいことです。
 わが国は、二度とアジア諸国を失望させないように、王道を歩んでいくべきだと思います。

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